昨年暮れからブログにコメントをくださっているブリキのオモチャの北原照久さん、ご本人は私のことを「メル友のいわふちさん」とあちこちで話してくれていて、私としては恐縮しっぱなしです。北原さんとの偶然が積み重なった出会いは2008年11月13日~15日をご覧下さい。
で、その北原さんから「佐島の家に遊びにきなよ」と夢のようなお誘いをしていただいて、妻と娘と一緒に行ってきました。今日から4日間、そのときの写真をご覧いただきます。
佐島の家というのは北原さんの最高にして最大のコレクションという、『海を庭にしてしまった家』としてテレビで何度も紹介されている白亜の豪邸のことです。もとは皇室の方の別荘だったそうで、終戦後マッカーサーに次ぐNO.2の(名前を忘れてしまいましたが)方が住んで、その後も持ち主が変わって北原さんが5代目だそうです。北原さんとその家とのことを著書から抜き書きします。

34歳のとき雑誌「ポパイ」で、相模湾に面した湘南の佐島に建つ、外国人が住む白亜の旧竹田宮邸の写真を目にした。『海を庭にしてしまった家』というキャッチフレーズが添えられていて、日本にもこんな家があるのかと驚き、強く憧れた。
その後、その家を再び雑誌「BRUTUS」で見つけた。売値8億円で売りに出すという案内記事だった。ニセ白バイ警官が現金輸送車を襲撃して3億円を奪った事件が大騒ぎされていた時代で、その金額の大きさは現実離れしていて実感をともなわなかった。しかし憧れの対象だった家が「売りに出されている」と知って、「こんな家に住んでみたら・・・」と夢見心地に想うようになった。
日に日に、年々歳々・・・「あんな家に住みたい」との夢が膨らむばかりだった。その思いに引かれるように、やがて湘南に住む決意をして海に面した家を探しはじめたころ、その『海を庭にしてしまった家』が、またまた売りに出されているという。
強い想いに売り主も共感してくれたのか、用意できる精一杯の金額で、焦がれるほどに憧れた家が自分のものになった。初めてあの家を写真で目にしてから15年が経つ、49歳のことだった。


想い続けることの力、そして夢の実現、ロマンですよねえ!「その家に行ける」、胸が高鳴るとはこのことです。実は北原さんと知り合ってから何度か私はその家の前まで行きました。横須賀で打合せがあって近くまで行ったりすると、もう佐島の北原邸に行ってみたくてしかたなくって。でも白くて高い塀に囲まれていて中は見えない。それでもその家の前に立つと「これが夢実現の場所なんだ、かっこいいよなぁ」と感慨に浸って、若大将シリーズやエルビス・プレスリーの映画を観た後のような『明るく、軽く、いい気分』で横浜に帰って、仕事がぐんぐんはかどりました。

ではその『海を庭にしてしまった家』、北原さんちの写真を。私は庭屋なので、まず今日は庭と植物からです。

おっと、そう言いつつ、もう打合せに出かける時間になってしまいました。写真の紹介は明日から、ということで、それにあわせて「岡惚れ北原さん」のことをあれこれと。あっそうだ、今日は北原さんの誕生日でした。夕方6時30分から横浜人形の家でバースデーライブがあります。お時間のある方は行ってみてはいかがでしょうか。テミヤンのグッと来る歌と北原さんのギターとトーク、いい感じのパワーを充電できますよ。おお、時間が・・・、じゃ、今日も張り切っていきましょう!