あまりに急激な秋の到来に、戸惑うペリカン海辺のカフカ。カフカとは、チェコ語でカラスの意なり。オーディオブックで『海辺のカフカ』を朗読しているのは木村佳乃で、これがとってもいい感じ。い〜い仕事してますなあ〜。ところが旦那の東山新社長は嫌な感じ、苦難の日々が続いていますねえ。人生どこで何が待ち受けているかわからないものです。どうか頑張って、早くいい感じの活躍をしていただきたい。いい感じを配っては幾らかのお足を頂く、それが古来よりの芸能であり、芸能人の仕事でしょ。聴衆を嫌な気持ちにさせるようでは食いっぱぐれるだけのこと。あんなにカッコよかったのに。確かに、飛び切りカッコ良いかったのに。
人々は、恩恵を受ける何の仕事に対しても、自分と自分の愛する人をいい気持ちにしてくれることだけを求めているわけです。豆腐屋、花屋、タクシーの運転手、各種工事業者、そして宗教かや政治家にもね。
『1973年のピンボール』より
金星は雲に覆われた暑い星だ。暑さと湿気のために住民の大半は若死にする。三十年も生きれば伝説になるほどだ。そしてその分だけ彼らの心は愛に富んでいる。全ての火星人は全ての火星人を愛している。彼らは他人を憎まないし、うらやまないし、軽蔑しない。悪口も言わない。殺人も争いもない。あるのは愛情と思いやりだけだ。
「たとえ今日誰が死んだとしても僕たちは悲しまない」
金星生まれの物静かな男はそう言った。「僕たちはその分だけ生きているうちに愛しておくのさ。後で後悔しないようにね」
「先取りして愛しておくってわけだね?」
「君たちの使う言葉はよくわからないな」と彼は首を振った。
「本当にそう上手くいくのかい?」と僕は訊ねてみた。
「そうでもしなければ」と彼は言った。「金星は悲しみで埋まってしまう」
金星人たちが、そのような完璧なる平和主義者となった理由、プロセスを考えてみる。地球人の感覚では、そうなるに値するだけの大きな悲劇と膨大な悲しみを経験した末に達した、達観、進化だったのかもしれない。いや、待てよ、人類にそんな進化があろうはずはない。道徳の教科書や各宗派のバイブルでは割り切れないのが社会であることを、否定できる者はいないから。気が違ったような、まるで意味不明な言動を繰り返しながら残酷な苦しみを連鎖させてゆくのが人間なのだから。だとしたら彼らは・・・そうか、金星人は植物から進化した人類なのかもしれないなあ。完璧な平和主義はとても植物的だから。
猿からではなく植物の末裔。悲しみで埋まってしまうことを避けるために愛する、という思考を持てない、それが猿の悲劇なのだ。故に戦争がデフォルトなのだ。あの映画のラストシーンを、遺跡と化した女神の姿を、悲しいかな、もう地球上で誰一人覚えている者はいない。猿だから仕方のないことではあるが、とほほのほ、子供を殺された人の悲しみを、地球上で誰一人、真に共有することなどできないのかもしれない。猿だから。猿だから。植物に学ぶこともできない猿だから。
さてと、猿者は追わず、火星人に向けた我が仕事に一意専心、猪突猛進。人をいい気持ちへと誘なう庭を、設計設計また設計。金木犀の香りに包まれつつ仕事に意欲をたぎらせる、これが幸福ということなり。苦悩の中にある人は、花の香りなんぞに気づかないですからね。
谷村新司は、いつもそんな自然からの細やかな恩恵に強く感動する人でしたね。昔々のそのまた昔、大湯温泉の湯治場で、谷川のせせらぎとカジカガエルの声を聞きながら読んだエッセイ『蜩 ひぐらし』のことが、あの時間が忘れられないのです。「ああ、こんなにやさしい気持ちで夢を追ってもいいんだ」と、そんな感慨が、中二病のぼくに、カチ、カチ、カチとウインカーを出してくれました。チンペイさん、安らかに。そして感謝しています。
人々は、恩恵を受ける何の仕事に対しても、自分と自分の愛する人をいい気持ちにしてくれることだけを求めているわけです。豆腐屋、花屋、タクシーの運転手、各種工事業者、そして宗教かや政治家にもね。
今年はキンモクセイの香りが猛烈に強い。
あの夏が影響しているのでしょうか。
異様な暑さに危機感を抱き、
何くそ、負けてたまるかと、そんな咲き方のように感じます。
コンチクショウパワーは、植物によく見られる現象です。
人生で何度か、人にもその力が宿ることがあり、
奇跡に次ぐ奇跡で窮地を脱する、のみならず、
信じ難い成功体験をするのです。
あの夏が影響しているのでしょうか。
異様な暑さに危機感を抱き、
何くそ、負けてたまるかと、そんな咲き方のように感じます。
コンチクショウパワーは、植物によく見られる現象です。
人生で何度か、人にもその力が宿ることがあり、
奇跡に次ぐ奇跡で窮地を脱する、のみならず、
信じ難い成功体験をするのです。
『1973年のピンボール』より
金星は雲に覆われた暑い星だ。暑さと湿気のために住民の大半は若死にする。三十年も生きれば伝説になるほどだ。そしてその分だけ彼らの心は愛に富んでいる。全ての火星人は全ての火星人を愛している。彼らは他人を憎まないし、うらやまないし、軽蔑しない。悪口も言わない。殺人も争いもない。あるのは愛情と思いやりだけだ。
「たとえ今日誰が死んだとしても僕たちは悲しまない」
金星生まれの物静かな男はそう言った。「僕たちはその分だけ生きているうちに愛しておくのさ。後で後悔しないようにね」
「先取りして愛しておくってわけだね?」
「君たちの使う言葉はよくわからないな」と彼は首を振った。
「本当にそう上手くいくのかい?」と僕は訊ねてみた。
「そうでもしなければ」と彼は言った。「金星は悲しみで埋まってしまう」
金星人たちが、そのような完璧なる平和主義者となった理由、プロセスを考えてみる。地球人の感覚では、そうなるに値するだけの大きな悲劇と膨大な悲しみを経験した末に達した、達観、進化だったのかもしれない。いや、待てよ、人類にそんな進化があろうはずはない。道徳の教科書や各宗派のバイブルでは割り切れないのが社会であることを、否定できる者はいないから。気が違ったような、まるで意味不明な言動を繰り返しながら残酷な苦しみを連鎖させてゆくのが人間なのだから。だとしたら彼らは・・・そうか、金星人は植物から進化した人類なのかもしれないなあ。完璧な平和主義はとても植物的だから。
猿からではなく植物の末裔。悲しみで埋まってしまうことを避けるために愛する、という思考を持てない、それが猿の悲劇なのだ。故に戦争がデフォルトなのだ。あの映画のラストシーンを、遺跡と化した女神の姿を、悲しいかな、もう地球上で誰一人覚えている者はいない。猿だから仕方のないことではあるが、とほほのほ、子供を殺された人の悲しみを、地球上で誰一人、真に共有することなどできないのかもしれない。猿だから。猿だから。植物に学ぶこともできない猿だから。
さてと、猿者は追わず、火星人に向けた我が仕事に一意専心、猪突猛進。人をいい気持ちへと誘なう庭を、設計設計また設計。金木犀の香りに包まれつつ仕事に意欲をたぎらせる、これが幸福ということなり。苦悩の中にある人は、花の香りなんぞに気づかないですからね。
谷村新司は、いつもそんな自然からの細やかな恩恵に強く感動する人でしたね。昔々のそのまた昔、大湯温泉の湯治場で、谷川のせせらぎとカジカガエルの声を聞きながら読んだエッセイ『蜩 ひぐらし』のことが、あの時間が忘れられないのです。「ああ、こんなにやさしい気持ちで夢を追ってもいいんだ」と、そんな感慨が、中二病のぼくに、カチ、カチ、カチとウインカーを出してくれました。チンペイさん、安らかに。そして感謝しています。
この頃ハマっている動画。これが芸能でしょ。
何よりも、この若者の健全さが心地よし。
コロナ以降、清々しい芸能事に飢えているのだ。
何よりも、この若者の健全さが心地よし。
コロナ以降、清々しい芸能事に飢えているのだ。