玄関アポローチは、外構としては通路です。
その通路を庭に仕立て直して「アプローチガーデン」にしました。
その通路を庭に仕立て直して「アプローチガーデン」にしました。
玄関側からはこうです。
やったことは、
- 真っすぐに歩けないようにする
- 足元を気にするようにする
- 植栽スペースを確保する
- 目の高さ以上の木を植える
以上の4項目です。
完成直後の撮影だったので、まだ草花が植えられていません。
石の左右に(砂利の部分にも)ハーブや花が茂って、石の外周が消えるくらいにまで育つと、ここは歩いているだけでウキウキしてくるアプローチガーデンになります。
石の左右に(砂利の部分にも)ハーブや花が茂って、石の外周が消えるくらいにまで育つと、ここは歩いているだけでウキウキしてくるアプローチガーデンになります。
撮影しながら「そうだ!」とひらめいて、カメラを持ったまま地べたにあぐらをかきました。
やがて石の左右に茂るであろう草花を、手入れするためにしゃがんだとします。こういう見え方になります。立って見下ろすのと、また違う世界を感じることになるのです。
草取りでも花の植え替えでも、なんでもやってみることです。やってみると発見がある。庭でしゃがんだりイスに腰掛けることで、別世界を感じられ、庭の面積は変わらないのに、庭世界はどこまでも広がってゆきます。
低い視線で眺める庭は、子どものころの風景です。身長が高くなってから、ほとんどの人は低い視線で庭を眺めたことがないはず。一度やってみてください。
十年前、北鎌倉にお住まいの方からバーベキューのお誘いがあり、大喜びで出かけていきました。
庭にご主人手づくりの囲炉裏があり、それを囲む椅子は小学校の木の椅子の足を切って、座椅子のように低くしたものでした。
そこに座ってビックリ。庭の草花が目の高さに咲いていて、振り返ると茂ったアップルミントが頭の上で揺れていました。なんだか自分が小動物になったような、不思議な気分でした。
庭に咲いている花と同じ高さに顔がある状態で、火を囲んで、肉食って、うまい酒を飲んで、大盛り上がりで過ごし、やがて夜になって空気がしっとりとしてきました。そのとき着ていたGジャンが湿気を吸って重くなったのを憶えています。近くの森から夜露が降りてきたのです。
これがまた心地よくて。
当時仕事に追われて疲れ切っていた心身が、低い位置からの庭の風景と、目の前の炭火と、森からの夜露でいい感じに溶けてゆくような感覚。癒されるってこういうことなんだなあと、実感した思い出です。
庭でしゃがむこと、視線を低くすること、たったそれでのことで、人は子どものころの気持ちに戻れます。
奥様とわが家のノアに共通して感じる「どう考えても幸せな人生を送るよなあ」という感じ、その正体はなんなのかを解析してゆきます。
昨日書いたように、その本質は「生命エネルギーが美しく燃焼している」ということです。
台所のガス台の炎と同じですね。酸素量の調整が悪かったり、ガスの出口に焦げ付きがたまってたりすると、炎は赤くなって鍋にススが付いてしまいます。それが進行すると不完全燃焼で警報機が作動して大騒ぎ。
人もそうなんです。常に美しく燃焼していないと、周囲にまでススがたまってさまざまな不具合が発生するのです。
その不具合が最初に現れるのが「乱雑」です。部屋が、玄関が、台所が片付かない状態になってきます。思い当たるでしょ、これ。何でだか片付かない、片付ける気力が湧いて来ない数日間。これが警報機がパーコーパーコーって作動している状態なんですよ。
その警報音が鳴り続けると、次に来るのが家庭不和。よーく思い出してみてください、夫婦喧嘩の前にはたいがい「乱雑」がありますよね。
その乱雑状態、家庭不和が長く続くと、これまた必ず陥ってしまうのが心身の不調です。
人は予期せぬ病気に見舞われることもありますが、日常に起こるほとんどの病は偶然ではなく必然です。生命エネルギーの不完全燃焼によって起こるのです。これはいろんな病気になってみて、回復して、振り返るとわかることです。「あの頃の暮らし方だったら、そりゃあ調子悪くなるわなあ」という状態だったことに気がつく、ありますよね。
生命エネルギーの不完全燃焼で暮らしが乱雑になり、それが続くと家庭不和になり、それが続くと病になる。この負のスパイラルにはまり込まないように、不完全燃焼でススをためないこと、生命エネルギーを美しく燃焼させることを意識しましょうね。よーく耳を澄まして、パーコーパーコーが聴こえたら速攻リカバリーしましょう。
明日は奥様に発見した「美しい燃焼」のその炎の様子を、具体的に書きます。
やがて石の左右に茂るであろう草花を、手入れするためにしゃがんだとします。こういう見え方になります。立って見下ろすのと、また違う世界を感じることになるのです。
草取りでも花の植え替えでも、なんでもやってみることです。やってみると発見がある。庭でしゃがんだりイスに腰掛けることで、別世界を感じられ、庭の面積は変わらないのに、庭世界はどこまでも広がってゆきます。
低い視線で眺める庭は、子どものころの風景です。身長が高くなってから、ほとんどの人は低い視線で庭を眺めたことがないはず。一度やってみてください。
十年前、北鎌倉にお住まいの方からバーベキューのお誘いがあり、大喜びで出かけていきました。
庭にご主人手づくりの囲炉裏があり、それを囲む椅子は小学校の木の椅子の足を切って、座椅子のように低くしたものでした。
そこに座ってビックリ。庭の草花が目の高さに咲いていて、振り返ると茂ったアップルミントが頭の上で揺れていました。なんだか自分が小動物になったような、不思議な気分でした。
庭に咲いている花と同じ高さに顔がある状態で、火を囲んで、肉食って、うまい酒を飲んで、大盛り上がりで過ごし、やがて夜になって空気がしっとりとしてきました。そのとき着ていたGジャンが湿気を吸って重くなったのを憶えています。近くの森から夜露が降りてきたのです。
これがまた心地よくて。
当時仕事に追われて疲れ切っていた心身が、低い位置からの庭の風景と、目の前の炭火と、森からの夜露でいい感じに溶けてゆくような感覚。癒されるってこういうことなんだなあと、実感した思い出です。
庭でしゃがむこと、視線を低くすること、たったそれでのことで、人は子どものころの気持ちに戻れます。
奥様とわが家のノアに共通して感じる「どう考えても幸せな人生を送るよなあ」という感じ、その正体はなんなのかを解析してゆきます。
昨日書いたように、その本質は「生命エネルギーが美しく燃焼している」ということです。
台所のガス台の炎と同じですね。酸素量の調整が悪かったり、ガスの出口に焦げ付きがたまってたりすると、炎は赤くなって鍋にススが付いてしまいます。それが進行すると不完全燃焼で警報機が作動して大騒ぎ。
人もそうなんです。常に美しく燃焼していないと、周囲にまでススがたまってさまざまな不具合が発生するのです。
その不具合が最初に現れるのが「乱雑」です。部屋が、玄関が、台所が片付かない状態になってきます。思い当たるでしょ、これ。何でだか片付かない、片付ける気力が湧いて来ない数日間。これが警報機がパーコーパーコーって作動している状態なんですよ。
その警報音が鳴り続けると、次に来るのが家庭不和。よーく思い出してみてください、夫婦喧嘩の前にはたいがい「乱雑」がありますよね。
その乱雑状態、家庭不和が長く続くと、これまた必ず陥ってしまうのが心身の不調です。
人は予期せぬ病気に見舞われることもありますが、日常に起こるほとんどの病は偶然ではなく必然です。生命エネルギーの不完全燃焼によって起こるのです。これはいろんな病気になってみて、回復して、振り返るとわかることです。「あの頃の暮らし方だったら、そりゃあ調子悪くなるわなあ」という状態だったことに気がつく、ありますよね。
生命エネルギーの不完全燃焼で暮らしが乱雑になり、それが続くと家庭不和になり、それが続くと病になる。この負のスパイラルにはまり込まないように、不完全燃焼でススをためないこと、生命エネルギーを美しく燃焼させることを意識しましょうね。よーく耳を澄まして、パーコーパーコーが聴こえたら速攻リカバリーしましょう。
明日は奥様に発見した「美しい燃焼」のその炎の様子を、具体的に書きます。