さて、寝て起きたら元気いっぱい。不思議なものです。それでは長島さんちの続きを。
昨日ご覧いただいたPlan Aから、予算その他ご検討いただきながら次のPlan B、そして最終のPlan Cへと設計変更していきました。
Plan B
Plan C
設計意図やアイデアの解説は今回は省略して、それよりもこの設計を進めている間、通奏低音のように、私の中に存在し続けたある思いについて書き留めておこうと思います。
唐突ですが、私、ガーデンデザインは家族の暮らし、その幸福感をデザインする仕事だと強く思っています。これはかっこいい言い方をしているわけでも何でもなくて、長いことこの仕事をやっているうちに、いつのまにかその思いが強まっていて、今ではそれ以外のことに時間を使いたくないとすら思っていて、信念のようにその思いが強固になっています。
うちの弟子(スタッフ)たちによくこういいます。
「世の中にレンガやまくら木が欲しい人、庭木が欲しい人などいない。それらを使った“家族が幸福な時間を過ごすステージ”が欲しい、それがお客さまのご要望なんだ。お客さまがイメージする、漠然とした“幸せな場所”を具現化する作業、それがグレースランドの仕事。このことから1ミリもぶれることなく工事完成までがんばり通すように」
内輪話しを披露するようで恥ずかしいのですけど、これは何度も何度も、「またいつもの話が始まった」と言われても話し続けていることなのです。なぜ何度も繰り返すのかといえば、私にとって信念となっているこのことが、弟子たちにとってはまだそうなっていないから。意味は理解できていてもまだ腹の中心にそのことが据わっていないからです。でもこれは、弟子たちの能力不足を責めているのではありません。繰り返し話さなければ軌道が外れてしまうのは当然のこと。私も42歳の厄年を過ぎたころからようやく実感できたことなのですから。一人前のガーデンデザイナーになるということは、センスや技術や知識はもちろん、このことが信念になるということ。そこを目指して修行中の彼らなのです。だから私は彼らに「またいつもの・・・」と愚痴られても、何度でも繰り返し話すのです。
で、内輪話はこれくらいにして、この設計中にどんな思いがあったのかといいますと、長島さんご夫婦のベクトルに自分を合わせたいということでした。(わかりづらいですよね)最初にお会いした時点で、ほんとにその一瞬で、ご夫婦からとても強いオーラを感じたのです。(さあ始まりました、グレースランド版“オーラの泉”です)そのオーラは以前の私が発していたそれと同質の、でも今の私には消えている種類のものでした。それは“這い上がろうともがいた末に思いがけず恰好の手がかりを見つけた時”の魂が発する、色でいうと、高い山の頂上で見るご来光が始まる直前の金色が混じった紫色の、とても荘厳で、且つドキドキするような、J.S.バッハの音楽が響いている感じの色合い(これまたすっごくわかりづらいですよね)でした。そう感じて、次の瞬間には「いかん!今の自分にはこのオーラと共鳴できるパワーが無い」とう自責が始まり、その場は一通りの庭の話をしてお茶を濁しました。その後自身のパワー増強をこころがけながら打合せを進めて設計に。そんなスタートだったので設計中ずっと“負けないように”という思いが続いていたのでした。
今日のはたぶんよくわからない話でしたね。でも私的にはこの手の話題のスイッチが入ってしまいましたので、今回のシリーズはこんな話を織りまぜながらやってみようと思います。あきれずに、辛抱強くおつき合い下さい。
明日はビフォー・アフターです。
昨日ご覧いただいたPlan Aから、予算その他ご検討いただきながら次のPlan B、そして最終のPlan Cへと設計変更していきました。
Plan B
Plan C
設計意図やアイデアの解説は今回は省略して、それよりもこの設計を進めている間、通奏低音のように、私の中に存在し続けたある思いについて書き留めておこうと思います。
唐突ですが、私、ガーデンデザインは家族の暮らし、その幸福感をデザインする仕事だと強く思っています。これはかっこいい言い方をしているわけでも何でもなくて、長いことこの仕事をやっているうちに、いつのまにかその思いが強まっていて、今ではそれ以外のことに時間を使いたくないとすら思っていて、信念のようにその思いが強固になっています。
うちの弟子(スタッフ)たちによくこういいます。
「世の中にレンガやまくら木が欲しい人、庭木が欲しい人などいない。それらを使った“家族が幸福な時間を過ごすステージ”が欲しい、それがお客さまのご要望なんだ。お客さまがイメージする、漠然とした“幸せな場所”を具現化する作業、それがグレースランドの仕事。このことから1ミリもぶれることなく工事完成までがんばり通すように」
内輪話しを披露するようで恥ずかしいのですけど、これは何度も何度も、「またいつもの話が始まった」と言われても話し続けていることなのです。なぜ何度も繰り返すのかといえば、私にとって信念となっているこのことが、弟子たちにとってはまだそうなっていないから。意味は理解できていてもまだ腹の中心にそのことが据わっていないからです。でもこれは、弟子たちの能力不足を責めているのではありません。繰り返し話さなければ軌道が外れてしまうのは当然のこと。私も42歳の厄年を過ぎたころからようやく実感できたことなのですから。一人前のガーデンデザイナーになるということは、センスや技術や知識はもちろん、このことが信念になるということ。そこを目指して修行中の彼らなのです。だから私は彼らに「またいつもの・・・」と愚痴られても、何度でも繰り返し話すのです。
で、内輪話はこれくらいにして、この設計中にどんな思いがあったのかといいますと、長島さんご夫婦のベクトルに自分を合わせたいということでした。(わかりづらいですよね)最初にお会いした時点で、ほんとにその一瞬で、ご夫婦からとても強いオーラを感じたのです。(さあ始まりました、グレースランド版“オーラの泉”です)そのオーラは以前の私が発していたそれと同質の、でも今の私には消えている種類のものでした。それは“這い上がろうともがいた末に思いがけず恰好の手がかりを見つけた時”の魂が発する、色でいうと、高い山の頂上で見るご来光が始まる直前の金色が混じった紫色の、とても荘厳で、且つドキドキするような、J.S.バッハの音楽が響いている感じの色合い(これまたすっごくわかりづらいですよね)でした。そう感じて、次の瞬間には「いかん!今の自分にはこのオーラと共鳴できるパワーが無い」とう自責が始まり、その場は一通りの庭の話をしてお茶を濁しました。その後自身のパワー増強をこころがけながら打合せを進めて設計に。そんなスタートだったので設計中ずっと“負けないように”という思いが続いていたのでした。
今日のはたぶんよくわからない話でしたね。でも私的にはこの手の話題のスイッチが入ってしまいましたので、今回のシリーズはこんな話を織りまぜながらやってみようと思います。あきれずに、辛抱強くおつき合い下さい。
明日はビフォー・アフターです。