2018年08月
愚直であれ。
ああ・・・庭の神様、毎夜毎夜の有難きお言葉痛み入ります。お恐れながらわたくし、それだけは自信がございます。地道で粘り強くいたって真面目でありまして、叩きのめされた時には地を這っても屈することなく龍馬のように倒れる時は前向きにと、ひたすらにひたむきにというこの特性なかりせば、価値あり幸ある庭を生み出し続けることなど到底できませぬゆえ、四半世紀の長き修行によって身についたものでございます。
神様は愚直さがお好き。
小器用な花、才走る昆虫、ずる賢い小動物、小賢しい中動物、
傲慢に権力を振り回す大動物などは、
イソップ童話でも宮沢賢治においても、
必ず失敗をして物語はめでたしめでたしとなるのでした。
ただこの性質にはデメリットがあるわけでして、段取り重視なため手間がかかるし、必要以上に緻密であり、必要以上にロマンチックな夢が詰め込まれ、必要以上にシーンとしてのシナリオが書き込まれていて、それら世の中的には異常なまでの必要以上さは、忠誠を誓うブラフマー(梵天)による「正しく有り余ることが安定を生むのだ」という託宣に従ってのことなわけであります。そしてそれを行うためには必要以上の思いが必要で、思いが膨らまないと線の一本も引けなくなってしまいますから、揺れる想い体じゅう感じながら、毎夜つのる想いに胸を熱くして、あふれる想いを I sing my heart with you でありまして、思いをキープすることもまた、音楽により、小説により、就寝前の庭にて行う瞑想(長い瞬き、あるいは居眠りとも言う)により、愚直に行なっている次第です。
ということをご理解いただいて、長らくプランをお待ちの皆様、伸びきった首が折れないように支えつつ今しばらくのご辛抱を。って、年に何度か繰り返す、仕事の遅れの長い言い訳でした。
などと言いながらPS. 設計のクオリティーは自分史上最高潮に達していますので(つまり必要以上にですが。でもぼくがその庭スペースに必要以上な世界を思い描かない限り、あなたの人生が庭によって、必要以上という人並外れた感動を得る可能性は絶たれてしまいますから)楽しみにお待ちください。
脳内には意外にも、穏やかでにしてロマンティークな音楽が流れています。
たとえばこんな曲が。
きっと思い描いているその庭への恋心かと。
おっさんが何を暑苦しいことを、などとと言うなかれ。
仕事中の気分はいつもMAJIでKoiする5秒前。
そういえばですねえ、あの人は今。
キャンドルジュンはどうしているのでしょう。
奥様が結構はつらつといい仕事をしているから
きっと頑張っているのでしょうけど、
でも気になって気になって仕方ないんですよね、
あの異様な耳飾りの穴が。
というわけで、ノリノリついでに、
今朝の出囃子はエルヴィスの「恋の大穴」で。
今日も我に神秘の真言を与えたまえ。
エイメン&オンアビラウンケンソワカ。
今日は港南台店にいます。
昔から「景石」こそが、庭趣味の究極の楽しみとされてきました。
河原の砂が固まって岩盤になるほどの長い長い時間。
赤ちゃんは歩き始めるとすぐに、石ころを拾って投げますよね。あれは250万年前からの、ヒトがまだほとんど猿だった頃から続く習性です。投げて割れた石のかけらを道具にすることからホモ族の繁栄が始まりました。
石器時代は土器を発明する1万年前まで続き、その後青銅器時代、鉄器時代へと。コンピュータ時代となった今、じつはぼくらは、石ころがあれば幸せに暮らしていける知恵とを持った遺伝子でできているのです。
みんな夢中でいじくっているが、大切なことはパソコンや携帯とは別の世界にあるんですよ。
庭の花たちもどうももうひとつパッとしません。
そんな中、ハスは例年通りの勢いです。
遥か太古より続く種のDNAには、
苦難を糧とする知恵が備わっているのでしょう。
24時間テレビの影響でしょうか、昨日は立て続けに三組の「愛によって救われたいご主人」からの相談がありました。
女房がお隣の木の枝が張り出しているのが気に入らないから何とかしてって、もうかれこれ半年言い続けていて、お隣にはそれとなく相談したんだけど切ってくれないし、こういう時ってどうしたらいいんでしょうね。勝手に切ってもいいのでしょうか。
家の脇に防草シートを敷いて砂利を撒いたんだけど草が出てきて、女房が「あなたが安物のシートを買ってきたからなのよ。わたしは雑草を見るのが死ぬほど嫌なの知ってるでしょ、早く何とかしてちょうだい」って。どうしたらいいんでしょうかねえ。
栄区の伊藤さんちのお庭ってこちらでやられたんですよね。知り合いなんですけどね、こないだBBQに誘っていただいて女房と行ったんですよ。あれ以来女房の機嫌が悪くて・・・うちの庭は何でこんなにつまらないわけってことだと思うんですけど、あんなすごいお庭つくるのって結構な金額なんでしょうね。
それぞれに的確と思える回答をして、お三方とも納得しつつもやや肩を落としながら「やってみます」と言って帰られました。
でもぼくが心の底から言いたかったことは次の通りです。
腹をくくれ!そして「黙って俺について来い」と大松監督のように、「本当に好きならついて来い」と加山雄三のように言ってみろ。女房に振り回されるようでは幸福な家庭など築けんぞ、頑張れ頑張れ!
言いませんでしたけど、自分に向かって、世界の中心で叫んでいました。
すっかり夏の風物詩となった24時間テレビ、帰宅したらちょうどエンディングの20分ほどのところで、ああ、なんということでしょう、うかつにも涙が溢れて。いやあサライって素晴らしい曲ですよね。それとですね、若大将のこれまで以上に晴れ晴れとした笑顔が胸に来て。いやはや、すごい男がいたもんだ。
今日は港南台店にいます。
うまくいかないこともあるが、それがどうした。
わかってもらえないこともあるが、それがどうした。
不安は消えないが、それがどうした。
心配だろうが、悔しかろうが、ヘロヘロだろうが、今できることをやるしかないじゃないか、と、誰にも言ったことはないが、これまで約1万回思ってきた。これから何万回思うだろうか。あるいは数回で、あっけなく終わるのだろうか、などと・・・、などと・・・などと・・・、それがどうした。
夏の花たちが終わりに向かって勢い込んできた。
花の強みは脳という臓器を持っていないところにある。
だからくどくどと考えたり、
くよくよと悩むことがない。
脳はないが痛みを感じするし、思考するし、
言語に相当する何かも有しているし、
愛情や信念や夢も持っている。
これはまことに確かなことだ。
さればヒトの脳は何のために発達したのか。
ゲーテの時代より続く、悩める猿の命題である。
庭にいると、たやすく脳を弛緩させることができる。
周囲の素晴らしき無脳生物たちが癒してくれる。
こんな風変わりな猿にまで、ああ、有難きかなあなかしこ。
ヒトは何歳になっても若きウェルテル。
そうそう、海賊と呼ばれた男の二度目を風吹く庭で読了した。
腹の底から熱くなったのは脳の賜物。
悩める猿は熱く生きる、これでいいのだバカボンボン。
昭和時代、価値観は生産性→貯蓄高→消費と変化し、年号が変わる頃からは、感性や独自性を持つ個人レベルの幸福がもてはやされ、さて、次代の時代的価値は何どだと思われますか。
それはですね、家庭です。社会や会社や人類愛よりも、というかその前提として、個人が家庭人として人生の充実を得ること、身内単位の幸福感が重要なのであると気づき始めたのです。
ようやく、要約、踊躍、ぼくが思い描いてきた庭の時代がやってきます。
こないだ女房から言われるまで全く気づいていなかったんですけど、自分が歳をとるということは、お客様の層が自分よりも若くなってゆくとうことでありまして、この頃では平成生まれの、ぼくらの子供の世代にまで移行しつつあって、時々はその、ぼくからすると時に宇宙人のように思える反応に戸惑いながら、でも庭が持つ時代的価値を生み出すというぼくの姿勢に変わりはないので、ジャパネットで購入した「宇宙語自動翻訳機」を駆使してどうにかこうにか対応できています。この若い夫婦は何に人生の価値を見出してゆくのか、そこにあるべき庭の姿はいかようなものであるかと探り探りしながら。
ひとつ確かなことは、彼らは「勝ち組・負け組」という概念を持っていません。熱血も、根性物語も、ぼくらが思う類の高邁な理想も持ち合わせておらず、昭和オヤジ的にはへなちょこに思えたりもするのでありますがさにあらず、正義がどうの、社会がどうの、政治が、戦争が、環境が、地球がどうのということを踏まえて思考して、志向して、試行して、しゃにむに至高を目指すあまり家庭には浮き足立ってきたぼくらと違い、軸足確かにサクサクと半径5メートルに理想の王国を築き上げ、そこを誰とも比較できない幸福感で満たしているのです。笑顔率もとても高くていやはやお見事!進化とはこういうことなんですよね。それともうひとつ宇宙人へのリスペクトがあります。それは踊れるということ。夏フェスやクラブで音楽に乗って全身を動かすことに何の抵抗も示さず、オシャレにタトゥーをプリントした肉体が自由自在に音に反応する。ぼくら世代がステップを気にしながらごぎこちなくロボットダンスになり、ついには無様な盆踊りとなってしまうのとは別次元の感覚を備えているのです。
ぼくはこれまで昭和育ちの戦士たちが心身を癒し、銃後の妻が笑顔で暮らせる庭、つまり人生を応援する庭を多く提供してきました。これからは真に家族の庭、進化人が求めている、人生の中心に家庭があるという概念での設計が増えてゆくことでしょう。
それはいいとして、さて、懸命に闘って団子状態から勝ち上がり、ついに庭付きの家で昭和的理想の家庭を築いた「ダンスはうまく踊れない世代」の皆さま、その庭に、昭和の風習通りに雑草取りと洗濯物を干すための場所になっているその庭に「心の時代」へ向けたリニューアルをイメージしてみませんか。せめてカーテンを開けて暮らせるように、できるならそこに集って来し方を語り、まだまだ長い行く末の夢を語りつつ、笑顔の時を過ごせるような庭を。
半径5メートルの王国・・・、老いては子に従えと申します通り、若いご夫婦に見る価値の築き方を見習いそれを実践できるかが、われら老人に課せられた課題なのであります。
なに、まだ老人ではないと。なにおおっしゃるウサギさん、あなたが小学生の時に、今のあなたの年齢の人がどう見えていたのかをよーく思い出してみてください。この頃ではアンチエイジングが行きすぎでありまして、世の中、老人減少化現象による花咲か爺さん不足も見受けられますので。
プロジェクトXを見事にやり遂げた地上の星たちよ、すでに過去の遺物となって子供も孫も耳を貸さない崇高なる勝ち組たる人生哲学を、EXPO’70 松下館のタイムカプセルよろしくタンスにゴンを入れたビニールで密封し庭のヨド物置に収納してから、書を捨てよ、庭へ出よう。余力を振り絞って、半径5メートルの楽園を築くのだ。
おじいさん、おばあさん、健闘を祈ります。
今日は港南台店にいます。
通路を庭にする。
敷地があって、建物があって、余剰の狭い土地は「通路」と認識されます。そこを生活空間に、例えば物干し場とか物置を設置するとかすれば有効に活用できます。ではそのスペースを庭として使えたら、さらに有益な、あなたの暮らしに幸福感をもたらす場所となることでしょう。
奥にガレージがある。
一般的にはコンクリートで仕上げ、
バイクを出し入れする通路になりますよね。
そこを庭スペースだと捉え直せば、
家族が過ごす外の部屋が出現。
こちらもそうです。
庭というにはやや狭い。
一般的には雑草対策として砂利を敷くことでしょう。
でも「ここは庭だ」とイメージできたら
ご覧の通り。
通路を通路と見れば通路のまま。庭はイマジネーション次第でどんな場所にも出現させることができるのです。
池や流れや睡蓮鉢で、庭に水面を設けてください。
上善は水の如し。
水がある風景は気持ちを潤し、心を水平に調整してくれます。
「上善如水」は老子道徳経八十一章の第八章にある理念です。
最上の善とは水のようなものだ。水はあらゆるものに利益を与え、争わず、人の嫌う低い場所で満足している。このように、水は「道(タオ)」に近いものなのだ。
住むには地味な環境を好み、交友には心やさしさを好み、言葉には誠実さを好み、正しい行いを好む。しかるに水に倣えば道を誤ることはない。
老荘思想(道教)は儒教や各種宗教哲学に比べるととても地味なので、血気盛んな頃は空虚なる正論に感じられて、なかなか心に響かないものです。58歳となった今、気がつけばタオに学ぶことが多くなりました。ことに庭を組み立てるとき、老師と宮沢賢治とダーウィンがつきっきりで指導してくれています。
最近新たに、篠原勝之とガブリエル・ガルシア=マルケスが講師として加わりました。
庭は地面ではなく、その上の空中に存在します。
空間を得るためには立体的なオセロゲームが有効です。
木村邸 Plan
Before
After
石丸邸 Plan
Before
After
ぼくより何歳か上と思われるご婦人が店に入るなり何らかの窮状を訴えた。
えっ、い、いかがなされました。
わたしにはこれ以上無理なのよ。若い頃は夢中で花を植えてね、バラもいっぱい咲いていたしハーブだってたくさん育てたんだけど、今年は暑かったから庭に出る気がしなくて、すっごい暑かったでしょう、異常よねこの気候。そしたら背丈ぐらいの雑草のジャングルになっちゃって、ねえどうしたらいいのかしら。
はいはい雑草対策、ですね。
あのね、対策とか工夫とか目標の明確化とか費用対効果とかそんなレベルじゃなくて、主人もいっつもそういうこと言うのよね、営業会議みたいな言い方。そういうんじゃなくてえ、木も草も全部引っこ抜いて庭を端から端までタイル張りにしたいんだけど、どう思います?
ぜ、全部ですか。それならそれでよろしいんじゃないでしょうか、スッキリするし。その後でタイルの庭での楽しみを考えたらよろしいのではないかと。
でもね、でもね、土がないってさびしいのよねえ。それにほら、タイルってお金がかかるじゃないですかあ。庭にお金はかけたくないのよ。
はあ、なあるほどですねえ。では砂利を敷いたらいかがでしょう。厚く敷けば雑草は抑えられますよ。それに砂利だったらご主人に労働をしていただけば、出費は材料費とご褒美のビールくらいだから安上がりかと。
ええ〜、砂利い〜、味気ないから嫌ですう。もっとおしゃれにしたいのよね。わたしってほら、お花に囲まれて暮らしたい人だから。ねえ、どうしたらいいのかしら、わたし。
ん〜・・・・
わかりました。もしかしてだけど〜、もしかしてだけど〜、レースのカーテンが閉まってんじゃないのお〜。おっと失礼、歌ってしまいました。でもいかがですか、もしかして、カーテン閉まってるでしょ。
ええ閉まってますよ。今の家に越してから十数年ほとんど閉まってますけど、それが何か?前が道路だから開けられっこないじゃないですか。
それです。ややはりそうでしたか。じゃなかったら奥様のお話はつじつまが合わなすぎますから。
あら、なんだか杉下右京が犯人の目星をつけたようなおっしゃりかたね。まいいわ、わたしは無実よ。
ええ、もちろんなたは無実です。犯人は・・・いずれわかります。それよりも奥様、カーテンが閉まっている状態でいくら花を育たところで暮らしていて何も見えないし、たいして楽しくないでしょう。それに庭をタイルにしようがイングリッシュガーデンにしようが、仮に相応のお金をかけたところで、それであなたの幸福感が増すことはありません。新たな不満と苦労が増すばかりです。何せカーテンによって、庭は生活空間から切り取られて暮らしの外に追いやられているわけですから。タイルにすれば雑草取りの労力は軽減されますが、それはマイナスがプラマイゼロに近づくだけのことで、ほんの1ミリもプラス側に行かない行為なわけでして、賢いあなたはそのことを無意識に察知しているから「庭にお金をかけたくない」となるのです。
ぼく少し長めな物言いに、反論やら言いたいことが喉元いっぱいまでたまっているという表情の奥様の口から、オーメンだったかエクソシストだったかみたいに緑色の何かが吹き出しそうだったので、それを制して話を続けた。
チョト待ってチョト待ってお嬢さん、もう少しお聞きくださいね。
ち〜いさ〜い頃〜は〜か〜みさまがいて〜。あ、失礼、また歌ってしまいました。やさしさに包まれたなら、ご存知ですよね。「カーテンを開いて、静かな木漏れ日のやさしさに包まれたなら、目にうつるすべてのことはメッセージ」って、あれですよ。新居に入った時点で目隠しをあきらめて、あるいは思いつかないままにカーテンが閉まっているのが当たり前になってしまうとですね、将棋で言うところの穴熊に追い込まれてしまいます。将棋、ご存知ですか?
ええ、祖父が将棋好きだったので少々。
穴熊とは居飛車からの囲い技です。はまってしまうと八方ふさがり、四面楚歌、解なしにして出口なし。そうなると必ず出てくる言葉がありますから並べてみますね。「土いじりは嫌いだから」「日に当たりたくないから」「暑いから、寒いから」「虫が苦手だから」「そりゃあお金をかければいい庭になるでしょうけど」「主人が反対するから」「水はけが悪いから」「日当たりがよくないから」「忙しくて庭どころじゃないのよね」。ついには「庭は嫌いなの」ときて、最終的には「わたしはあなたのことが嫌いなの」と言って去ってゆくのでありました、とさ。めでたしめでたし。
男女7人を教科書に恋愛を学んだバブルの残党にありがちな、やや強めに自己主張をするご婦人が気分を害されるであろうことを承知の助の荒療治、息継ぎの回数を最小限にして一気に話し終えたらあ〜ら不思議、意外にもオーメンは瞳を輝かせた鈴木保奈美になっていて、今にも「カンチ」と言い出しそうだった。
あなたって面白いわね。わたし、ユーミン好きよ。
そうだと思いました。だって奥様、真夏の果実のプリント柄を身にまとっていらっしゃるから。
あらやだ真夏の果実はサザンでしょ、ユーミンは真夏の夜の夢よ。
あははは、そうでしたそうでした。で、いかにしたらその穴熊囲いから抜け出すことができるか、お知りになりたいですか?
ええええ、教えて教えて。
方法はですね、たったひとつ、ぼくに設計依頼をすることです。
あなたって本当に面白い人ね。ああ主人にこれくらいのユーモアがあったらこんなに毎日イライラしないのに。稼いできてくれるのはとってもありがたいんだけど、真面目なだけで冗談なんか言ったことがない。この頃じゃお顔がおじいさんに固まっちゃって笑いもしないのよ。ああもうつまんないったらありゃしない。昔はけっこうイケてたんだけどなあ。
ほらほら、それが穴熊のセリフ。
はは、ほんとにそうね。うん、わたしわかっちゃった。なんとなく覚悟はしていたのよね、お友達からあなたのことは聞いてたから。少し変わった人だけどすてきよって。
おやおや、それはそれは。時々言われますよ、前半部分だけ。
で、わたしのお庭、設計お願いできるかしら。
モチのロンですよ奥様。
ねえねえこれってさあ、わたしがあなたに穴熊にされたってことよね、もしかして。
はい、藤井聡太もかくやという駒運びだったでしょ。ふふ、王手です。
参りました。投了〜〜〜あははは・・・
かくしてやり甲斐のある仕事がまたひとつ。ふふ、少々トゲがあって、しかるにバラよりも美しい、ワンレンボブにつば広ストローハットの奥様、プランの完成を楽しみにお待ちくださいませ。
突然ファインダーに飛び込んできたヤマバト(キジバト)。
あービックリしたー。
昨日のエンタメ情報によると
カンチとリカが27年ぶりにドラマで共演するそうで、
いやあ懐かしいですなあ「東京ラブストーリー」。
ラブストーリーは突然に、出会いはいつも突然に、
仕事もこうして、ある日突然に。
今日は港南台店にいます。