本日、ぼくは50歳になりました。50歳、若い方にとっては「おじさん」で、年輩の方にとっては「若僧」ですよね。で、本人にとっては「さっ、本番が始まるぞ!」という気持ちです。
ちょっと前までは「50かあ、いいかげんに(人生を)何とかしないとなあ。いやあこまったなあ」という焦燥感みたいなのがあって、というのも、母方の祖父が亡くなった年齢が53歳だったからです。
祖父は初孫のぼくをとてもかわいがってくれた人で、田舎町の名士みたいな人だったんですけど、病に倒れて「まだ死にたくないなあ・・・」と言いながら他界したそうです。孫のぼくにとってはおじいさんでしたが、今になってその年齢を考えると働き盛りですよね。まだまだこれからやってみたいこと、やっておきたいことが山のようにあったはず。無念だったろうなあという思いが、自分自身がその年齢に近づくほどに我がこととして強くなってきます。
53歳で人生を終えたその祖父が、すでに社会的にも家庭人としても大成していた50歳の時と、今の自分を比較すると、現状はあまりに情けない状況でして、だから「いいかげんに何とかしないとなあ」という焦りのような気持ちになっていたのです。
でもそれはちょっと前まで。
なぜ今「さっ、本番が始まるぞ!」というふうに、焦りがトキメキに変わったのかというと、北原照久さんの言葉でした。
というわけで「北原照久ミュージアム」の2回目です。
ラジオ番組(1422ラジオ日本「横浜ロハス」)に出演した時の北原さんのトークをメモっておいたものです。
ぼくはすべての夢を実現してきました。加山雄三さんに会うこと、吉永小百合さんに会うこと、サンダーバードに乗ること、佐島の家、おもちゃ博物館、ぜんぶ実現。だから、思ったことは実現できると信じているんです。
加山さんには17歳の時に「君は加山雄三になれるか」という本を10回以上読んで「いつか会いたいなあ」と思って、それが実現したのが52歳のとき。35年かかったけどちゃんと会えた。小百合さんに会うのは43年かかった。会う人会う人に「吉永小百合さんに会うのが夢なんです」と語り続けていたんです。そしたら、会えました。小百合さんに会った2月4日はぼくの「吉永小百合記念日」なんですよ。記念Tシャツ20枚作って、その時期になると着ています。
夢を実現させる方法はね、その夢を熱く語ること。情熱的に、楽しく語り続けること。「大丈夫、夢は叶う」そう信じて毎日熱く語り続けることです。
腕立て伏せだって10回からスタートして、毎日続けていたら100回できるようになるんですから。だからやり続けること。
やり続けるコツは、ワクワクすることです。ワクワクしながらやり続ければ、大丈夫、夢は叶う。
熱い人ですよねえ!このとき北原さん61歳。なんてときめいてるんだろうと、衝撃でした。
そしてこんなことも。
五十 六十 花ならつぼみ
七十 八十 働き盛り
九十になって迎えが来たら
百まで待てと追い返せ
ぼくはギターを51歳から始めて、今ではステージで演奏しています。加山さんとも共演しました。サーフィンも51から。ゴルフは56から始めてシングル目指して頑張ってます。何かを始めるのに「遅い」ということはないですよ。
ね、こんな話を聴いちゃったら、もう「50歳。さっ、本番が始まるぞ!」となりますよね。まだまだ花ならつぼみですからね。
ちょっと前までは「50かあ、いいかげんに(人生を)何とかしないとなあ。いやあこまったなあ」という焦燥感みたいなのがあって、というのも、母方の祖父が亡くなった年齢が53歳だったからです。
祖父は初孫のぼくをとてもかわいがってくれた人で、田舎町の名士みたいな人だったんですけど、病に倒れて「まだ死にたくないなあ・・・」と言いながら他界したそうです。孫のぼくにとってはおじいさんでしたが、今になってその年齢を考えると働き盛りですよね。まだまだこれからやってみたいこと、やっておきたいことが山のようにあったはず。無念だったろうなあという思いが、自分自身がその年齢に近づくほどに我がこととして強くなってきます。
53歳で人生を終えたその祖父が、すでに社会的にも家庭人としても大成していた50歳の時と、今の自分を比較すると、現状はあまりに情けない状況でして、だから「いいかげんに何とかしないとなあ」という焦りのような気持ちになっていたのです。
でもそれはちょっと前まで。
なぜ今「さっ、本番が始まるぞ!」というふうに、焦りがトキメキに変わったのかというと、北原照久さんの言葉でした。
というわけで「北原照久ミュージアム」の2回目です。
ラジオ番組(1422ラジオ日本「横浜ロハス」)に出演した時の北原さんのトークをメモっておいたものです。
ぼくはすべての夢を実現してきました。加山雄三さんに会うこと、吉永小百合さんに会うこと、サンダーバードに乗ること、佐島の家、おもちゃ博物館、ぜんぶ実現。だから、思ったことは実現できると信じているんです。
加山さんには17歳の時に「君は加山雄三になれるか」という本を10回以上読んで「いつか会いたいなあ」と思って、それが実現したのが52歳のとき。35年かかったけどちゃんと会えた。小百合さんに会うのは43年かかった。会う人会う人に「吉永小百合さんに会うのが夢なんです」と語り続けていたんです。そしたら、会えました。小百合さんに会った2月4日はぼくの「吉永小百合記念日」なんですよ。記念Tシャツ20枚作って、その時期になると着ています。
夢を実現させる方法はね、その夢を熱く語ること。情熱的に、楽しく語り続けること。「大丈夫、夢は叶う」そう信じて毎日熱く語り続けることです。
腕立て伏せだって10回からスタートして、毎日続けていたら100回できるようになるんですから。だからやり続けること。
やり続けるコツは、ワクワクすることです。ワクワクしながらやり続ければ、大丈夫、夢は叶う。
熱い人ですよねえ!このとき北原さん61歳。なんてときめいてるんだろうと、衝撃でした。
そしてこんなことも。
五十 六十 花ならつぼみ
七十 八十 働き盛り
九十になって迎えが来たら
百まで待てと追い返せ
ぼくはギターを51歳から始めて、今ではステージで演奏しています。加山さんとも共演しました。サーフィンも51から。ゴルフは56から始めてシングル目指して頑張ってます。何かを始めるのに「遅い」ということはないですよ。
ね、こんな話を聴いちゃったら、もう「50歳。さっ、本番が始まるぞ!」となりますよね。まだまだ花ならつぼみですからね。