2022年10月

風の歌を聴け 名残り

 10月も終わろうとしているのに、頭はまだ8月を名残っているのです。少年時代のように大汗かいて、スイカを食べて、麦茶をがぶ飲みして、夢中で遊ぶように仕事をし、実に夏らしい夏を過ごしました。



この夏、覚醒したように成長を遂げたドラセナの葉っぱ。

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 季節と並走し未来を見つめよ、そう自分に言い続けて幾星霜。これは仕事柄、依頼を受けた場所に庭が出現する数ヶ月先へとイマジネーションの幅を広げて、その真っ新なカンヴァスに理想の庭を思い描くことを繰り返す人生なものですから、日常的にほとんど振り返るということがありません。だから基本姿勢はやや前のめりで、視線は次の季節に向いている。たまに振り返ってみても、そこにはしばしば悔やみや恥ずかしさや、あまりいいことが見えてこないし、それよりも手帳に溜まってゆく予定がプレッシャーとなって、慢性的に未来方向に付きものの不安を抱えている状態というのが現実。だから自分に、呪文のように言い続けてきた「季節と並走し未来を見つめよ」は、決して、いわゆるポジティブなことではないことを自覚しています。一種の職業病と言えるでしょう。



初夏に根切りと植え替えをし、丁寧に水やりを繰り返しました。
するとご覧の通り。
途中から葉の長さが倍ほどになっています。


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 ただし、ぼく以外の方にはとても大事な考え方なので、試しにこの呪文を唱えてみてください。季節と並走し未来を見つめよ。夏には夏を、秋には秋を存分に味わうことができたら、人は欲張りですから次の季節も素晴らしい日々になるように願います。すると自然に花咲く庭と幸福な近未来をイメージするようになるのです。イメージできたらできたも同然、これも我が呪文。何事においても想像力が先行し創造が起こる。



空振りだった台風の日、無風のしとしと雨の午後に
雨宿りをしているカマキリを発見。


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 誰だって幸せな人生を送りたいと思っているのに、側から見ると真逆な言動ばかりを繰り返している人の何と多いことか。ダメダメ、そういう人はわざわざ悲惨な未来ばかりを思い描いているわけで、暮らしのベクトルは当然悲惨に向かってしまいます。だらか絶対に幸せにはならない。一生懸命に不幸を成就する努力を続けているわけですから。



こいつがほとんど動かずに、翌日も、その翌日も居座っている。
交尾を済ませて、メスに食われないよう逃げてきたのかもしれない。
寿命を悟って静かな最後を送ろうとしているのかも、
などと哀れを含んだ心配をし見守ること5日間。
空は秋晴れ。
さすがに森へでも離してやろうかと手を伸ばしました。
するとあに図らんや、とてつもないパワーで飛び立ち、
何十メートルも先まで、一瞬で。

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 これは他人事じゃなく、田舎の母親もある時期、介護疲れだったのか愚痴しか言わないことがあり、電話のたびに、内心「こりゃまずいよなあ」と思いつつ、会話としては「そうだね、そうだよね」を繰り返すしかなし。女房もそうです。発する言葉の全てが愚痴と弱音で、ぼくの顔を見るなりあらゆることのダメ出しを繰り返す。幸いにしてふたりとも、そのダメダメ状態から自力で脱出してくれて、今は逆に脳天気になり、日々を楽しみで埋め尽くすように過ごしています。だから思うんですね、あれは女性特有の不安神経症のようなものなのかもしれないなあと。そしてある時、トンネルから抜けたようにポジポジに変身する。こちとらたまったもんじゃないわけですが、一時的な症状だと思えば我慢もできます。我慢、我慢。穏やかに、じっと我慢してくださいね、男たちよ。



あれこれと心配していた自分がおかしくて、
晴れ晴れと見上げる秋の空。

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 今を味わうこと。今日いち日をワクワクとウキウキで埋め尽くすこと。例えそうならなかった日でも、只今現在の味わい、リアルな感覚が全て。苦かろうと辛かろうと、暑かろうと寒かろうと、生きていればこその出来事なり。「今日も頑張った、よくやったよオレ」と、これも我が呪文なり。京都大徳寺大仙院の住職が言っていました「昨日もなければ明日もない。あるのは今の自分だけ」。尾関宗園、中坊の頃に夢中になった、大好きなお坊さんです。


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 10月も終わろうとしているのに、頭はまだ8月を名残っている。少年時代のように大汗かいて、スイカを食べて、麦茶をがぶ飲みして、夢中で遊ぶように仕事をし、実に夏らしい夏でした。この素敵な名残りがあるから、秋もそうありたいと、今日を味わい尽くしたいと思うことができるのだ、という結論で。ああ、いい夏だったな〜。ああ、今日もよく頑張ったなあ〜オレ。


庭で聞く音楽も、秋には秋のお楽しみ。
Autumn Leaves はこれが絶品ですなあ。



ウッキウキで、枯れ葉を鳴らして歩くイメージ。



 
  

昔々のそのまた昔

 昔々のそのまた昔、4万年前のお話です。かつては十数種類いた人類の内、最後に残った二類はネアンデルタール人とホモ・サピエンスでした。骨格や遺跡から、どうやらネアンデルタール人の方が、ホモ族よりも遥かに優れた身体能力と知能を持っていたらしいと言われています。しかし強い彼らが滅び、弱っちい我々ホモ族が生き延びました。



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 いきなり人類史の話が浮かんだのは、ウクライナの民間人が耐えている悲しみや痛みを思う時、いつまで経っても身勝手に暴力を振るうプーチン側が、ネアンデルタール人みたいだなあと思ったが故。滅びますよ、どう考えたって。滅ばなきゃ歴史の筋道が立たない。そして滅ぶ時には指導者だけでなく、かわいそうだけど、多くのロシア人が相応の苦しみを体験することになるでしょう。かつての日本がそうだった。時代的な流れからの必然はあったにしろ、アジア諸国にさんざんひどいことを繰り返し、いい気になって、ついに勝てるはずもないアメリカに食ってかかり、とどのつまりは主要都市が空爆で破壊され、原爆ふたつ落とされて300万人の命が失われたんですから。それ以前には、ぼくらの親の親、その親の親世代から日本はロシアと戦争をしてきました。つまりは、ぼくらはロシアとウクライナと、双方の立場にいたことがある民族なのです。



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 弱い者には苦労がつきまとうわけで、行けども行けどもまとわりつく不幸と悲しみを、弱者は寡黙に忍耐で受け入れるしかない。親がサーベルタイガーにやられてしまったのか、あるいは子供を失ってしまったのか、洞窟の奥で体育座りをし、肩より低く首を垂れてしくしく泣いているヒトがいます。幾晩も幾晩も、他に何もできない鉛のような時間。泣いて泣いて泣いて、彼はようやくその忌まわしき運命を受け入れて、ついに「それでも、それでも生きにゃならんだろ」と呟いた時にはすでに日が昇っていました。暗い洞窟に、教会のステンドグラスみたいに差し込む光を感じ、もそもそ洞窟から這い出す。するとそこにはたくさんの花が風にそよいでいる。コスモスの群生。花はいつも希望を与えてくれるものです。彼はその花たちに促されて草原へと歩き始めます。狩りに行くのか、はたまた意を決して、新天地を求めての旅立ちなのかもしれません。そんなシーンが何万回も、何億回もあって、歩いて歩いて歩いた先にぼくらがいるのです。



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 人類だけでなく、進化の過程では弱い者が生き残ります。それは鉄則のようなもの。弱いから移動をし、弱いから知恵が付き、弱いから自分を変化させて生き残る。ダーウィン曰くの「強い者が生き残ったのではなく、賢い者が生き残るのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」を補足するなら、「弱いから、生きてゆくためには変化せざるを得ない。その『せざるを得ない』ところまで行けば、必ず進化という変化が起こるのだ」。



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 進化を遂げた者には、奇跡に次ぐ奇跡が用意されています。これも鉄則、自然界の慣しなのです。だからウクライナの人たちよ、逃げるにしろ、戦うにしろ、とにかく生き残ることを考えてほしい。ぼくには何もできないけど、こんな呟きが届くはずもないけど、どうか家族を大切に。国のためでも自分のためでもなく、家族のために生きてほしいのです。



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 ネアンデルタール人は、想像ではありますが、強者だったがゆえに家族意識が希薄だったのでしょう。だから危機に際して家族を守ろうという思いから生まれる知恵、撤退、縮小、忍耐、工夫、協力、そういう進化の種が芽吹かなかったのだと思います。なぜか、なぜそう思うのか。プーチンも、ヒットラーも、北のミサイルマンも、幸福な家庭を築けていないという共通点がありますから。



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 例えば茎が細くて弱いコスモスは、単独ではなく群生することで倒れない、という進化を遂げた植物。寄り添うというアイデアが今の繁栄につながりました。ヒトも同じく、寄り添い、支え合い、励まし合いながらじゃないとた立っていられない、弱っちいサルの亜種でしかない。2001年宇宙の旅の冒頭シーンから、支え合うという観点ではほとんど進化していない、これがホモ族の最大の弱点です。庭ですよ、庭。そして家と庭で家庭。家族で庭を楽しむサルは生き残れると、ぼくは本気で思っているのです。



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 災害に遭っても、戦争が起こっても、家族単位で強固な幸福を築けている人は何とかなります。庭を楽しむ家族が多数派になれば、災害は避けられないにしても、戦争の回避はごく普通にクリアできるはず。笑顔が溢れる庭があって家庭円満なら、政治がどうでも、国がどうなろうと、ミサイルが飛んできたとしても、戦う意味など1ミリも浮かんでこないんですから。繰り返します、庭ですよ庭。庭くらいさっさと理想の場所に仕立て上げて、今日を楽しむこと。音楽とお酒を用意して、庭を浴びて、『種の起源』でも読んで、最後の人類としての素敵な進化を目指しましょう。



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 何度でも繰り返します。庭ですよ、庭。いい庭があれば大丈夫。絶対に大丈夫。これ以上の絶対は存在しない。なぜならぼくらの弱点を補う要素は、すべて庭に用意されているのですから。







 

キンモクセイ

 港南区、栄区、磯子区、横浜のこっち側一帯ではキンモクセイの香りが冴えませんでした。理由はわかりません。とても夏らしい夏からいい具合に秋へと移行したのに、なぜなんでしょうかねえ。



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 木には例年通り、盛大に花が付いています。しかしすでに、見上げている自分に濃い香りは降ってきません。それよりも隣りに生えているイチョウから落ちたの実が踏み潰されて、そっちの匂いが満ちていました。キンモクセイ、キョウチクトウ、クチナシ、これら芳香植物は地域一帯である日一斉に開花し、咲き初めに華やかなるトップノートを発散するという性質があります。 その後は数日でミドルノートからベースノートの人には察知できない微香となってゆく。これらの花は比較的長く咲き続けて、常連客、リピーターの虫たちが受粉の手助けをしてくれるというシステムです。つまり最初の強烈な香りは、期間限定レストランのオープンセレモニーに鳴り響く、ファンファーレのようなものなのでしょう。



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  なぜ今年は、住宅地から公園から商店街の通りから、うちの店の中にまで入ってくる、あのうっとりとする香りが届かなかったのか。つらつら想像するに、開花のタイミングに水を差されたのかもしれません。たまたま気温が急降下して一斉開花できなかったのか、あるいは土砂降りが香り成分を洗い流してしまったのか。



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 まあそんな年もあります。果樹にしろ花木にしろ当たり外れはあるもので、大した問題ではない、というかそれは普通の出来事。植物の営みとは全くもってそういうことで、オープンセレモニーの失敗により集客率が落ちたら、きっとその経験が幹から根っこに記憶され、来年はより多くの花と強い香りが準備されます。運がいいとか悪いとか人は時々口にするけど、植物たちは危機に対して寡黙に、いつも運命を丸々受け入れひたすら次なる道を模索する生物。地球上で最も繁栄している彼らの対応から、ぼくらが学ぶべきことは限りなし。



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 当たりもあれば外れることもある。必ずいろいろ起こります。自然災害、戦、疫病、水不足、豪雪・豪雨、事故や事件も。有史以来ただの一度も平安な年などなかったわけで、その危機にどう対処しながら花咲く幸福を実現するかが暮らしなんですよと、教えられているような気がして。例えばですけど、安全に、安心に、波風立たない日々を送る家庭は幸せでしょうか。いやいや、そもそもそんな家族は実在するのでしょうか。NO ですよね。不安があるから頑張る。楽しみたいから笑顔で暮らす。家族を愛し、仕事に励み、エンドレスの人生ゲームを続ける者に花が咲くのだ。



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 と、ここで人生ゲームの必勝法を伝授いたしましょう。庭ですよ庭。庭で感じる自然の営みに従えば、大きく転けることなく上がりまで行けます。間違いない。これは逆に考えればわかることで、カーテンを開けずに、庭を楽しむことなく暮らしていたら、誰だってどっかしら具合が悪くなってきます。お天道様に背を向けた不自然な暮らしでは、犬も食わない出来事ですら、人生の崖っぷちにまで追い込まれてしまいます。庭なんてどうでもいいや、そこそこでいいや、などと思ってはいけない。ほんとに、庭は苦難を跳ね除け幸福へと至るために欠かせない、重大にして大切な場所なのです。


秋の夜長に庭で聴く定番アルバム。
もう蚊取り線香を焚く必要がなくなり、
飲み物はビールからワインに変わりました。



ツマミはバケットスライスにバター、
木の実とサラミ、
グリーンサラダにガーリックオイル。
少し温かいものが欲しくなって、
クラムチャウダーをレンジでチン。
これじゃツマミじゃなくて2度目の夕飯だ。
この頃食欲がすごくて・・・
夏の疲れはすでに回復しているので、
体が冬眠の準備に入っているのかもしれません。
まあいっか、冬は少々デブでも。
これも自然の成り行きなり。



 

風の歌を聴け 成長の跡

 庭の打ち合わせで訪問したお宅の玄関先に、鉢植えのサボテンがありました。小さな鉢とは不釣り合いに、大きく育っているサボテンはいかにも根が詰まって苦しそう。奥様によれば、買った時は親指ほどだったのが、10年でこんなに育ったとのこと。その間植え替えはしていないそうで、もしよかったら、とお節介。植え替えついでに、ペイントをした鉢を使い多肉を添えるアレンジをさせてもらいました。



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 まず根本を掘ってみたら案の定、根っこがぎっしりでほんの小さな余地もない状態。不思議だったのは土がない。全部根っこ。根は土を、鉢底の穴から追い出しながらスペースを確保して増えるようです。アンタよく生きていたねえって、サボくんに声をかけて作業を開始。
 そのご家庭は小学生になったお兄ちゃんと、まだ入学前の弟君がいて、二人ともお茶目で元気いっぱい、いい具合に育っています。考えたら奥様は独身時代に購入した小さなサボテンを、結婚と、2度の出産と、何度かの引っ越しを経た今日まで枯らすことなく、手放さずに暮らしてきたわけです。間違っても傷めてはならん、棘の一本も折ってはならんと、作業は爆発物処理班の如く慎重に。



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 太く育った幹には年輪のように成長の跡が見えます。スッゲー!積み重なってきた時間を早回しで見るようで感動的でした。
 多肉の類いは案外気難しくて、「サボテンすら枯らしてしまう」というガーデニングの苦手さをアピールする言い方は違っており、実際にはサボテンを枯らさない人が上級者なのです。コツとしては、こちらのご夫婦が見事に成功させている子育てと同じで、目をかけつつ、手をかけすぎないこと。一見放ったらかし、しかし毎日気にかけて、日当たりや風通しなどの環境は整えておく。



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 新築のひとつ屋根の下で、年若いご夫婦は穏やかに、にこやかに、真面目に、幸福の追求に意欲的な暮らしを送っています。全くもって尊敬に値します。昭和時代には見かけなかった、どこか植物的な夫婦像で、理想の人生に向かう姿勢は自然体、決して力んだりガツガツすることがない。これが今風なんでしょうねえ。おふたり揃って庭へのイマジネーションもしっかりしていて、コンセプトは家族で過ごす外の部屋。横浜にまたひとつ、笑顔が溢れる庭が誕生します。
 何度かの変更設計を経てプランが完成し、現在せっせと施行中。月末頃に行う仕上げの植栽では、時間が経つほどに充実の人生が刻まれてゆく、そんなイメージで植物を配します。



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 賢く暮らすこと、賢い夫婦でいること、賢く人生を築いてゆく方法を、学校では教えてくれない。親から学ぶ事柄です。ぼくらのように賢くない夫婦であっても、子供はそれを反面教師として育ってくれるありがたさよ。反面教師ですから教師を名乗れる立場ではないながら、気がつけば見事な家庭を築いてくれた娘と息子への感謝と共に、その幸運なる展開のコツはと問われれば、やはりそう、目をかけつつ手をかけないこと。一見放ったらかし、しかし毎日気にかけて、日当たりや風通しなどの環境は整えておくこと。



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 1997年(平成9年)のテレビドラマ『ひとつ屋根の下』の主題歌は別れと悔やみの歌でした。枯らさなければその花の大切さに気づかない、失わなければ穏やかな日々の大切さに気づかない、泣き暮らさなければ笑顔の大切さに気づかない、それは昭和から平成時代にあった悪しき慣わし。今時は違います。人生咲いた者勝ちなんだから、毎日を仲良く、楽しく、ひたすらに咲きましょうぜ愛する相棒よ、というのが理想の夫婦なり。いやはやまったく歳をとるほどに、絶え間なく降り注ぐ雪のように、若いお客様から学ぶことが多いなあ。
 肉食獣から草食系、さらには植物的な幸福感へと移行する、それが風の時代の家庭像。 




 
 この人気ドラマを振り返ると、悩んだり揉めたりしなければ幸せは掴めない、
みたいな、時代的な呪いに支配されてうるような気がします。
豪華若手俳優たちのその後に待っていた明暗、悲喜交々を思う時、
人は上昇気流に乗った場面でこそ、
時代の潮流と無関係に、自分と家族の、
幸福の核心を見失ってはいけないんだよなあと思いました。
時代的な呪い、ぼくもそうでした。
何事にも角張って、ガツンガツンとぶつかり合って、
やがて角が取れた美しい丸い石になれるのである。
信念として、そう思っていましたから。
今時は違う。最初から丸く転がれば遠くまで行けるのだ。
ガンダーラ、ガンダーラ、西へ向かうぞ、ニンニキニキニキニン。
それでいいのいだバカボンボン。
 

 

風の歌を聴け 啓示

 植物の成長を眺めていると、閃いたり、気付いたり、さまざまな啓示を受け取るものです。



嬉々として夏の灼熱を遊んでいるうちに、気づけばひんやり秋風が。
何としたことか、既にマンジュシャゲもキンモクセイも終わっているではないか。
疲れを知らない子どものように、時が自分を追い越して行ったのでありました。
それだけ楽しかったわけだけど、なんか、ほろ苦いんだなあ。
咲いてるのは視界に入って知っていたのに、意識がそこへ行かないままに秋の空。
通り過ぎずに、しゃがんで見つめてピントを合わせないと気づいたとは言えない。
はしゃいで駆け回ってばかりだと、気づきはやってこないのだ。


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 今から27億年前、地球上(海中)に出現した生物シアノバクテリア(アオミドロのようなもの)は、光合成という奇跡の能力を有し、それが爆発的な大繁殖をして、水中と大気圏に膨大な酸素をもたらしました。その酸素が、地球に多種多様な生物を生み出す土台となったのです。もしも光合成を行う生物、植物がいなくなったら全ての生物は死滅してしまいます。つまり森林、雑草・草花、苔、海藻こそが、神様が最も愛する生き物で、他は、まあ適当に淘汰を繰り返していればそれで良し、というのが本音というか、生態系の本質なのでしょう。



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 地球は植物の星である。故に彼らの生き方には、地球で繁栄を続けるための知恵、手法、礼儀作法が満ちています。



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 例えば、野の花であれ、森の木々であれ、畑の野菜であれ、ストレスが成長を促します。喉をカラカラにした草花は水分を得るために根を伸ばし、樹木は灼熱の季節に葉を茂らせ影を作って幹と根を守り、枝葉は光を求めて競い合うように上へ伸びます。草は受粉のために花を咲かせ、香り、果樹類は種を遠くへ運んでもらうために実をつけます。そしてあらゆる植物には必ず敵が現れます。最初は争い滅ぶ者もありますが、やがて折り合いをつけて共生をし始めます。天候の変化や外敵の襲来など、生息地に安住できなくなればニッチを探して移動を始めます。



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 人生楽ありゃ苦もあるさ。植物に倣うなら、苦のない人生は滅びの道。問題は苦労に負けない根性と知恵を身につけること。世に溢れる啓発本や名言格言の類いは、庭で植物に導かれた賢者たちが導き出した、根性と知恵の結実なのだ。格言好きな母の影響か、ぼくもその神秘的とも思えるパワーを秘めた言の葉を、コツコツとコレクションしています。



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 ではここで、名言中の名言をひとつ。

明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学べ。
マハトラ・ガンジー

 もう一丁。

「あなたのような強い人が、どうしてそんなに優しくなれるの?」
そう女は問いかけます。
男は答えます。
“ If I wasn't hard, I woulden't be alive.
If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive. ”
「タフでなければ生きてゆけない。優しくなければ生きている資格がない」 
 フィリップ・マーロウ

「タフでなければ・・・」は『プレイバック』に出てくる台詞。
作品的にはこれ、『ロング・グッドバイ』がチャンドラーの最高峰と言われています。



この小説を、夜の庭で何度か読みました。
ついでに設計のBGMとしてダウンロードしたオーディオブックを繰り返し、繰り返し。
その度にほろ苦く、男たるものかくあるべしと思う作品です。
ほろ苦さ、ハードボイルドの味わいはそういうもの。
きっと女性にはわからないだろうなあ、この感じ。
え、わかる?
そんなのオモチャのピストル持って探偵ごっこをしているガキンチョのお話でしょ。
なあるほど・・・女房よ、その見解で良しとしておこう。
“ If I wasn't hard, I woulden't be alive. 
If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive. ”



風の歌を聴け 月を詠む

 さあ、始めましょう。



イザナキが生んだ多くの神の中でも際立って尊い三柱が、
アマテラス、スサノオ、ツクヨミの三貴紳とされています。
アマテラスは太陽神。
スサノオは海原の神。
ツクヨミは月の神。
古事記・日本書紀、天照大御神と須佐之男尊のお話は有名ながら、
月夜見尊に関するものはほとんど出てきません。
その存在は、アマテラスとスサノオという性格相反する二人の間で、
静かに存在する調整役なのだという解釈があるそうな。
静かなる調整役、なるほどですねえ。
であれば、ツクヨミは庭の神様でもあるのです。
今年は十五夜も、十三夜の月明かりも実に見事でした。
ツクヨミは月詠とも書きます。
月詠の命、ツクヨミノミコト。
秋の夜は、庭に腰掛け月を詠む。

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 そもそも『風の歌』って何だよ、と思われるかもしれません。そりゃあ木枯らしや台風の時はビュービューとうなる音が聞こえるが、普段風の歌どころか風のささやすら聞いたことがないよ、と。ぼくもそうです。では、風は歌わないのか。毎朝毎晩庭で過ごしていればわかること、風は常に歌っています。風に揺れる木の葉の音、風に乗って聞こえてくる遠くの汽笛やお寺の鐘、隣家のお嬢さんが奏でるバイエルとハノン、時には夫婦喧嘩の声、それが風の歌。虫の音、野鳥の囀り、音だけではなく揺らぐ木漏れ日、香るキンモクセイ、毎日東から西へと移動する光の移ろい、色の変化、それらも風が奏でる歌声なのです。風は確かに、いつも歌っています。



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 暑かった日に、寒かった日に、楽しかった日に、キツかった日の夜に庭へ出て空を見る。星、月、流れる雲。その向こうには宇宙空間が広がっているのだと、リアルにそう感じる時がある。夏の夜に吹き込んでくる風は、ああ、今オレが全身で受け止めているのは、地球の隅々までもを何周も渡ってきた空気なんだなあと、思いを馳せて雄大な気分になる。この風楽団による交響曲こそが、庭で過ごすことの最大の魅力だと思っています。



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 風の歌を聴け。命令形で失礼します。でもね、聴け、聴いてくれ、と叫びたいほど、その歌は人を自然体へと、つまりはバランの取れた幸福へと誘ってくれる。歌声に唱和している時にしか感じられない大切なこと、同時に風の歌が聞こえなくなっていた時間にしでかした、いくつもの愚かに気づかせてくれる。だから命令口調を使ってでも伝えたい、それが風の歌を聴け、なのです。



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 太古の昔、庭は人々が神と交信する神聖なる場所でした。前方後円墳の前方は屋代で、後円部分は祭事を行う裏庭を意味しているのである、という説があります。アマテラスが拗ねて引きこもった岩戸の前庭で、アメノウズメが半裸のダンスを踊り、暗闇の世に太陽神を呼び戻した庭伝説。さらに遡れば、イザナキとイザナミは庭木をぐるっと回ってから交わりを行いました。西洋ではアダムとイヴが禁断を破ったエデンの園も、園ですから、そこは果樹園を含む広大な庭でした。



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 いつから庭は神聖視されなくなったのでしょう。そういえば、縁側からのお月見も、御伽噺の中にだけ残っている行事となりました。大丈夫なんでしょうか、子や孫たちは。ぼくらが子どもの頃は、庭が自然と交信する生活空間として活かされていました。庭じゃなくても、月明かりの神々しさ、草の香り、虫の声、縁側での幸福な記憶を持っています。しかし子や孫たちは、ぼくらが庭に背を向けて暮らしているのを見て育ち、庭なんて人工芝か砂利でも敷いて草取りをしなくて済むようにしておけばいいのだ、と理解し、カーテンを閉めっぱなで暮らすのを普通のこととして育つわけです。七草粥、菖蒲湯、七夕、盆踊り、十五夜、十三夜、冬至の南瓜、どれもこれも高機密・高断熱で空調が効いた家から出ない者には馴染まない風習。四季があり、自然豊かな神話の国で行われてきた慣わしが、ぼくらの世代で途切れませんように。お爺さん、お婆さん、残り時間に継承の役目を、きっちり果たしてから去りましょうね。





月詠の命よ
ある夏の夜 あなたは突然あらわれた
そして聖なる月光で ぼくに夢を授けてくれたんだ
遠く離れた彼女を届けてくれた
天空から 僕らに愛を送ってくれた
そして今 彼女はぼくの大切な人
素敵だね
僕らはあなたを信じているよ 月詠の命よ

月詠の命よ もう一度あらわれておくれ
ひざまずいて
願っている
あなたのいない夜には
毎晩祈り続けている
僕らはあなたを信じているから 月詠の命よ

あなたのいない夜には
毎晩祈り続けている
僕らはあなたを信じているから 月詠の命よ
月詠の命よ

月詠の命よ もう一度あらわれておくれ
ひざまずいて
願っている
あなたのいない夜には
毎晩だって祈り続けている

らはあなたを信じているから 月詠の命よ
月詠の命よ
月詠の命よ
月詠の命よ

 

風の歌を聴け 長い introduction

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
 僕が大学生のころ偶然に知り合ったある作家は僕に向かってそう言った。僕がその本当の意味を理解できたのはずっと後のことだったが、少なくともそれをある種の慰めとしてとることも可能であった。完璧な文章など存在しない、と。

 しかし、それでもやはり何かを書くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。僕に書くことのできる領域はあまりにも限られたものだったからだ。例えば象について何かが書けたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない。そういうことだ。
 8年間、僕はそうしたジレンマを抱き続けた。ーーー8年間。長い歳月だ。
 もちろん、あらゆるものから何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ける限り、年老いることはそれほどの苦痛ではない。これは一般論だ。
 20歳を少し過ぎたばかりの頃からずっと、僕はそういった生き方を取ろうと努めてきた。おかげで他人から何度となく手痛い打撃を受け、欺かれ、誤解され、また同時に多くの不思議な体験もした。様々な人間がやってきて僕に語りかけ、まるで橋をわたるように音を立てて僕の上を通り過ぎ、そして二度と戻ってこなかった。僕はその間じっと口を閉し、何も語らなかった。そんな風にして僕は20代最後の年を迎えた。




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 ファンにはお馴染みのこの文章から始まる物語を書いた小説家に、気がつけばかれこれ40年も付き合わされているのです。付き合わされている、というのは、ぼくは世に言うところのハルキストではないし、デビューからの四部作と短編集には熱く夢中になったものの、彼がヨーロッパへ移住した1986年に熱病は治まり、その後の読書は古典ハードボイルドへと移行していきました。それでも当代きっての人気作家と手を切ったわけではなく、片岡義男から射してくる明るく軽やかなリゾート感と、チャンドラーの渇いたシニカルをミックスしたような不思議な文体に引き寄せられて、出版されれば読み、読まなくてもついつい買ってしまう繰り返し。「付き合わされている」という言いまわしは、実のところこの小説家お得意の言い回しであって、それは嫌なことではなく、ビートルズがそうだったように、自分の半生とも言えるほどの長い時間の心地よい BGM だった感じがする、という意味です。つまり多感であった頃に流れていたヒット曲が、長生きをしているうちに、いつの間にか教科書に載るほどのスタンダードとなっていた、村上春樹という作家はそういう存在でした。しばしば思考回路のネジをスムースに動かす潤滑油であり、体の疲れと気分の澱みが吹き飛ぶビタイン剤であり、時には進行方向を教えてくれる方位磁石の針だったものですから、現世での数十年間、ジョギング好きな彼と並走できた幸運を、神様に感謝せねばと思っています。



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 先日女房がこんなことを言いました。「あなた、大変大変!産業革命の頃から続いてきた『土の時代』が終わって『風の時代』に入ったらしいわよ」と。やれやれ、彼女はBという特異な血液型のせいか、時々クラクラするほど意味不明なことに興奮しては報告してきます。どうやら自称ヒーラーお得意の占星術から得た知識らしい。興奮状態にある女房に冷や水をかけるような愚行は避けた方が良いという文殊の知恵に従い、ぼくはしばし、とても興味深そうな顔をして高説を拝聴。しかしながら、やはり、修行を極めた文殊菩薩ほどの徳に達していないため、機嫌よく頷く動作に限界を感じ、途中で仕事を理由にして逃げ出してしまいました。こういう場合の彼女の結論は常に同じで「だからあなたはダメなのよ」に移行することを知っていたし、逃げ出す直前にやはりその手の文言を突きつけられたもので、いたたまれなくなりまして、三十六計逃げるに如かず。
 そうやってステップバックで遠ざかったものの、キーワードである『風の時代』がどうも気になる。浴びせられた不愉快な言葉の中に不可解をひとつ置いていくあたりが、ぼくが何よりも苦手とする彼女からのバッシングが、単に嫌がらせとか、ストレス解消ではなく、何かしらをぼくに伝えようという意図があってのことなんだなあと、いつもそれはわかっているのです。
 我が女房殿に限らず、血液型にも関係なく、女性というものは年季が行くほど連れ合いに対して上から目線で、とても否定的な物言いになってくる。針小棒大にクドクドと、何度も何度も。かれこれ4年にも渡って続く(ーーー4年間。長い歳月だ)そういう扱いに抵抗し、ぼくの精神は相当に疲弊しました。ある時意を決し「ぼくはあなたの敵ではなく最大の味方なんだから、そんなにいちいちダメ出ししないでよ。そういう言い方は自分が損をするだけだよ」などと抗ったことがありました。結果は即時反撃の猛攻にあえなく撃沈。もう精神的にフラフラで、我が身のその哀れをついつい愚痴めいて、年長のお客さま(全共闘世代の、闘志ではなくヒッピーだったと、ライカ片手に世界を放浪したと語るジェントルマン)に吐露したところ、おおこれぞまさしく文殊の知恵、実に見事な回答が返ってきたのです。

 ははは、それはね、ファンタジーだと解釈したら全て解決。女性は年を取ると退行する。男は少年ぽくなるでしょ、それと同じ。あなたを母親的に子供扱いすることによって自分のレゾンレートルを確認するんですよ。だからあなたは少年に戻って頷けばいい。お母さんの口うるささは間違いなく、子育てをする女性が持っている本能的な愛情に基づくものなのだから、少年のあなたは手を繋いでいる母を見上げて頷く、それでいいんです。絵本を読み聞かせたり、昔話をしてくれたり、突然びっくりするようなおやつをくれたり、そういう、母が授けてくれるファンタジーの延長が奥様の小言なんですから。ぼくもそうだが、孫がいる年齢になり、夫婦が子供とお母さんに戻る、という設定であると解釈することもまたファンタジーですよ。いいのいいの、それが退行進化。何を言われても気にしない気にしない。せっかくお互い残り時間を考える歳まで連れ添ったんだから、あとは機嫌良く、仲良く、ヘラヘラと半分ボケたようになって暮らすのが正解なんじゃないかなあ。

 父がよく言っていたこと、「お前は不思議だ。それだけ好き勝手やってるのに、行き詰まるといつも他所様に助けられるなあ」。またもやでした。もうねえ、一瞬にして目から鱗がハラハラと落ちまして、確かにそうだなあって思いました。退行進化、ファンタジー、夢幻の如き愛ある世界。折りしも幼児が犠牲になる事件事故、戦争、悲しい出来事が立て続いて、哀れで、悲しくて、何度泣いたでしょう。その中で小さな救いだったのは、亡くなられたお嬢ちゃんのお母さんが、捜索に当たってくれた人たちへの丁寧な感謝をコメントしたこと。そして「これからは静か見守ってください」と。ああいかん、また泣ける。どれだけの精神力でしょうか。そして静かに見守ってください、という言葉の中に、あのお母様は娘の死を、今後に待ち受けている長い長い時間を使い、ファンタジーに変換しようと決心されたのだと、そう感じました。どう考えたって、そこしか出口はないのですから。



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 ファンタジー、例えば河童です。悔やんでも、たとえ犯人を探し出して仇をうっても消えない悲しみ、気が狂うほどの辛さを癒して、心に決着をつける。古来より、そのために妖怪変化の類は生み出されてきました。神隠し、天狗、龍、座敷童子、遡ればスサノオが討った八岐大蛇伝説。遠野物語や宮沢賢治の世界は、か弱き人間が苦難を乗り越えるに必要とした癒しや神がかりを、パチパチと火が熾きる囲炉裏端で、お爺さんお婆さんがトントン昔として孫に語り継いできた物語。辛いけど、それでも生きなきゃならんのだ、という決心に基づいた智慧の結晶が、尻子玉を抜くと言われる恐ろしい、しかし必ずユーモラスな妖怪、河童なのであります。



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 女房は子育ての母へと返り、自分は少年となり、そこにはファンタジックなる世界が広がっているのであると理解すれば、小言にいちいちイラつくこともなく、「うん、わかったよ、お母さん」と、瞳をキラキラさせて頷ける自分。「しょうがないわねえ、この子は」と、厳しくも慈愛に溢れた母の顔の女房。きっとこういうのが人生の楽園、二人の桃源郷なのでしょう。歳はとってみるもんですなあ。



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 まあそれはいいとして、母(女房)曰くの『風の時代』ということが引っ掛かったままになっていたので、庭の書斎で数晩を費やし調べました。Revolution is Evolution 、もしかするとこれがささやかなるマイ・レボリューションのきっかけになるかもしれない、そんな予感がしたものですから。さよなら sweet pain 頬づえついていた夜は昨日で終わるよ。確かめたい、君に逢えた意味を、暗闇の中目を開いて(My
Revolution)。
 するとこれが面白い面白い。どうやら巷ではそこそこの話題になっていることらしく関連本が何冊か出ています。検索したら記事の数も果てしなし。彼女から浴びせられた「あなたの思考は古いのよ。いつまで10年前の話を繰り返しているの?だからあなたはダメなのよ」という弾丸は、今回は見事に的を射ているなあと思った次第。風の時代・・・かあ、ちょいと本気で勉強してみるかな、となりました。そうと決まれば真面目なA型は即行動開始。このことに関して、怪しげなネット記事ではなくちゃんとした本の活字を読まねばなるまい、と思い駅ビルの書店へ向かいました。数冊をぺラペラして選んだのがこれです。



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 吟味したつもりが、これもネット記事同様スピリチュアル漂う占星術本でした。とはいうものの骨子は女房が興奮気味に話していた通り、とても刺激的で興味深い。アロマセラピーであれ、オーラの泉であれ、宗教めいたことであれ、それらは河童と同じく人類にとって必要なことなのですから。ただし、霊性の湖は美しく光を反射する水面と裏腹に、湖底には泥が溜まっています。下手に入り込んだら足が抜けなくなり、か弱い者や苦境に喘いでいる者なら足を取られて、ついにはナルシスのように水中深くまで沈んでいってしまう。故に賢き世の多数派は一般論と前置きをして、霊感商法、カルト、洗脳、などの文言でその危険性に警鐘を鳴らし続けているわけです。
 村上春樹、『羊をめぐる冒険』の下巻にこんなセリフがあります。「一般論をいくら並べても人はどこにも行けない。俺は今とても個人的な話をしているんだ」。そう、全くもってその通り。あらゆる悩みも苦しみも、犬も食わない個人的な出来事。痛みも悔やみも個人の範疇からはみ出ることはない。だから個人が個人の思考で個人的な正解を導き出さなければならない。個人的課題に一般論など役に立たないのだ。ハードボイルドエッグな思考です。春樹氏はチャンドラーを何冊も訳しているし、最も好きなハードボイルド作家はロバート・B・パーカーであると言っているし、彼の思索の庭に、マーロウや、スペンサーや、ぼくがこないだ読んで好きになった、ダ・ヴィンチ・コードに登場する大学教授ラングドン、そんな仲間が集っているのでしょう。
 彼らは占いを信じるタイプではありません。唯一信じているのは神でも悪魔でも、聖書でも法律書でもなく、自分自身だから。レベルは違えど大筋ではぼくもそうなので、一般的な躊躇を蹴飛ばし霊性の湖に入ってゆくことにしました。ただし命綱として、本の半分を占める占星術の箇所はすっ飛ばし、興味に即したエッセンスだけを抽出するという手法で。
  小説と違い、雑誌や専門書の類いは流し読みしながら必要としているポイントだけにマーカーを引き、付箋を立てる、そんな消費の仕方が許されます。所要時間2時間ほど。そして翌日、夕飯を済ませ庭の書斎に出て、YouTubeでジャズナンバーを選択し、宿題に取り掛かる気分で付箋のページを開いてじっくりと読む。 



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 霊性の湖水から抽出した主な内容は以下の通りでした。

 占星術上のタイムラインには火・土・風・水という4つの主軸があり、それぞれが200年〜240年の長さで繰り返し入れ替わってゆく。産業革命に端を発した土の時代が2020年に終わり、次は風の時代がやってくる。それは折りしもか、奇しくもか、Beforeコロナ→ Afterコロナと合致する。コロナ以前が土の時代で、これから来るコロナ以降の世界は風の時代となる。

 土の時代が物質重視、効率優先、立身出世、権威主義、つまり「高邁なる夢を語り、大志を抱いて頂上を目指せ」ということが時代的価値であったことに対して、次なる風の時代は、まず最初に突風が吹き荒れて、それら土の時代の価値観が無惨に消し飛ばされ荒野となる。そして人々は物欲や出世の呪縛から解放され、空気感や精神を重視し始める。

 サン=テグジュペリが言うように、心や、愛情や、目に見えない事柄に価値を見出すようになる。敷かれたレールに乗るのではなく、いくら稼ぐかではなく、無から何かを生み出す確固たる自己のスタイル、独自の価値観を確立した者が幸運なる生存者となる。
労働を苦役から生き甲斐に変化させ、利益のためではなく、楽しさのために働く。

 宗教、団体、会社、SNS、やたらに群れたがることから離脱し、情報を少なく、これまでの『形・お金・ポジション』に引き寄せられることから、『バイブス・波長・波動』に同調しながら相手の『知性の質』に同期してゆくコミュニケーション、小規模な内輪での家族的コミューン形成が望ましい。

 土に時代に英雄視された企業戦士など、過剰に働く者は滅んでゆく。風を読み、上昇気流に翼を広げ、悠々と行く者が天高き世界の幸福を手に入れる。それは同時に、混沌とした地上で自らの権利を主張することから、天空からの視点で、私ではなく私たち(家族)の平安を維持するために生活することが重要になる。

 土の時代では、人格に多少の
歪みがあっても数字で成果を上げれば成功者となった。風の時代ではそうはいかない。健康な精神で風向きを察知しながら暮らす者、心身のバランスが自然と合致する者ほど楽々と幸福に至ることができる。

 マスコミ報道や風潮と無縁に、自らの五感を通して得た理論に従う行動で蓄積した経験則によって、アストロジカルな(宇宙・自然とシンクロする)生き方を目指す。不自然な考え方や言動は弊害を生んでしまい、利己的で、家庭や社会で笑顔なき暮らしを続ける者は淘汰される。

 蓄積(蓄財)の時代は終わった。今後は軽やかに稼ぎ軽やかに使うこと。富を増やして残すよりも、いかにして循環させるかが重要となる。単なる消費ではなく、お金と共に知恵を使い、周囲の人と喜びをシェアするというタイプの人にのみお金が巡ってくる。あまり欲しがらない人にちょうど良く、それが良好な循環。ケチケチし、ガツガツすると貧しくなる。

 恋愛や夫婦関係においては、これまでは派手でパワフルで、社会的な能力値が高い相手を理想としたが、これからはそういった対外的スキルではなく、無人島でも一緒にやっていけそうな人、常にこちらの表情筋を緩ませてくれる、副交感神経をオンにしてくれる癒し系がパートナーの理想像となる。

 ざっとこんなところです。この本を読みながら、繰り返し大谷翔平の姿が浮かびました。彼の神がかり的にして、あくまでも、いたって普通の好青年ぶりはまさしく風の時代の申し子ではないかと。それと大人気番組になっている『ポツンと一軒家』。人里離れて暮らす人の精神と笑顔の、何と健全に輝いていることか。いち早く風をキャッチした者たちの日常は、何と溌剌と楽しげであることか。
 読み進め付箋部分を反芻するうち、疑問というか疑惑も浮かびました。予言的な部分が当たりすぎている。これってもしかしたら後出しジャンケンかも、と思い調べたところさにあらず、出版は2020年11月となっています。2020年、ロシア議会で改憲が成立しプーチン大統領の永続的地位が確定、東京五輪延期、バイデン氏が米大統領に就任、新型肺炎発生のクルーズ船が横浜港に停泊し、日本でコロナ騒動が始まったのはこの年の2月。そう思うと、その後に国内外で起こったドタバタ、悲喜劇のあれやこれやを見事に言い当てているわけで、う〜ん、占星術とかスピリチュアルな世界は、なかなかあなどれないものです。



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  で、何故冒頭が村上春樹だったのかというと、女房が突然発した「大変大変、風の時代が来たらしい」から得たインスピレーションで、『風の歌を聴け』という新カテゴリを設けてみようかなと思い立ったからでした。そこには「あなたの文章はダラダラとくどくて入ってこない。まあ私はつまらないから読んでいないけどさ」という耳タコの批判に対して、無邪気に、素直に呼応し、ダラダラせず、一瞬通り過ぎる風の歌を聴くような言葉を記していけたらいいなあと。その風を感じた誰かが、庭を楽しむ暮らしに開眼してくれたらいいなあという思いで。自分に、はたしてそんなことができるのか、カテゴリ自体が成立するのかなど先行きが見えぬままに、とりあえず女房殿との久々の共鳴を記念して、という意味も込みで、風の向くままにスタートを切ってみます。
 と言いつつ、今日のところはもうしばらくダラダラとさせてください。風が心地よい今宵の庭のイマジネーションを、せっかくなので、書き尽くしておきたいので。そうか、このダラダラがぼくの少年性なのかもしれません。一日中、空ゆく雲を見上げて妄想し、飽きることなく蟻と話し続けているような子供でしたから。お母さん、今夜は許してちょんまげ。本編はサラッと吹きますから。 



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 『風の歌を聴け』は、若き日の、飄々としつつも悩み多き青年だった村上春樹くんが、ある日ふと「小説でも書いていみようかな」と思い立って仕上げた最初の作品です。それがいきなり群像新人賞を受賞するという思いもかけない展開となりました。積極的に目指していたわけでもない小説家という生き方へ、それこそ風の歌を聴き、風まかせに歩み始めるきっかけとなった一冊。その本編は書き出しとは趣が違い、主人公の「僕」が友人の「鼠」とビールを飲みながら展開する出来事と脳内の描写が、ワクワクすることも、悲しくなることもないままに続いてゆくもので、魅力はストーリーではなく空気感、そんな作品。つまり読者にはそこに吹いている風を感じさせるだけ。そうか、だからこのタイトルなんだと、今更それに気づきました。やれやれ、かれこれ10回は読んでいるのに。しかしこれは名曲や名作でしばしば起こることで、サラッとした表層の下に、実はいく層にも渡る仕掛けが施されているのです。それとですね、ぼくにはこれを執筆したまだ無名の彼のことが、アメリカへ渡った時の、いきなりの故障や二刀流というスタイルへの賛否など、途方もなく大きなプレッシャーと不安を笑顔で跳ね除け続けた大谷の姿とダブるのですよ。村上春樹、大谷翔平、一足先に風の時代へと駆け出した賢者たち。



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冒頭に引用した『風の歌を聴け』の書き出し、前書きの続きです。

 今、僕は語ろうと思う。
 もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、語り終えた時点でもあるいは事態は全く同じということになるかもしれない。結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。
 しかし、正直に語ることはひどくむずかしい。僕が正直になろうとすればするほど、正確な言葉は闇の奥深くへと沈み込んでゆく。
 弁解するつもりはない。少なくともここに語られていることは現実の僕におけるベストだ。付け加えることは何もない。それでも僕はこんな風にも考えている。

うまく行けばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。そしてそのとき象は平原に還り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう。

 青年の、グッとくる文章。この長いイントロダクションにこそ春樹氏の思いが重く込められていて、軽やかな本編はオマケのような、そんな解釈もできます。やはりそう、大谷同様に、村上春樹は根っから真面目なお方です。そして京都生まれの神戸育ち、両親共に高校の国語教師という境遇から授かったのであろう品の良さがあります。執筆は1978年、世界中の若者が方向を見失って長い混沌の中にあった時期に、とても当時的な、荒野を目指す青年的な、あるいは旅立つ者の決意書のようなスタンスを前置きして、打って変わってやさしく高揚感を醸し出す本編からは、何度読んでも、今でも風が吹いてくる。乾いた風、湿った風、冷たかったり生温かかったり。当時ウィンドサーフィンに夢中だったぼくにはどこを開いてもページから吹いてくるそれがとても心地よく、その度にセイルの端っこからその風を入れて、混沌の波に揉まれての立ち泳ぎから、スッと水上に身を起こしてウォータースタートを切ることができました。



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 しとしと雨の早朝、「ああ、庭で雨音とジャズをマリアージュして、ピーナッツでビールを飲りながらがら村上春樹を読んだら、どんなにかいい気分になるだろうなあ。さてと・・・仕事に行くか、冷蔵庫を開けるか、それが問題だ」という一瞬の迷いがよぎることがしばしばあります。十中八九冷蔵庫の扉は封印し、音楽だけを流してその日の設計に意欲をたぎらせますが。あ、今はマツムシが鳴く月明かりの庭で、春樹氏も大好きであろうスタン・ゲッツによる『中国行きのスロウ・ボート』を流し、パリッと焼いたチョリソーと、荒く削ったパルミジャーノでビールを始めたところ。とてもいい気分。
 この感じ、この感じ。風の時代が到来して、いよいよ庭が重要な場所になってゆきます。今後200年続く風期の戸口で、ぼくはあと何年、あといくつの庭を提供できるだろうか、などと考えると、とにかく仕事に邁進せねばと思う次第。ただし、毎晩庭でゆったりと、こうして風の歌を聴きながら。
 あ、また気がつきました。この小説には左手の指が4本しかない女の子が出てきます。読めばわかりますけど、彼女の登場が、この作品がファンタジーとして書かれていることを示しています。舞台となっているジェイズ・バー、鼠という名の友人、3ページに一度のペースで飲み続けられるビールと、床に溜まってゆくピーナッツの殻、主人公の僕、全てがひと夏のフェンタジー。それと、これに限らず村上作品にはやたらに音楽が流れている。本作ではビーチ・ボーイズ、マイルス・デイビス、ボブ・ディラン、エルヴィス・プレスリー・・・。そうか、この音楽たちが風の歌なのだ。こんな風に、風とは限りないイマジネーションを運んでくれる気象現象であり、自然界のメッセンジャーなんだなあと。
 あなたにも、どうか風の歌が聞こえますように。そんな願いも込みで、明日からまた、設計設計また設計の日々が続きます。
 


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 ではでは、土の時代の優等生である女房から突然吹いてきた、思いもかけないこの涼風に翼を広げて、新たなる庭物語の始まり始まり〜。

 
 






 

イーハトーブで事件勃発

 ある晴れた日に、孫たちを連れて新潟へ。



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 コロナもあって、実に4年ぶりの故郷魚沼です。稲刈り間近の芳醇な空気は、まるで水中から飛び出して呼吸をした時のようで、体の隅々まで行き渡り、細胞の一個一個、その中で蠢くミトコンドリアまでが歓喜している感じを味わいました。高速を使い、たった4時間ほどでこうして蘇生できるのに、なぜかこの4年間は帰りたいような帰りたくないような。なんだったんでしょうかねえあの気分は。世の中も、そして自分も大変な時期でしたから、ちゃんと横浜で踏ん張っていなきゃなるまい、などと妙に力んで故郷に背を向けていたのかもしれません。



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 さあてと、とりあえず飯だ。孫たちはラーメンを食べたいとのことで、地元の名店『ちんちん亭』へ。すると、何としたことか、お休みでした。どうすっかなあ・・・同じ麺類だし『薬師の蕎麦』だなということに。



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 うまい!孫たちは名物のへぎ蕎麦が衝撃的に気に入ったようで、大人に負けぬ量を食べて大満足。事件は、店のおばちゃんに「うんまかった、ごっつぉさ〜ん」とみんなで店を出た時に起こりました。



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 古民家そのままの昭和レトロな店の玄関先で、足元を小さなトカゲがスススッと駆け抜けたのです。その一瞬を目撃した美空がギャー!と叫んで大泣き。ぼくの足にしがみ付いてギャン泣きを続けています。大人たちはそれがおかしくておかしくて、大笑いしながら「大丈夫だよ、もういなくなったから平気だよ」となだめようやく泣き止み、まだ少し怖いような、あまりに大泣きしたから照れくさいような、そんな顔。駐車場に向かって数歩進んだら今度はバッタが出現。昆虫なら平気だろうと捕まえて見せたらまたもやギャー!ベソをかき出します。



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 困った。普段、虫が嫌いだから庭を楽しめないという、ぼくからしたら大丈夫ですか?と少々心配になる、しかしマイノリティーというには割合が多すぎる婦人方を、どうやって悦楽の庭へと誘導しようかという課題を抱え、あの手この手を駆使しているものですから。よりにもよって自分の孫が虫嫌いとは・・・。娘にそれを話したところ、幼稚園で男の子たちと遊んでいるカブトムシやダンゴムシは全然平気とのことだったので一安心。そうか、トカゲを生まれて初めて見たからショックだったんだなあと理解した次第です。



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 トカゲ、ヘビ、クモ、ゲジゲジの類い、確かに人生の初対面ではエイリアンみたいで気味が悪い姿ですよね。生物好きなぼくでも一瞬たじろぎます。何なんでしょうね、あの嫌な感じ。昆虫では、蝶は美しいのに蛾は気持ち悪い。あと例のあれ、ゴキブリ。イナゴは佃煮にすればご馳走に感じるのに、似たような種であるゴキブリは、どんなに調理しても食欲はわかないと思われます。動物だとハイエナがそうですよね。体毛の生え方や陰気な顔、アンバランスに細い足、何だか卑しい動物に思えてしまって。きっとそれが彼らの、生存に関わる重大な特性なのです。人間社会同様、嫌われ者として繁栄する、そんなニッチもある。しかも多くの場合、それらは人類よりもはるかに逞しく、清く正しく生態系の一翼を担っているのです。
 余談ながら、エデンの園で、ヤハウェから決して食べてはいけないと言われていた知恵の実を、イブに食べるよう促したのはヘビでした。よってアダムとイブは知恵を身につけ、そこから人類の幸福と苦悩が始まったのです。故にイエスは「蛇のように賢くあれ」と語り、ヘビは知恵の象徴として多くの宗教画に描かれています。トカゲも聖書に出てきます。尻尾切りの様子から「弱者を切り捨てる者はトカゲのような存在である」と説かれており、慈愛無き行いの戒めとして扱われています。このように、見た目に恐ろしい爬虫類は、人に自然の畏怖を教え、ついには神秘性から神話や信仰の重要なアイコンとして扱われてきました。日本でもヘビは縁起が良いと言われ、抜け殻を財布に入れたり、額装をして居間の壁にかけたり。つまり自然の姿から受けるショックに意味を探り、恐怖も込みで崇拝する、これが八百万に神の姿を見る、自然豊かな島に暮らす民の、心の豊かさなのである。そう思えば、ただ毛嫌いするのは人として不自然な思考かもしれません。自然と足並みを揃えないと人は不自然になる。不自然な人が引き起こす不幸な出来事は連日報道されている通りですから、どうかくれぐれも、くれぐれも。



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 美空の思いがけないギャン泣きは、きっとヒトの幼児として、生物的に真っ当なことだったのです。神様が任命した嫌われ者に対して、神様の思惑通りに反応したのだと、そう思うと愛おしく、いいぞいいぞ、そのまま素直に成長するのだよ、と抱きしめたくなります。普段接している虫嫌いのご婦人方を抱きしめたいと思ったことはないので、それとこれとは別のこと。美空がこのままの感性ですくすく育てば、昆虫大好き、生物大好き、だから人も大好きな、庭を楽しみまくるお嬢様になることでしょう。



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 横浜へ帰る道すがら、湯沢あたりで美空たちに魚釣りを体験させようと目論んでいたものの、ショックな出来事の直後では、竿に伝わってくるあの命の振動と、吊り上げた魚をその場で串に刺して焼いて食うということがマイナスに作用してはいけないと判断し、次回のお楽しみにとっておくことにしました。自分も、そして息子もそうであったように、魚釣り初体験を人生観に影響するほどの感動にしてあげたい。なあに、急ぐことはない。彼女らの素晴らしき人生は、まだ始まったばかりなのだから。ジイジくんがそのうちきっちりと、山、川、海、自然と遊ぶ歓びを伝授するからね。



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 今回の帰郷の目的は父の葬式。思うことは尽きず、感情は津波の濁流の如くでした。ただ、葬儀の一連が済み横浜へと向かう車中、脳内にはピュアな父への感謝と称賛か満ちていました。見事な人生、見事な終わり方。人はあのように生きて、あのように終わることが理想なのだと。そして自分も家族や親戚やお客さんやご近所さんに、そんな気持ちを残して去って行けるように、その日まで全力で、その日まで真っ当に、生きねばならんのだと。ついに乗り越えることができなかったデカい壁、岩渕又一よ、心から、心から、ありがとうございました。



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 静寂、稲穂、朝露、流れる雲、幼い日の記憶と寸分違わぬ風景。田舎ってのは、やっぱり根っこが元気になります。そして田舎の葬式っていいもんです。いつもそう思います。魚沼から見たらきらびやかな都会である横浜には、越し方のどこかで思考や感覚に田舎を失ってしまった人たちが大勢いて喘いでいる。虫がきらい、植物は苦手、土に触りたくない、太陽光は避けたい、何でカーテンを開けて暮らさなきゃいけないの?と、そういった、来る日も来る日も不安と不満で頭をパンパンにして暮らしている人たちに、越後三山の麓を思わせるような庭があればとても生きやすくなるのになあ、などと繰り返し繰り返し思っています。



虫が嫌いな、庭がストレスになっているご婦人方へ。あなたもよくご存知のこの詩をきっかけにして、ガチガチになっている心に田舎の空気と光と風景と、幼き頃の周囲の人から降り注ぐように与えられた愛情を取り戻せるかもしれません。まずはカーテンを開け放って、ゆっくりと、じっくりと味わってください。
自分は自然の中にいる自然の一部なのだと、そう思えたら、あなたを悩ませているその庭は、人生の楽園、イーハトーブに変わります。


小さい頃は神様がいて
不思議に夢を叶えてくれた
やさしい気持ちで目覚めた朝は
大人になっても 奇跡は起こるよ

カーテンを開いて 静かな木漏れ日の
やさしさ包まれたなら きっと
目に映る全てのことはメッセージ

小さい頃は神様がいて
毎日愛を届けてくれた
心の奥にしまい忘れた
大切な箱 開くときは今

雨上がりの庭で くちなしの香りの
やさしさに包まれたならきっと
目に映る全てのことはメッセージ

カーテンを開いて 静かな木漏れ日の
やさしさに包まれたなら きっと
目に映る全てのことはメッセージ



 

 

 
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