2023年03月

花の革命・愛ある庭

 ロングロングタイムアゴー、かつてこの地上はティラノサウルスなどの肉食恐竜を頂点とする爬虫類の楽園でした。その風景に生えていた、シダやイチョウやメタセコイアなどの裸子植物は草食恐竜の食糧で、恐竜が繁栄するにつれて食い荒らされ、とうとう絶滅の危機に。その危機は食べる側にも及ぶわけで、恐竜たちは飢えに喘ぎ、植物を求めて北へ北へと移動します。折り悪く泣きっ面に蜂で、氷河期が到来。さらには巨大隕石が落ちて、ついにほとんどの恐竜は地上から消えてしまいました。



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 一方植物たちはしぶとかった。散々食い荒らされることに耐えながら生存の道を探ります。耐えて凌いでいるうちに、奇跡の如き大革命が起こりました。それまで恐竜から一方的に虐げられてきた植物は、恐竜とは対極にある小さな小さな生き物、昆虫と手を組んだのです。花と蜜と香りで虫を魅了し受粉する被子植物へと進化を遂げました。さらには同盟を組んだ昆虫以外の動物から食べられないために、アルカロイド、ニコチン、コカイン、カフェイン、カプサイシンなどの毒を身に蓄えることまでも。



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 地上の覇者は恐竜から植物になりました。すると今度は植物同士で競争、レストラン同士の集客合戦が勃発します。お隣さんと咲く時期をずらし、お客様の好みに応じて色形を変え、蜜の味や花の香りも個性的にすることで爆発的に多様な花が生まれました。これで地球は酸素を供給する豊かな緑に覆われ、花咲き乱れ、哺乳類、魚類、爬虫類、昆虫、植物、微生物まで含めてたくさんの生物が調和し共存できる、まさしく生命の楽園になったのです。



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 こうして完成形となった奇跡の星、イーハトーブ。そのままだったら良かったのに、何と何と、500万年前に哺乳類の中からとんでもない猿が幅を利かせ始めます。あの傍若無人な恐竜ですら1億6千万年もの長きに渡って繁栄を続けました。さて、このタチの悪い猿族の運命やいかに。悪猿は滅びを前にして、かつて植物が行ったような革命的変化を起こせるか否か。それは小型化か、翼を生やすことか、昆虫と手を組むか、あるいはSF的に他の星への移住を果たすか。しかし何べん考えてもそんなことは無理っぽい。



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 ひとつだけ可能性があるとすればですよ、それは家族仲良く愛情を育みながら生きること。神様はそういう生き物が好きなのです。花も虫も小動物も、観察すればわかりますけど愛情に溢れ、愛情に基づいて闘い、愛情を育みながら生きている。悪猿だけにその資質が薄い。もうひとつ大事なことは、一億年の生存などを望むより、今日いち日を美しく過ごすことに集中する。悪猿以外の全員がそうしているように。悪猿の中には知恵者もおりまして、二千五百年ほど前に生きていた老子という猿は、「あらゆることの正解は自然の中にある」と言い残しています。無理矢理に我田引水と言う勿れ。やはり庭ですよ、庭。自然を感じながら、愛ある暮らしを送る場所が庭なのです。


 さてさて悪猿の運命やいかに。悟空みたいに、道すがらで三蔵法師に出会えれば良いのですが。





 マグノリア(コブシ 、モクレンなどの総称)は1億5千万年前に起こったその恐竜と植物の攻防戦によって出現し、ジュラ期から白亜紀に入ったあたりで広く地上に分布した花とのこと。それから現在に至るまでほとんど姿を変えずに代を繋いできたわけですから、この花の色形、香り、木の性質には神々しいレベルの正しさ、美しさがあると、毎年毎年そんなことを思いながら見上げて、息を整えシャッターを切っています。


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 ハスの花を大日々如来とするならば、マグノリアの姿は菩薩様、さしずめ観音菩薩でありましょうか。では、お手手の皺と皺を合わせて、弘法大師空海が唐より持ち帰ったガンダーラの真言を唱えましょう。オン・ア〜ビラ・ウンケン・ソ〜ワ〜カ〜〜〜。
 

反省猿・家族の庭

 前回の『ナチュラルな闘争・夜の庭』に補足します。庭を疎ましく思いカーテンを閉め切って暮らすことは病の初期症状である、というような書き方をしました。あ、いや、撤回するわけではなく言葉足らずだったかなあと。もしかしたら不快に思われた方もいたのではと、帰宅し庭で時を過ごしながら、ふとね、そう思ったものですから。



桜咲く。

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一昔前は、桜とはソメイヨシノのことでした。
コロナが去り、人々の感覚が広角レンズとなったのか、
今年はいろいろな桜のことが話題になっています。
ビートルズ解散後に次のビートルズを探し続けた70年代に似て。
サイモン&ガーファンクル、カーペンターズ、ロッド・スチュワート、
ミッシェル・ポルナレフ、ビリー・ジョエル。
結果は時代に君臨する唯一のアイドルではなく、地球人は多様な音楽を手に入れました。
日本では原田真二、喜納昌吉、高田渡、はっぴーえんど・・・。
抑圧の果てに起こる爆発は多様性に落ち着く。
桜は400種類もあるそうで、それがこれまではさほど話題に上らなかった。
花は世に連れ世は花に連れ、時の流れはいとをかし。



 カーテンを開けることなく暮らしている人たちのほとんどは、すいませんでした、直接的に病などではありません。ただカーテンを開けて屋外を感じながら暮らすことの心地よさをまだご存知ないか、知っていても庭に目隠しを施す手間を上回るだけの、庭という場所の魅力をお持ちではないのでしょう。驚くことに、と言うか、残念ながらと申しましょうか、日本には、今日の庭を有意義にイメージするのに役立つような種類の庭文化がなかったわけですから、さもありなん、それはやむを得ないことなのです。故に、カーテン閉め切り族の皆様におかれましては、どうかお気を悪くなさいませんように。いやはや、ぼくの直情傾向はしばしば極端で優しくない言い方をしてしまいます。反省猿で御座候。



ジュウガツザクラ

ジュウガツザクラ



 うちに来てくださるお客様の半数近くが、海外赴任経験をお持ちか、カジュアルに海外旅行を楽しんで来られた人たちです。アメリカ、中国、中東、オーストラリア、南米、ヨーロッパ、アフリカなど、各国の庭事情と、そこで経験した幸福な庭時間のことをお聞きするのが楽しくて、また大きな学びにもなっています。例えばオーストラリアでは、客人はリビングではなく庭に招く。アフリカ人はいい風が吹く場所に家を建てて庭を楽しむ。ガーデニングの本場イギリスは、実は気候が厳しく花を楽しめる期間がとても短い。だから反動で、チェルシーフラワーショーに歓喜するのだ、とか。



カワヅザクラ

カワズザクラ



 日本と同じほどの大きさであるドイツでは、庭関係の市場規模が日本の倍以上だそうです。多くの家に納屋があり、DIYと庭仕事はごく普通な暮らしのお作法のようなもので、土づくりや植物への農家レベルの知識は誰でも持っている(昭和初期までの日本人がそうだったように)とのこと。庭は健康な草花に囲まれて住人が食事をし、家事をし、友人を招いてティータイムを楽しむ場所。スペインではパティオ(中庭)が暮らしの中心にあり、シエスタ(昼寝・長い昼休み)を楽しむことが当たり前。路地の壁と窓際にはプランターの花が咲き誇って、街角の井戸端が地域住民共有の庭として機能している。アメリカ人は広い芝生でバーベキューができなければ庭ではないと思っているし、フランスの郊外では家と庭との境が曖昧なほど庭は暮らしの場所して使われている。各国それぞれに庶民レベルでの庭文化が存在しているのです。



サンバガワザクラ

サンバガワザクラ



 はてさて我が国ではどうでしょう。何も外国がああだからこうだから、真似をしなきゃということではありません。日本には日本の庭文化はあったわけで、縁側、畑、軒遊び、ええっと、ええっと、盆栽、鶏を飼う。洗濯物を干す。ん〜〜〜他に何かありましたっけか。やっぱり真似した方が良さそうですね、お得だし、楽しいし。日本の庭文化は平安時代の発祥から明治・大正あたりまで、お公家さんと武士とお坊さんの世界にのみ伝承され、庶民には縁遠いものでした。江戸時代にいくらか園芸趣味が流行ったものの、人々がイメージする庭はお寺や大名庭園のことであり、庶民の暮らしには無縁の場所。やがて西洋建築が入ってきて、洋館に似合う庭が求められます。芝生、池、花壇など。しかしその時点でも寺社仏閣の庭様式を切り取り自宅に再現するというのがせいぜいでして、そういう庭(文士の庭、雑木の庭、茶庭・坪庭など)を所有し池の鯉に餌を投げることが、豪商、政治家、文化人、成功者のステースになりました。ぼく自身、製糸工場で成功した祖父ご自慢の坪庭を眺める縁側で育ったので、50年前にはまだ庭は男社会のものであり、『家族の庭』というような概念は世の中に存在していなかったという実感があります。



オカメザクラ

オカメザクラ



 そのような日本の庭の現状に疑問を持った、当時30歳のぼくが、いかにして・・・。ここからは長編、大河ドラマになってしまうので、切れ切れに別の機会でということにします。とにかく日本には戸建て住宅での庭文化は育ってこなかった。だから憧れの庭付き一戸建てを手に入れた人たちが、引っ越しをし、庭スペースを前に呆然と立ち尽くすのは当然のこと。 誰だって同じで、とりあえずカーテンを閉めてから暮らしを始めるのはごくごく普通のことなのです。しか〜し、その後に待ち受けている家族にのしかかってくる課題の数々、子育てやら介護やら更年期やら。その課題を苦難ではなく幸福なる暮らしの営みにできるかどうか、という分かれ道。いち早くカーテンを開けて暮らせるように庭を整えるか、あるいは「なんでカーテン開けなきゃいけないの?人工芝敷いたから雑草は生えないし、庭に出てご飯を食べることなんてないし、夜庭で過ごすことなど絶対にあり得ないし」となってしまうのか。



オバコザクラ

オバコザクラ



 庭は建坪率の都合で発生する余剰の地面ではありません。その地面の上にある空中に、家族のための庭空間を生み出してください。どうすればいいのかは、昔と違ってインターネットでいくらでも海外の素晴らしい庭を観察できますから、じっくりと、しっかりと、家を建てる時の真剣さで勉強してください。その空間を、幸福な人生に欠かせない重要な外の部屋にまでイメージすることができたら、カーテンを閉めて過ごすことに嫌気がさすことでしょう。庭を含めた理想の住環境が整えば、カーテンなんぞはあってもなくてもいいような、その程度のものなのですから。



ミヤビザクラ

ミヤビザクラ



 毎朝テレビから報告される、狂った者が引き起こす嫌な事件、悲惨な事故と災害、紛争等々にうんざりしてきた数十年。数十年そうだったんだから今後も変わることなく続くのでしょう。事故と災害と紛争は避けようがないことながら、狂気だけは自分で防御も制御もできること。そしてもっと大事なのは子供を健やかに育て上げること。プーチン大統領は幼少期に父からの激しい暴力を受けて、思考が「強くなることが生きる意味である」という方向一本槍に固まってしまった人であるそうな。殴りかかってくる大嫌いな父を超えるために柔道を習い、国一番の強者となるためにKGBを目指し、素手で簡単に人を殺せる優秀なスパイとなった彼はエリツィン政権に参加。エリツィン引退時に指名されついに大統領になります。



ケイオウザクラ

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 その後もさらに強くなるために、尊敬するスターリンに倣って侵略をし、目障りな部下を平然と粛清し、国内外の人々の幸福を破壊し続けながら、哀れなことに自らは幸福な家庭を手に入れることができなかった。世界的な権力者として君臨している今でも手に入れていない。それは何故だと思います?お金も権力も有り余っているのに何ででしょう。不遇な少年だった彼は円満家庭に憧れたに違いないのですが、そこを目指したことがなかったからです。なぜあれほど有能な人の思考が幸福な家庭実現に向かわなかったのか。体感した経験がないから。知識ではなく体感したことがない世界を想像することは困難なもの。だから笑顔が溢れる家族の庭など到底イメージできない。イメージできないものは実現しない。きっとそういうことなのでしょう。



ソメイヨシノ

ソメイヨシノ



 ロシアvsウクライナは重大にして複雑な国際紛争でありながら、インターネットとNHKのプーチン関連番組で過去を辿ってみれば、とっても単純で些細な事柄に起因していることがわかります。レーニンも、スターリンも、当時ソビエトの敵国であったドイツの宰相アドルフ・ヒットラーも、全員が幸せからは程遠い過酷な家庭環境で育った。習近平もそう。ご存じ北の3代目も。つまりは家庭円満こそが世界平和の前提なのであります。家庭円満、まあるく幸せが満ちる家と庭。お若いご夫婦たちに祈るような気持ちでお伝えしたい。この先いろいろあるかもしれないけど、何が起ころうともとにかく夫婦仲良く、健やかに子育てをして、笑顔が溢れる庭のある暮らしを実現させてください。いやほんとに、世界平和のためにも。



ヤエザクラ

ヤエザクラ



 さあてと、世界を語っている場合ではなく、目の前に積み上がっている設計を、一つ一つ丁寧に、想いを込めて仕上げてまいります。首を長くしている皆様、今しばらく伸ばしっぱなしでご辛抱&ご容赦ご容赦。必ずお役に立てる庭空間を出現させますので。



13歳、中一のある日、夕方から深夜までラジオをつけっぱなしで油絵を描いていました。
驚いたことに、その数時間でこの曲が6回流れたことを覚えています。
衝撃的なヒット曲だったんですよね。


 
 
英語ですらおぼつかないぼくには、フランス語は100%意味不明。
今は便利に、パソコンから訳詞を引っ張ってこれるのでありがたし。


ホリデイ ああホリデイ
空から降りてゆくのは飛行機
その翼の影が
ひとつの街を通り過ぎる
地面はなんて下の方にあるんだろう
ホリデイ

ホリデイ ああホリデイ
教会や公団住宅
彼らが敬愛する神様は何をしている?
宇宙にいる神は
地面はなんて下の方にあるんだろう
ホリデイ

ホリデイ ああホリデイ
飛行機の影は海をとらえる
海面はまるで
砂漠の前兆のようだ
海はなんて下の方にあるんだろう
ホリデイ


見た目だけでなく、澄んだ高音とロマンティークなメロディーと、
わかるようなわからないような歌詞も、
井上陽水と酷似していますよね。
40年の時を超え、ポルナレフ・陽水いとをかし。



 

ナチュラルな闘争・夜の庭

 草原で暮らすか弱き草食動物トムソンガゼルは、群れて暮らし肉食獣から身を守っています。ただし、いくら群れたところでライオンはそれを恐れるはずもなく、逆に好物がまとまって草を食べているのですから、格好の食べ放題レストランを見つけたようなもので群れを襲わないわけがない。ではなぜガゼルは群れているのでしょうか。チコちゃんに教えていただきましょう。



見上げる星空は紛れもなく宇宙空間であり、
渡る風は地球の隅々までを何万回も巡ってきた空気の流れ。
夜の庭にいると、確かにそれが感じられます。


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 なぜガゼルは群れで暮らしているのか。それはね、犠牲者をひとりだけ置き去りにして、群れ全体は楽々と逃げられるから〜。ぼくらが考えると、身内を生贄にするようなその行為はとても残酷な事のように思えます。しかしガゼルたちは、そこに大きな悲しみなど感じていないことでしょう。群生動物にとってはその群れの存続こそが各自の幸福感の源で、少しの犠牲者は全体のために必要なのだという、遺伝子に刻まれた確固たる掟を持って生きている。これは弱者なりに培ってきたナチュラルな闘争手段、逃走のための闘争なのであります。



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 人もまた弱者。故に家族、仲間、社会、上手に群れる者は幸いなり。



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 とはいうものの、犠牲者は最小にしたいし、できるならそのような死に方をする者をゼロにしたいというのが、愛情豊かな我々猿の本意でしょう。ああそれなのにそれなのに、ガゼルに比べてむやみに不条理な死が多過ぎる人間社会の現実よ。不条理とは、「群れを守るため」ということとは無関係に、狂った猿によって突然奪われる命、という意味。ガゼルは狂わない。もしも狂ったとしたら即座に追放される。だから虐待したり殺したり、悪事に酔いしれて群れに迷惑をかけるような者などは、ただの1匹も存在しないのです。



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 昭和時代の悪い癖で、精神に異常をきたした者をを気狂い呼ばわりすることに抵抗がある我が世代。されば柔らかく、クルクルパーと称しましょう。クルクルパーは早々にとっ捕まえて、治療なり指導なりしないとえらいことになる。昭和の御代ではご近所さんが「一度お医者に診てもらったほうがいいですよ、ひどくならないうちに」と家族に指摘してくれたし、ご隠居や、お寺さんや、おばちゃん同士の井戸端会議で議題に乗せて、丁寧にクルクルパーを正常へと導いてくれたものです。今は残念ながらそれがない。最良の対処は「関わらない」こと。だから狂人は孤立し、愛情に基づく支援も拒絶し時には牙を剥き、ますます狂ってゆくばかり。



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 自然界の構成員として、ぼくらはいつの頃からか不自然な性質に陥っているのでしょう。草木であろうと虫ケラであろうと、自らの命を長らえるためには闘争を回避することはできない。生きるために、よりよく生きるために、敵とは対峙しなければならない。遠い国ウクライナのことは横に置いとくとして、身近では夫婦間で、親子で、家庭内であっても闘争を抜きにして平和は維持できないのです。闘争か、逃走か。知恵ある者は闘争を回避し逃走を選択する。しかしこれがなかなか厄介でありまして、逃げの一辺倒では幸福なる家庭は儚く崩れてゆく。夫にも、妻にも、子供にも、上手な闘争を展開する能力が必須なのです。



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 では上手な闘争手段とは如何なものであるか。それはですね、トムソンガゼルのように、ナチュラルであること。軸足を群れの掟、自然界のお作法から外さないで、愛情を持って闘うこと。困難に際して足元をすくわれ、不自然な領域に転げ落ちてしまった者は思考に障害を起こしてしまう。引きこもり、ゴミ屋敷、弱みにつけ込む宗教まがい、家庭不和、アルコールやギャンブルや各種依存症。不安に負けて、あるいは何かに深く傷ついて、カーテンを閉め切り膝を抱えてうずくまる人の哀れさよ。そう、心が病んでゆく入り口に必ずあるのが、庭を疎ましい場所であると認識してしまうことなのです。間違いない。本来であれば、健康と幸福の維持に不可欠な価値あるスペースなのに、それを見たくもない、出たくもない、雑草だらけの嫌いな場所にしてしまうことは、自然に背反する、症状とも言えること。ただしそういう家があまりに多いので、そこに危機が潜んでいるのだという声を上げる人など皆無なわけです。



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 庭に背を向ける人はガゼルが持つナチュラルさを失い、軸足が自然から離れ、やがて不自然な暮らしに喘いで愛情を見失う。当然のことながら諸問題に抗う気力など残っていようはずもなく、締め切った部屋で怯えて過ごすのみ。何度も目撃してきたカーテンを開けない人たちの叫びのような沈黙。かく言う我が家でも、これまでに何度かそういう場面がありました。実家でも、田舎の隣近所でも、お客様、庭を楽しむ賢者の方々であっても山あり谷ありで、やはりそんな時期を経験されているわけで、ぼくは例外を知りません。つまりは人類全員がクルクルパー予備軍であることは確かなようで、プーチンは狂っている、ルフィーとその一味は、ゴミ屋敷の偏屈爺さんは、などと言ってる場合ではなく、己が身と家族の健全さをキープすることが人生上の最重要課題なのであります。



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 こういうことというのは、他人事であるうちはピンとこない。ところが自分事となると、これほどキツいことはない。実際に我が身内がほんのりと軽く病んだだけで、ぼくにできることは少なかったのです。助けなければ、救わなければと四六時中その方策を考えても、クルクルパー側は抗ったり引きこもったりを繰り返すばかりで、しかしこっちは必死のパッチ。何日経っても、何ヶ月経過しても課題は解決することなく、手も足も出ないままに自分は疲弊してゆくばかり。唯一、必死でやり通したのが毎晩庭に出てひとりの時を過ごすことでした。ぼく自身の精神が自然から離れてクルクルパーに陥ってしまったら、結果として愛する家族を守ることができなくなってしまいますから。そんな思いで庭での時間を過ごし、それはすっかり習慣化して日々の大きな楽しみとなった頃に、ゆっくりとクルクル家族は回転を止め、危機の深みから浮き上がってきてくれました。その何度も何度も諦めるしかないのかとへたり込んだ経験が、面白いことに、その後の庭設計に変化をもたらしまして、こうして充実の提案が立て続いています。庭によって危機を切り抜けられたことと、その経験が仕事に活かされたこと、ぼくは幸運であった、太陽神アマテラスの思し召しなり、としか言いようがありません。



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 ナチュラルな闘争。苦難と闘わない者は、ベートーベンが第九で歌い上げている如くに去るしか道はない。愛情を失い闘い方を誤った者も、家族であっても家庭という群れから排除される運命を辿る。残酷なようでもそれはどうしようもないこと。群生動物ホモサピエンスに幸あれ。庭ですよ庭。庭があなたの正常性をキープしてくれる大切な場所。庭ごときで何を大袈裟な、と思うなかれ。今現在正常な精神で暮らしているあなたが、その健全な心のままで人生のゴールまで辿り着ける可能性が極めて少ないことを、年配の方ならご存知のこと。幼児には幼児期の、青年には青年期の、成人、中高年、老年、至る所にクルクルパーの落とし穴はある。最低限自分はそこに落っこちないように、軸足を自然に置いて暮らしましょうぞ。見事に、最後まで。 



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 久しぶりのアップがごんなエグい話で申し訳なし。大谷の活躍に感動し、感動した分、相も変わらぬ世の中の悲惨な事件やら、これまた絶えることなく持ち込まれる、庭にまつわる不愉快なご近所トラブルのことが脳内に浮き立ちまして、ここいらで一回クルクルパーへの見解を整理し書いておこうと思った次第。ついでにもうひと言、幸運にも本日精神が健やかで、侍ジャパンに感動した皆様へ。過ごすタイプの庭の場合、日中よりも夜の方が何倍も癒しを与えてもらえます。ほんの5分でいいから夜風と星空を楽しむことをお勧めします。けっこう真剣に、愛と平和な世界を実現するために。っと、「するために」は尊大にすぎるので、 世界が Love & Peace に向かうことを願いつつ、くらいで。


『 愛なき世界 』

16歳、少年ポールがジョンと知り合った頃に作った曲。

 

ポールは最初から、完成されたポール・マッカートニーだったことがわかる一曲。
だから今も少年のままなんでしょうね。
大谷も少年のままでいることが完成形という稀有なる人。
見当はずれかもしれない、穿ちすぎかも、と思いつつも、
大谷は、銀河鉄道の夜の主人公ジョバンニと、心根が同じ気がして。
曇りなく優しくて、ひたすらにまっすぐで。
 昨夜、庭の書斎で何度目かの一気読み。
宮沢賢治は軸足が自然の大地から生えているような人でありまして、
登場人物もまた、悪人であっても、狂人であっても、
不自然な者が存在しない。
いじめっ子も、世の不条理な死も、怪しい人物も、
何もかもが夜の庭で浴びる天空に溶け込む、雄大な営みから降る一欠片。
キラキラキラキラ、光っているのです。
イーハトーブを思い描いていた賢治さんの作品こそが、
現在ぼくらが触れることができる、
心象世界にある理想郷なのかもしれません。
ああ、カムパネルラの魂よ我に乗り移れ。
ほんとに、夜の庭時間を、たった5分で構わないからあなたもぜひ。
そうすることで何かが大きく変化するか、あるいは整うか、
いずれにしてもそこには、ジョバンニが目指していた、
すべての者が幸せに暮らす世界の入り口があるのです。
 


ご近所のミモザアカシア美しや

 自宅から少し離れた駐車場までの坂道を、早朝と夕方、毎日歩いています。横浜市港南区日野、狸が住み着いていたであろう丘陵を切り拓き、人類用に宅地造成されたのが4〜50年前でしょうか。住民の多くがぼくよりも年長の方なので、ゆったりとした空気感が漂う、いい具合に年季の入った住宅地。ご近所のお年寄りと立ち話をしていたら、売り出し当時は人気が高くて何十倍かの抽選だったとのこと。50年前とはつまり昭和40年代。35年生まれのぼく的には5歳から15歳、保育園から小学校中学校までの、いわば猿が人間に成長した期間です。



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 その頃に、イワフチ少年が存在すらイメージしていなかった、遥か遠い横浜の新興住宅地では、当選に歓喜して、ありったけのお金と組めるだけのローンを手続きして買った土地に、ワックワクで家を建てて暮らし始めた人たち。あれから幾星霜、所々にはお若いご夫婦が新築をして、公園では子供たちが賑やかにボールを蹴っている。きっとヒーローは三笘なのでしょう。ワールドカップ以降、男女を問わず、ちびっこたちの間にサッカーブームが起こっているようです。



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 昭和40年代、実家が家電屋だったために、カラーテレビ、電気洗濯機、冷蔵庫が飛ぶように売れていた活気を記憶しています。世は三種の神器にとどまらず、マイカーブーム、トリスを飲んでハワイに行こう、家具のようなデカいステレオコンポが鎮座した。そうそう、若者が自分たちの音楽を獲得したのも40年代でした。大人たちがコンポで『南太平洋』を流し、茶箪笥から取り出したジョニ赤をちびちび舐めているのに対して、ぼくらガキどもは与えられた自室に篭りまして、ラジカセでフォークソングとロックを聴き漁って、ギターをかき鳴らしていた。



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 核家族化は、まさしく核融合のように止めどなく広まりました。好景気が続いて、開発、発展、拡大も止めどなし。人々の究極的な夢は庭付き一戸建てを手に入れることとなったわけです。庭付き一戸建て、後にぼくはその時代の流れの中に浮かんだ『夢』を舞台として、庭を思い描き出現させてゆくことを生業とするわけで、見ようによっては時代に乗ったことの幸運に感謝せねばと思ったり、いやいや時代の開拓者だったのであ〜る、と、胸を張ってみたり。



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 しかし考えるべきは我がことではなく、坂道の途中にある一本のミモザの木のこと。ここ数日、その姿形に足を止めて感動しきり。美しいのです。これは植木屋が持つ剪定セオリーでは絶対に仕立てられない。時々奥様が通販で買ったのであろうと思われる高枝切り鋏を使い、チョンチョンやっている。声をかけたら「切らないと電線に届いちゃうから」と、徒長枝だけを切っています。専門知識など関係のない、丁寧な暮らしの積み重ねで仕上がった樹形で、故に下枝も揃ったダルマ型に満遍なく小枝が揃い、全体的に咲いている。



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 このお宅には他にも、ナニワイバラ、セイヨウニンジンボク、コニファー、数本の雑木の類が植っていて、玄関先には手作り風のプランターに季節の花がアレンジしてあります。どれもこれも幸福感が伝わってくる元気さと姿の良さで、これまたやはりプロにはできない、その奥様ならではの世界観。ぼくがいつも立ち止まって眺めるせいでしょうか、顔見知りとなりまして、しかし会話するほどではなく笑顔と笑顔で軽く頭を下げ合うだけの関係性ながら、朝に晩に、そのお宅の庭へを目を向けつつ「いい人生を歩んでこられたんだろうなあ。こなふうにう暮らさなきゃなあ」と思うのであります。



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 昭和は遠くなりにけり。しかし昭和人は、そろそろ人生の仕上げをする季節。終わりよければすべてよし。花咲く人生であったと振り返ることができるのは、今日の庭に花咲かせる、丁寧な暮らしを送っている人限定なのかもしれません。越し方にお風景込みで花咲かす、老いるとは、なんと豊かであることか。ご同輩、庭ですよ庭。素晴らしき人生は百花繚乱、四季折々に花咲かす暮らしぶりなり。




あ、今日は誕生日だ。
え〜っと、63歳、かな?
するってえと、今日の出囃子はこれですな。




ちなみに、ミモザアカシアの花言葉は
「優雅」「友情」「秘密の恋」。
豊かだなあ〜。



 
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