この仕事は設計半分、現場半分のため、雨が続くと現場が滞ってしまいストレスになる。しかしそれも何千回と繰り返せば慣れてしまって、今はもう気にはならない。「仕方ないじゃんか、雨なんだから」と、心配事を消し去る思考のテクニックは、気づけば筋金入りとなっている。
ガーデンデザイナーはガーデンクリエイターでもある。ぼくはそうでなくてはならないと思っている。デザインはカンヴァス上ではなく、実際の庭空間に描かなければ価値を持たないのだから。だから、天候との付き合い方も大事な事柄となる。ゆえにガーデンデザイナーは空模様と並走するお天気屋、気ままなナチュラリスト、というのが理想像なのかもしれない。
晴耕雨読。
晴れたら現場へ行き、降ったら設計。設計の他にも雨降りにやってしまいたいことは、設計以上に山積なのだ。仕事以外にも、読みたい本、聴きたい音楽、作りたい料理、ネットではなく店に出向いて現物を物色したい洋服、リネン、雑貨・小物類など、限りないものそれが欲望。
晴耕雨読。思惑通りにならない天候には抗うことなく、降ったら降ったでええやないか、やりたいことは限りなくあって、そこから雨音に相応しいチョイスをすればいいだけのこと。天候に合わせた行動を選択するくらいのスキルは、さすがに備わっておるのだ。
テレビではキャスターが「今日はあいにくの雨で」と繰り返す。「昼から降り出しますから傘をお忘れなく」。小学生か!と突っ込むことにも飽きて、「ご親切にありがとうございます」と内心で皮肉混じりに返事をする。ぼくは「あいにく」とは思えない。台風であろうが長雨であろうが、雨はいつも恵みの雨。空からの水に歓喜する庭の植物的な感覚かもしれないが、いつもそうとしか感じられないのだからしょうがない。雨音はショパンの調べ。しとしと降ればノクターン、ザーザー降りなら英雄ポロネーズ。誰が言ったか知らないが、雨音は、バッハでもモーツァルトでもなくフレデリック・ショパンの調べでなければ馴染まない。実に見事な比喩である。
いや、ほんとに、今日の雨音は質がいいんだよなあ。きっと藤原ヒロシの昔の音源を発見したからだと思う。それを店のBGMにして、その音のバックグラウンドに雨音。これがマリアージュってやつなのだよ。藤原ヒロシ、ぼくよりも三つ下だから還暦親父ながら、年齢不詳のなかなかカッコいい、いい感じの男。久しぶりの良き出会いというか発見。知らないでしょ、藤原ヒロシ。ぼくはついこないだまで名前も存在も一切知りませんでした。少年の頃からアンダーグラウンドで好きなことだけに熱中し、いつの間にかNIKEとコラボとか、メインストリームの偉人になっている人。しかも思考は少年のままで、少年には成し得ない本物感を持っている。そんなのありなんだ、と、頭が少年というかガキのまんまで浮遊しているぼく的には、なんか、彼の存在に救われた気がして。こんなんもありなんだよって。だからしばらく藤原ヒロシに夢中で過ごしてみようと思っているしだい。とりあえずAmazonで関連本を購入。夜の庭での楽しみがまたひとつ増えた。いい感じいい感じ。還暦過ぎたら、日々、お楽しみを増やしてゆくことが肝要なり。
それどころか、次代に味わいを増して響くんだなあ。
ああ、いい感じいい感じ。