辺りはすっかり暗くなりました。この夜、小椋さんご一家はお出かけで留守。ふだんはカーテンが開けられていて、この風景に暖かい部屋からの明りが加わります。

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では昨日前振りした話題。

ご主人が生まれ育った喜多方の山村は、住人のほとんどが小椋性だそうです。その小椋一族は代々山の民で、林業や山菜採りで暮らしていました。ですからその村から全国に散っていった小椋一族は、例えば京都でも漆器の器づくりとか、木に係る仕事をする人が多いのだと言います。
そんな村に、ある日東京から神田という大学生がやって来ました。彼は人生に悩み、疲れはてて、自殺まで考えながらその村を訪れました。ひょっとしたら死に場所を探してさまよっているうちに、たまたまそこにたどり着いたのかもしれません。
しばらく滞在するうちに、彼は村人たちの純朴な暮らしぶりに癒され、森とともに生きる山の暮らしに感銘を受けて、そして立ち直ったのだそうです。

これは1970年頃のお話しです。コンクリートの狭間で学園紛争に明け暮れる大学生の日常。声高くアジテーションするものに、興奮し、学生たちが思考停止したままで酔いしれていくような状況、そんな時代だったんだと思います。
その時代の空気に馴染めない繊細さを持った東京育ちの神田青年の中に、東京では解決できない青春の日の歪みが広がっていったんでしょうね。
そして彷徨いの果てに辿り着いた山村で、そこに暮らす山の民の営みに触れて立ち直った神田青年は、東京に帰り、銀行に就職し、後に音楽に人生の道を見いだしてシンガーソングライターになりました。そしてそのときに、かつて自分を立ち直らせてくれた小椋一族から名前を取って、小椋 佳と名乗ったのでした。

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完成した庭で、夕暮れ時にご主人からうかがったこの話、「山の人」らしくトツトツとしゃべるその話し振りとともに、とても印象に残っています。
人は悩み苦しんだ時に、どんどんピュアになっていって、やがて真直ぐに自分を見つめるようになります。突き詰めて考えたときの自分の根っこを確認して、そこに立とうとします。小椋佳の根っこは「山の人」だったんだなあと。ですよね、きっと。そう、小椋佳は山の人ですよね。
そしてぼくの根っこも、まちがいなく「山の人」です。

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ぼくも、ご主人も「山の人」。小椋佳がそうだったように、奥様はきっとご主人のそういうところに惹かれて結婚したんじゃないかなあって、勝手に想像しています。

あらためて考えると、ぼくも、自分の中の「山の人」を使ってと言うか、そこを頼りに生きて来たようなところがあります。だから小椋さんちには親近感とともに、これからも着実に一歩ずつ、ご夫婦で次の扉を探しては開いてゆくような、素敵な人生になってほしいなあと。

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小椋さん、すてきな仕事をさせていただいてありがとうございました。夏になったらバーベキューに呼んでくださいね。食材持参でうかがいますので。

遠くからですけど、ぼくちゃんの成長を楽しみにしています。そして寡黙なご主人と明るい奥様というわが家と似た組み合わせのお2人が、いつまでも仲良く、実り多い人生を送られることを(寡黙に)願っています。


昨日の音楽熱中倶楽部、北原さんがぼくのリクエスト「オール・マイ・ラヴィング」を採用してくださって、感激!しかも、ぼくが送った曲にまつわるエピソードを、まるで講談師のように熱く読んでくださって、感謝感謝です。いつもその放送を新潟で聴いている母からすぐに電話があって「おまえ、なかなかいい文章を書くねえ!あんなに長々と紹介してもらって、北原さんによーくお礼を言っときなさい」と。
どんなエピソードだったのかと言いますと、このブログの2009年3月25日、
「ポール・マッカートニー(小田邸 4)」に書いていますので、ぜひご一読ください。

一曲の音楽でよみがえる記憶ってありますよね。悲しかったとき、、悩んでいたとき、希望に満ちていたとき、熱く燃えていたとき、そういう記憶のインデックスが音楽なんですよね。