今朝目覚めて、テレビをつけて気がつきました。今日は9.11から10年目、3.11から半年の日なんですね。

あらかじめ決められていたスケジュール通りに、設計作業をしつつ午前中に一軒、午後一軒、庭の打合せに行きました。どちらのお宅でも庭のことを話しながら、頭の隅には今日、2011年9月11日がありました。

今日をどうしたらいいのか、どんな日としてブログに書き留めればいいのか。ルーティンで午前中にアップするのはとりあえずやめました。今日いち日、今日という日のことを考えながら過ごして、それで出てくる言葉を書かかなければと。

9.11以降のこの10年、世界平和のことを考えました。宗教のことを考えました。命ということを考えました。幸せということを考えました。
この半年、人生ということ、家族ということ、日本人ということを考えました。そして幸せということを考えました。
考え続けて、慢性的に脳みそが疲れているレベルまで考え続けて、ぼくが提案する庭は変化し続けました。

この半年間、ぼくを支えてくれた言葉があります。

「一隅を照らす」

持ち場持ち場で頑張ること、一生懸命に生きることが最も大切なことだと。それが基本であり、だから、例えば若者が「被災地のボランティアに行きたいので会社を辞めます」みたいなことにはぼくは同意できない部分がありました。
自分の持ち場をしっかりと機能させること。自分の周辺にある日常を、当たり前に、愚直に、真剣に、美しく幸福感に満ちたものにするための努力を怠らないこと。それができない人が発する言葉は空虚で、それをしようともしないでワイワイ騒いでいる人の行動は、震災があろうとなかろうと、満たされていない自分の人生のつじつまを合わせようとしているように見えたり・・・。まあそれでも、復興に寄与する姿勢はすばらしいことですが。
ただ、究極は、自分の周辺に幸福感を構築しようとしない人に、他人を苦境から救い上げるなどという神の業はできません。できるはずがない。自分の立ち位置もままならず、時にはだれかを不幸にしながら生み出す幸福感など、あっという間に効力をなくします。だいいち、人生の岐路に立って、へたりこみそうな悲しみの中で、それで立ち上がろうと踏ん張っている人に対して、失礼です。

いやいやこんな話じゃないんです。もうひとりの自分が激しく異を唱えています。
未熟者でも、自分が不幸でも、それでも被災者の力になりたいと、会社を辞して東北へと向かう若者は、正しいのです。それが青春だ!
でなければ、優等生や成功者にしか人を救うことはできないのか、ということになりますから。
ちがいますよね。どんなに自分が辛い境遇にあるとしても、今はダメな暮らしをしている人であっても、道に人が倒れているときに駆け寄るかどうかで、その人の人生の価値は決まります。
世界から賞賛された通り、日本人はすばらしい。すべての日本人が、この半年間、何度涙を流したことでしょう。自分にできることはなんなのかを考えなかった人は、ただのひとりもいなかったはずです。
テレビで繰り返されるポポポポーン!や「こだまでしょうか」を、やり場のない悲しみと、無力感と、祈りと、願いと、錯綜する気持ちで聴いていましたよね。

今日のテレビはこれでもかもれでもかと、津波の映像と、頑張る人たちのことが流れます。・・・ぼくはこの半年、何ができただろうか。節電して、募金して、がんばれがんばれと声を出して、・・・。
いやいや、迷うことはすまい。ひたすらに「一隅を照らす」ことを続けます。

今日うかがった2件のお宅での庭の話は、とても喜んでいただけました。ふた組の家族が、ぼくの提案で、今まで考えたこともなかった「庭のある暮らし」にワクワクした気持ちを持っていただけました。
この出会いが、笑顔いっぱいだった今日の時間が、ふた組のご家族の人生に、新たな幸福のカタチを生み出すことができたとしたら、これがぼくの持ち場、「一隅を照らす」ということです。


まだまだ考え続けます。考えれば考えるほど、ぼくの中に生まれる庭は変化してゆきます。
気づいたことは、この変化はいい変化だということです。変化するほどに、お客様の反応が大きく熱くなっていることを感じているからです。「感動しました!」とまで言ってくださるのですから、うれしい限りです。
だから、考え続けます。被災地のことを、家族を亡くした人の心を、放射能に怯えるお母さんたちのことを、人の幸せについて、家族とは、人生とは、命とは、ぼくは考え続けます。考えて考えて、それを投影した庭を、提案し続けます。狂ったように。
いいですよね、地球上にひとりくらい、こういう人がいても。

2011年9月11日、同時多発テロから10年、そして東日本大震災から半年です。報じられる、なかなか進まない復興の様子を観ながら、ふと気がついたことがあります。被災していない人の心も、相当に傷んだんだよなあと。
被災していない人の心の復興ができたときに、被災地の復興は加速するのだと思うのです。
「被災地の頑張りに元気をもらった」とか言ってるようでは、まだぜんぜん。そのもらった元気を数万倍にして、日本中から東北へ注入する、そこまでやりきらなければ。
日本中が元気になって、愛情に満ちあふれて、目眩がするほどの幸福を感じて。そのことこそが一気呵成に復興するパワーを生み出すのです。幸福によって生み出される幸福は筋金入りの幸福です。幸福による復帰です。それもただの復興ではなく、以前よりも数倍すばらしい、世界中の人が手本にするような「理想郷」を実現する。
それは政治家なんぞが束になってもできないことです。我々がそれを成すときに、政治家を活用すればいいことなのです。

2011年9月11日、思うことでした。





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3月11日。地球が小さく息をしました。

それはわたしたちにとってあまりにもおおきくそして悲しい呼吸でした。

町は色を失いました。

思い出として語らうまでにはどれだけの月日が必要かわかりません。

そろって歩み出すにはあまりにも深い傷だし、

未だ現実と向き合うことを許されない東北の仲間もいます。


それでも、わたしたちは生きています。


たくさんの支援とたくさんの愛情と、

そしてなにより「自分にできること」を探してくれたたくさんの想いすべて。

しっかりと受け取りました。

わたしたちは、このエネルギーを大切に大切に育んでいくつもりです。

月日が経ちこのポスターが色褪せた時、沿岸の街は活気の色に染まっているはず。


みつめていてください。

この地から「ありがとう」を形にできるその時まで。


さあ復興の狼煙が上がりました。
 


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此処でなきゃ駄目なんだ。



これからを、取り戻す旅。



余計な言葉はなくていい。



甘くみるなよ、大槌人だ。



それでも今日も海を見る。



あの日と戦い続けて行く。



チョー悲しくなんかない。



忘れたいけど覚えておく。



頑固者の、出番のときだ。



ひとつひとつ咲かせるよ。



被災地じゃねえ正念場だ。



瓦礫を、踏み台にするさ。



野球がしたいです、神様。



悔し涙は、嬉し涙にする。



そして絆は家族になった。



前よりいい町にしてやる。



大笑いできるその日まで。



続く未来に胸張れるように。



心まで壊されてたまるか。



仲間は力だと、わかった。



かわりに気づいた宝物。



しおれてちゃ男がすたる。



夢は勝つ。かならず勝つ。



埃も泥も、思い出にする。



もうふざけんじゃねえぞ。



かじりついてどこまでも。



ため息つかないと決めた。



諦めるな、と帆立が言う。




クリックして、じっくりとご覧ください。

「復興の狼煙」ポスタープロジェクト








さあてと、明日も思いっきり幸せな庭をイメージします。