ダレサラームでは当時、ガソリンも配給制に近く、特に日曜日の午後はドライブが禁止されました。ガソリンを節約するためです。でも海が近くにあり、そこでは、魚もロブスターやウニなどもふんだんにとれました。小さなヨットを自宅の庭において、海まで運んだものです。海は珊瑚礁で透き通る美しさです。水中めがねをつけて少し泳いでいると突然魚の群に囲まれて怖くなることがあるほど魚はおおかったです。水際に立っても魚が足にぶつかるのがわかります。
また、電気が不自由で、夜の停電は当たり前、ついている時でも電圧が不安定で、電気が明るくなったり暗くなったりで、安定しませんから、本などよみづらいのです。当時、子供には私が勉強を教えていましたが、夜は電気が不安定なため、毎朝、4時過ぎに起きて、黒板を使って教えました。日本人学校は補習校なので授業は午後だけで、午前中はイギリス系のInternational Schoolにいっていました。このInternational Schoolでも英国やフランスからの先生達が柔道を習いたいといい、毎週2回、夕方、教えにいきました。勿論生徒達の柔道クラブもあって、それが終わると先生達の時間でした。やはり、イギリス人やフランス人は腕力がすごく、教えるのに苦労をしましたが、先生も生徒も、とにかく柔道や日本の文化に非常に興味を持っているのに感心しました。柔道が縁でいろいろの人と親しくなることが出来、このアフリカの果てで、けっこう楽しい友達がたくさん出来ました。日本ではもう、あまり人気のない柔道が外国人にどうしてこんなに人気があるのか不思議に思いました。ある時、そのフランス人の教師が私にいいました。自分は日本が好きだ、それは禅と柔道があるからだといいました。
アフリカではボランティア活動が盛んです。タンザニアでは、私の家内はダレサラームでイギリス人のボランティアグループに加わり、重い障害を持った人たちを海岸で遊ばせてやる活動をしたり、町から何十キロも遠い、奥地にライ病患者の施設があり、そこには、学校の校長先生等と出かけていました。一般に欧米人のボランティア活動は奉仕の精神が徹底しており、とにかく貧しい人、困難な状況にある人たちを献身的に助けていますが、日本人のボランティア活動は売名行為に堕落したり、また寄付を集めた金儲けに走っているのが少なくありません。欧米人はキリスト教の精神に基づき行動しているのに対し、日本人は精神的なバックボーンがないためではないかと思います。一度インド人がいいました。イギリス人はキリスト教、インド人はヒンズー教、パキスタン人はイスラム教を信じるが、日本人はマネー教を信じるねと。日本人、日本の会社などがすべての物事をあまりにもお金儲けというか金銭的な利益の尺度で測るようになっていると思われます。
タンザニアでは国民1人の年間収入の平均値は4万円くらいですから、世界でも極貧国のランクに入ります。人々は履き物もなく、衣服もわずかで、勿論お金はありません。仕事もなく、ブラブラしている人があふれているのですが、それでもあまり不自由には見えません。私が田舎道を車でいき、かなり奥にいくと、道が狭くて凸凹で進むことも戻ることも出来なくなると皆が出てきて車を持ち上げて向きを換えて押し出してくれます。そういう人達の生活を見ていると、人間はこれで十分幸せで、多分、今の私達に負けずに幸せなのだと思います。いまだに土でおまんじゅううのように家の型を作り、牛の糞を厚く塗って固めた家の中に電気もなく、水道もなく、大勢の子供の家族が住んでいます。こういう人々に自動車や加工食品などを紹介して、欲しがらせることから、間違いは始まるのでしょう。当時のタンザニアの大統領はニエレレという哲学者でアフリカの第一の精神的なリーダーでした。いつも人民服を着て草履履きで、アフリカの独立の為に生涯を捧げた政治家でした。ある時、世界銀行の総裁がダレサラームに来て、演説し、これからタンザニアの生活をよくする為に、世界銀行がお金をかしてやるから、条件がある。もっと、外国からの輸入を進めるように輸入制限を撤廃せよ、食料や生活物資の値段を政府がコントロールせずに自由化せよ、鉄道や、住宅の国有を止めよ、病院も私立の病院を認めよと、いろいろの条件を付けました。社会主義の国ですから、いろいろアメリカとは違います。その世銀の総裁の演説にこたえてニエレレはいいました。何が世界銀行だ、いつからあなたは世界を支配していいことになったのか。ここは自分たちアフリカ人の国である。必要なことは自分で決める。お金はいかにもない。お金はなくても平気だ。自分達はいつまでもこのまま、また森に帰ってお金がなくても生活は出来る。本当はお金を貸せないと困るのは世界銀行のほうだろう。お金をかりなければタンザニアはアメリカから自動車を輸入は出来ないし、そうなると困るのはアメリカの方だろうといい放ちました。
タンザニアでは日本からの援助でいくつもの開発プロジェクトが展開しています。その一つにキリマンジャロの麓での稲作プロジェクトがあります。キリマンジャロの豊富な地下水を利用して日本と同じ水田を作りそこに日本の稲作を行い、成功しました。地域の農民はかなりの収入が出来、これは日本からの成功したプロジェクトとしてよく紹介されます。ただ、ダレサラーム大学のタンザニア人の教授は、この貴重な水資源を大量に使い、水田で日本のようなおいしいお米を作る稲作より、あまり水を使わないアフリカ本来の陸稲にすべきではないかといっていました。やはりアフリカではアフリカのやり方があるのだと思えます。親友のアフリカ人がいいました。みんな外国人はいろいろ考えて、お金やモノや人を送ってくれて、本当にご苦労だが、あまりお節介はしなくていいのだけどねと。
1982年に私はダレサラームでの駐在生活を終えて、家族と日本に帰りました。ダレサラームでは貧しいながらも、幸せに暮らす人々にあい、美しい海と、広大なサバンナに囲まれて、我がアフリカでもっとも楽しい時を過ごしました。


〈アフリカの庭と同じように実のなるものを植えたいということで、ブドウとミカン、他にもいろいろと実をつけています。〉

このシリーズ、長い読物はどうかなと思いつつ始めましたが、多くの方に好評なのでホッとしています。あと数回続きますのでよろしくお願いします。
また、電気が不自由で、夜の停電は当たり前、ついている時でも電圧が不安定で、電気が明るくなったり暗くなったりで、安定しませんから、本などよみづらいのです。当時、子供には私が勉強を教えていましたが、夜は電気が不安定なため、毎朝、4時過ぎに起きて、黒板を使って教えました。日本人学校は補習校なので授業は午後だけで、午前中はイギリス系のInternational Schoolにいっていました。このInternational Schoolでも英国やフランスからの先生達が柔道を習いたいといい、毎週2回、夕方、教えにいきました。勿論生徒達の柔道クラブもあって、それが終わると先生達の時間でした。やはり、イギリス人やフランス人は腕力がすごく、教えるのに苦労をしましたが、先生も生徒も、とにかく柔道や日本の文化に非常に興味を持っているのに感心しました。柔道が縁でいろいろの人と親しくなることが出来、このアフリカの果てで、けっこう楽しい友達がたくさん出来ました。日本ではもう、あまり人気のない柔道が外国人にどうしてこんなに人気があるのか不思議に思いました。ある時、そのフランス人の教師が私にいいました。自分は日本が好きだ、それは禅と柔道があるからだといいました。
アフリカではボランティア活動が盛んです。タンザニアでは、私の家内はダレサラームでイギリス人のボランティアグループに加わり、重い障害を持った人たちを海岸で遊ばせてやる活動をしたり、町から何十キロも遠い、奥地にライ病患者の施設があり、そこには、学校の校長先生等と出かけていました。一般に欧米人のボランティア活動は奉仕の精神が徹底しており、とにかく貧しい人、困難な状況にある人たちを献身的に助けていますが、日本人のボランティア活動は売名行為に堕落したり、また寄付を集めた金儲けに走っているのが少なくありません。欧米人はキリスト教の精神に基づき行動しているのに対し、日本人は精神的なバックボーンがないためではないかと思います。一度インド人がいいました。イギリス人はキリスト教、インド人はヒンズー教、パキスタン人はイスラム教を信じるが、日本人はマネー教を信じるねと。日本人、日本の会社などがすべての物事をあまりにもお金儲けというか金銭的な利益の尺度で測るようになっていると思われます。
タンザニアでは国民1人の年間収入の平均値は4万円くらいですから、世界でも極貧国のランクに入ります。人々は履き物もなく、衣服もわずかで、勿論お金はありません。仕事もなく、ブラブラしている人があふれているのですが、それでもあまり不自由には見えません。私が田舎道を車でいき、かなり奥にいくと、道が狭くて凸凹で進むことも戻ることも出来なくなると皆が出てきて車を持ち上げて向きを換えて押し出してくれます。そういう人達の生活を見ていると、人間はこれで十分幸せで、多分、今の私達に負けずに幸せなのだと思います。いまだに土でおまんじゅううのように家の型を作り、牛の糞を厚く塗って固めた家の中に電気もなく、水道もなく、大勢の子供の家族が住んでいます。こういう人々に自動車や加工食品などを紹介して、欲しがらせることから、間違いは始まるのでしょう。当時のタンザニアの大統領はニエレレという哲学者でアフリカの第一の精神的なリーダーでした。いつも人民服を着て草履履きで、アフリカの独立の為に生涯を捧げた政治家でした。ある時、世界銀行の総裁がダレサラームに来て、演説し、これからタンザニアの生活をよくする為に、世界銀行がお金をかしてやるから、条件がある。もっと、外国からの輸入を進めるように輸入制限を撤廃せよ、食料や生活物資の値段を政府がコントロールせずに自由化せよ、鉄道や、住宅の国有を止めよ、病院も私立の病院を認めよと、いろいろの条件を付けました。社会主義の国ですから、いろいろアメリカとは違います。その世銀の総裁の演説にこたえてニエレレはいいました。何が世界銀行だ、いつからあなたは世界を支配していいことになったのか。ここは自分たちアフリカ人の国である。必要なことは自分で決める。お金はいかにもない。お金はなくても平気だ。自分達はいつまでもこのまま、また森に帰ってお金がなくても生活は出来る。本当はお金を貸せないと困るのは世界銀行のほうだろう。お金をかりなければタンザニアはアメリカから自動車を輸入は出来ないし、そうなると困るのはアメリカの方だろうといい放ちました。
タンザニアでは日本からの援助でいくつもの開発プロジェクトが展開しています。その一つにキリマンジャロの麓での稲作プロジェクトがあります。キリマンジャロの豊富な地下水を利用して日本と同じ水田を作りそこに日本の稲作を行い、成功しました。地域の農民はかなりの収入が出来、これは日本からの成功したプロジェクトとしてよく紹介されます。ただ、ダレサラーム大学のタンザニア人の教授は、この貴重な水資源を大量に使い、水田で日本のようなおいしいお米を作る稲作より、あまり水を使わないアフリカ本来の陸稲にすべきではないかといっていました。やはりアフリカではアフリカのやり方があるのだと思えます。親友のアフリカ人がいいました。みんな外国人はいろいろ考えて、お金やモノや人を送ってくれて、本当にご苦労だが、あまりお節介はしなくていいのだけどねと。
1982年に私はダレサラームでの駐在生活を終えて、家族と日本に帰りました。ダレサラームでは貧しいながらも、幸せに暮らす人々にあい、美しい海と、広大なサバンナに囲まれて、我がアフリカでもっとも楽しい時を過ごしました。


〈アフリカの庭と同じように実のなるものを植えたいということで、ブドウとミカン、他にもいろいろと実をつけています。〉
このシリーズ、長い読物はどうかなと思いつつ始めましたが、多くの方に好評なのでホッとしています。あと数回続きますのでよろしくお願いします。







































































































































































































