ビフォー・アフターの続きです。
デッキの上で振り返って。
Before 4
After 4
そのまま後ずさって。
Before 5
暮らしのステージが外に広がるこの感じ。
世の中には使っていないウッドデッキが山ほど存在します。もったいないです。せっかくつくったデッキが、なぜ楽しい場所として使われないのか、ウッドデッキの本来の心地よさとはどういうものなのか、今回のシリーズでそのあたりを解明していきたいと思っています。
では、昨日の続きです。
お客様の「芝生の状態が、私の状態なんですよ」という言葉に納得しました。一般的に「手入れが大変で・・・」と言われる芝生も、そう考えると日々の気持ちのコンディションを整える有意義な場所であり、手入れの時間はメディケーションなんですよね。芝生の庭があって、その手入れが日課になっている人は、自宅に瞑想室があるようなものです。自分と向き合う時間、心の波を静めて鏡のような水面に戻す時間。無心になることでインスピレーションに出くわすことも多いのではないでしょうか。
どうですか、芝生の庭も悪くないなと思いませんか。
ところがです、年に何度か、あまりにきれいすぎて「入り込めない感じ」の芝生の庭に遭遇します。芝生は美しいに越したことはないんですけど、名門ゴルフ場のグリーンみたいにパーフェクトだと、・・・入り込めません。
芝生はそこで過ごしてナンボだと思うのです。手入れは手入れで、それを楽しめばいいし、健康に育った芝生の上で、今度はご家族で思う存分楽しんでいただきあいなあと思います。バーベキューをしたり、ゴルフやサッカーの練習をしたり、お子さんが小さければ穴を掘ったり駆け回ったり。そうやって楽しんだ芝生はどうしても傷んだりデコボコになってしまうものですけど、それでいいんです。また無心で手入れをすればいい。
あまりにきれいすぎて「入り込めない感じ」の緊張感が漂う芝生を見ると「ご主人、頑張りすぎだなあ」と感じるのです。きっとご主人は家族のことを思って、理想のマイホームを目指して日々手入れにいそしんでいるのでしょう。でもその気持ちが強すぎて、というか表現が真っすぐすぎて、「もしかしたら奥さんや子供たちから煙たがられているのかもしれないなあ」などと、余計な心配も浮かんできます。男ってそういうところあるんですよねえ、力みすぎて気持ちがうまく伝わらないこと。特に年頃の娘を持ったお父さんは・・・、あ、いやなんでもないんですけどね。
まあね、手入れは手入れで楽しんで、その芝生で家族で過ごして楽しんで、楽しんで、楽しんで。それがファミリーガーデンの価値なのです。
芝生の手入れは、瞑想の時間だと思うべし。美しさよりも、楽しさの中にこそ価値があるのだと心得るべし。
さっ、世のご主人方、庭に出ましょう。雑草抜きのフォークを持って、芝生にしゃがんで、家族を思い、自分を見つめる瞑想を始めましょう。