夕べはお客さまからBBQにご招待いただきまして、「いや~最高でした」。心地よい夜風と美味しい肉と、旧知の仲のように歓待してくださった若いご夫婦とのすばらしい一時でした。生き返りました、ホント。多謝!
で、今日はやや本気モードの重いと言えば重い話で、ブログでこういうのはどんなもんかなあと、正直やや腰が引けていたのですが、でもとても大事なことで、且つ子育てに疲れたり迷ったりしている人たちに伝えたいと思っていることのひとつなので、昨日BBQでチャージしたエネルギーを使って一気に行きます。お題は“自己肯定観について”です。
別に照れるようなことでもないのできっぱり言いますと、私は自分の親が好きです。両親と祖父母と近所のおばちゃんたちや親戚のおじさんおばさんが大好きです。親については反抗期もあったので、特に父親とは数年前まで腹を割って会話したこともなかった。でもこの歳になって正直に白状すれば、26歳で上京して以来常に頭の中に目標といいますか、いつか越えなければならない壁として父がありました。そしてさらにその向こうに、いつかたどり着きたいガンダーラのように、蜃気楼に揺れながらまばゆく輝く祖父の存在がありました。
つい最近まで世の中のすべての男が、私と同じように、父親、母親、自分を育ててくれた周囲の人たちが好きで、その人たちに感謝して生きているものだと、漠然と、そうじゃないはずがないと思っていました。でも、さすがに四十を過ぎると“人生いろいろ”なヒューマン・スクランブルに遭遇して、「不幸にもそうじゃない人もいるんだ」ということも踏まえてひとと対峙するようになってきていますが、同時に、そういう状態のひと(たいがいうまく生きられず、何かに苦しんでいます)に何か役に立つアドバイスをしてあげえたくても、ほとんどの場合私は無力で・・・。
何を言いたいかというと、父親論の前段として“自己肯定観”について触れておきたいのです。
自分の親、自分が育った(育ててもらった)世界が好きか嫌いか、これがそのひとが自己を肯定しているのか否定しているのかを見極める基準です。自分の過去をネガティブに思っているということは、過去の積み重ねで出来ている今の自分を否定しているということ、単純な話です。
自分の生い立ちや過去を否定的に捉えているのに自己肯定観が強い、一見そう見えるひとも中にはいますが、たとえばホリエモンです。彼の本を何冊か読むと随所に父親への非難が出てきます。親の生き方、育った環境をののしり軽蔑しながら、それへのリベンジとして人生を組み立てようとしています。コンプレックスですね。社会全体が貧しかった戦後にはそういう“逆境をバネにして”成功していくという物語が多くありました。でも親をののしりながら成功していった人がいたでしょうか。ホリエモンのはそれとは少し違うのです。彼があれほど自身に満ちた振る舞いをしていたのは、裏を返せば自己肯定観の欠落を必死で隠していたのだ(たぶん無意識に)、私にはそう見えました。過去を含めて自己を肯定できない人は窮地に立ったときに他人を信じることが出来ません。それどころか、だまされて苦しまないように、先にだましてしまおうという防衛手段をとります。自分にとってこの世の中心にいる自分自身が好きではないのですから、当然他人への愛情も乏しかったりいびつだったりして、他人によろこんでもらえることの喜びを感じる力が弱い。だからひととの信頼関係抜きに、ロジックで固めた血の通わないゲームのような世界で異彩を放って、そして膨張してつぶされました。ホリエモンの失敗の原因は平気で自分の親をののしる、そういうふうに育ってしまった彼自身の中にあると思っています。最近では誠意大将軍がそうですね。とても似ています。
自己肯定観の欠如。ホリエモンや羽賀研二は、自己肯定観の欠如から針が大きく反対側に振れて“愛嬌があって自身に満ちている”ように見えます。でも多くの場合そうではなくて、“自信がない”とか“自分が好きになれない”というアダルトチルドレン的な世界で悩み苦しむものです。むかし「あなたもガーデンデザイナーを目指しませんか」というゆるい感じの求人を出したところ、次から次から“自分が癒されたい”タイプの子たちがやってきて困ったことがあります。「植物にかかわって自然を感じながら生活したいんです」「花を育てると優しい気持になれるから」私はキッパリと「お客さまが癒しを求めているならそういう庭を提案すればいいけど、それを実現するためにこっちは時にはストレスのかたまりになるんだよ。あなたでは無理です。あなたはうちに就職しないで、はやくお金を貯めて、うちに庭の依頼をしなさい」といってお帰りいただきました。そして、その子たちの共通点は幼少期の不遇、離婚、暴力、いじめ、何らかのコンプレックス。結果、自己肯定観が育たずに、自信がない、自分が嫌い、どうせ私なんか・・・。何か適切なアドバイスをして、うちに面接に来たことをきっかけにして素晴らしい方向に人生が開けていくような、そういうことができればいいんですが、その自信のなさたるやとても頑固で、確固たる自信のなさ、自信がないことにとても強く自信を持っているので、とても短時間では無理でした。
そういう子たちと話していると、親の責任ということを強く感じます。そうなってしまったのは本人のせいではなくて100%親のせいなのだと思うのです。本人たちは何とかがんばってその課題を克服していってもらいたいと願いますけど、ちゃんとした親に普通に育てられたら、いや、たとえ事情があって離婚したって親が真っすぐに子供のことを見つめて生きていたら、この子たちはこんな苦労をせずに、もっと充実した煌めく青春を送っているだろうに。
このように、自己肯定観を育てる幼少期の子育てが、その子の人生に大きく影響を与えるということ、子育て真っ最中だと忙しいばかりで、こういうことを考える余裕もないと思いますけど、少し引いて、俯瞰で子育てしている自分と連れ合いと子供を観察してください。夫婦円満ですか。家庭に笑顔はありますか。夢中で遊んでいますか。バランスのいい食事をしていますか。子供の中にたくましい自己肯定観を育てることが親の大切な仕事なのですよ。 ハーハーゼーゼー(息切れ)BBQで貯えたエネルギー、使い果たしました。
父親論の前の長~い前段、自己肯定観についてでした。
それでは本題に・・・、おっともうこんな時間だ。今日もはりきって、新たなご家族との出会いへGO! 高野さんちの庭と父親論は明日、ということで。じゃ!
で、今日はやや本気モードの重いと言えば重い話で、ブログでこういうのはどんなもんかなあと、正直やや腰が引けていたのですが、でもとても大事なことで、且つ子育てに疲れたり迷ったりしている人たちに伝えたいと思っていることのひとつなので、昨日BBQでチャージしたエネルギーを使って一気に行きます。お題は“自己肯定観について”です。
別に照れるようなことでもないのできっぱり言いますと、私は自分の親が好きです。両親と祖父母と近所のおばちゃんたちや親戚のおじさんおばさんが大好きです。親については反抗期もあったので、特に父親とは数年前まで腹を割って会話したこともなかった。でもこの歳になって正直に白状すれば、26歳で上京して以来常に頭の中に目標といいますか、いつか越えなければならない壁として父がありました。そしてさらにその向こうに、いつかたどり着きたいガンダーラのように、蜃気楼に揺れながらまばゆく輝く祖父の存在がありました。
つい最近まで世の中のすべての男が、私と同じように、父親、母親、自分を育ててくれた周囲の人たちが好きで、その人たちに感謝して生きているものだと、漠然と、そうじゃないはずがないと思っていました。でも、さすがに四十を過ぎると“人生いろいろ”なヒューマン・スクランブルに遭遇して、「不幸にもそうじゃない人もいるんだ」ということも踏まえてひとと対峙するようになってきていますが、同時に、そういう状態のひと(たいがいうまく生きられず、何かに苦しんでいます)に何か役に立つアドバイスをしてあげえたくても、ほとんどの場合私は無力で・・・。
何を言いたいかというと、父親論の前段として“自己肯定観”について触れておきたいのです。
自分の親、自分が育った(育ててもらった)世界が好きか嫌いか、これがそのひとが自己を肯定しているのか否定しているのかを見極める基準です。自分の過去をネガティブに思っているということは、過去の積み重ねで出来ている今の自分を否定しているということ、単純な話です。
自分の生い立ちや過去を否定的に捉えているのに自己肯定観が強い、一見そう見えるひとも中にはいますが、たとえばホリエモンです。彼の本を何冊か読むと随所に父親への非難が出てきます。親の生き方、育った環境をののしり軽蔑しながら、それへのリベンジとして人生を組み立てようとしています。コンプレックスですね。社会全体が貧しかった戦後にはそういう“逆境をバネにして”成功していくという物語が多くありました。でも親をののしりながら成功していった人がいたでしょうか。ホリエモンのはそれとは少し違うのです。彼があれほど自身に満ちた振る舞いをしていたのは、裏を返せば自己肯定観の欠落を必死で隠していたのだ(たぶん無意識に)、私にはそう見えました。過去を含めて自己を肯定できない人は窮地に立ったときに他人を信じることが出来ません。それどころか、だまされて苦しまないように、先にだましてしまおうという防衛手段をとります。自分にとってこの世の中心にいる自分自身が好きではないのですから、当然他人への愛情も乏しかったりいびつだったりして、他人によろこんでもらえることの喜びを感じる力が弱い。だからひととの信頼関係抜きに、ロジックで固めた血の通わないゲームのような世界で異彩を放って、そして膨張してつぶされました。ホリエモンの失敗の原因は平気で自分の親をののしる、そういうふうに育ってしまった彼自身の中にあると思っています。最近では誠意大将軍がそうですね。とても似ています。
自己肯定観の欠如。ホリエモンや羽賀研二は、自己肯定観の欠如から針が大きく反対側に振れて“愛嬌があって自身に満ちている”ように見えます。でも多くの場合そうではなくて、“自信がない”とか“自分が好きになれない”というアダルトチルドレン的な世界で悩み苦しむものです。むかし「あなたもガーデンデザイナーを目指しませんか」というゆるい感じの求人を出したところ、次から次から“自分が癒されたい”タイプの子たちがやってきて困ったことがあります。「植物にかかわって自然を感じながら生活したいんです」「花を育てると優しい気持になれるから」私はキッパリと「お客さまが癒しを求めているならそういう庭を提案すればいいけど、それを実現するためにこっちは時にはストレスのかたまりになるんだよ。あなたでは無理です。あなたはうちに就職しないで、はやくお金を貯めて、うちに庭の依頼をしなさい」といってお帰りいただきました。そして、その子たちの共通点は幼少期の不遇、離婚、暴力、いじめ、何らかのコンプレックス。結果、自己肯定観が育たずに、自信がない、自分が嫌い、どうせ私なんか・・・。何か適切なアドバイスをして、うちに面接に来たことをきっかけにして素晴らしい方向に人生が開けていくような、そういうことができればいいんですが、その自信のなさたるやとても頑固で、確固たる自信のなさ、自信がないことにとても強く自信を持っているので、とても短時間では無理でした。
そういう子たちと話していると、親の責任ということを強く感じます。そうなってしまったのは本人のせいではなくて100%親のせいなのだと思うのです。本人たちは何とかがんばってその課題を克服していってもらいたいと願いますけど、ちゃんとした親に普通に育てられたら、いや、たとえ事情があって離婚したって親が真っすぐに子供のことを見つめて生きていたら、この子たちはこんな苦労をせずに、もっと充実した煌めく青春を送っているだろうに。
このように、自己肯定観を育てる幼少期の子育てが、その子の人生に大きく影響を与えるということ、子育て真っ最中だと忙しいばかりで、こういうことを考える余裕もないと思いますけど、少し引いて、俯瞰で子育てしている自分と連れ合いと子供を観察してください。夫婦円満ですか。家庭に笑顔はありますか。夢中で遊んでいますか。バランスのいい食事をしていますか。子供の中にたくましい自己肯定観を育てることが親の大切な仕事なのですよ。 ハーハーゼーゼー(息切れ)BBQで貯えたエネルギー、使い果たしました。
父親論の前の長~い前段、自己肯定観についてでした。
それでは本題に・・・、おっともうこんな時間だ。今日もはりきって、新たなご家族との出会いへGO! 高野さんちの庭と父親論は明日、ということで。じゃ!