玄関奥のスペースを持ち上げて、外で過ごす場所にしました。



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 一番奥には格子のパネルを追加して、部屋っぽい落ち着きを演出。



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振り返ると、前庭感が出た玄関アプローチも含めた、ひろーい庭にいるような感覚になります。



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階段から玄関までの通路とその先のちょっとしたスペースが「庭」に変身した今回のプランを、当てはめられる家はたくさんあります。やや狭めだからといって、そこが通路だからといって、庭として楽しむことをあきらめてはいけないのです。

もっと狭くても楽しめるんですよ。なぜなら、日本人は手のひらに載るくらいの小さな盆栽にさえ、森や大草原や、宇宙までイメージできる民族なのですから。俳句や短歌もそうですよね、あんな短い言葉で、映画のようにシーンが展開する。

分け入っても分け入っても蒼い山

すべってころんで山がひっそり

ころり寝ころべば青空 
     種田山頭火


日本人の特殊能力です。
日本人らしく、日本人の特性を活かしながら、イマジネーション豊かに暮らしを組み立てましょう。








 奥様の生命エネルギーは美しく燃焼していて、それは軽快な動きに現れている、と書きました。考えるよりも先に身体が動く、軽やかな動きだから思考がいつも軽やかになる、という奥様のようなタイプの人は、必ず幸せを引き寄せます。
では、そのうらやましいクセはどのようにしたら身に付くのでしょう。

いちばんは「育ち」ですよね。そういうふうに育てられた、というか、親がそういう人だったのでしょう。奥様とそんなお話しはしたことがありませんけど、確実にお父さんかお母さんがそういうタイプの人だったはずです。
自分の子どもを観ているとわかりますよね、ダメなところが自分そっくりだということ。子どものことが心配だから、どうしてもダメなところばかりが気になるのですが、もっとじっくりと観察するといいところもまた自分そっくりなものです。
子は親の鏡。だとすると、親は気が抜けませんねえ。日々生命エネルギーを美しく燃焼させながら暮らして、背中でそれを子どもに示さなければなりません。「◯◯したらダメでしょ!」「なんであなたはいつもそうなの。もっと◯◯しなさい」って、百回言ったって、子どもは親の思うようにはなってくれません。特に思春期になると、言えば言うほど、それと反対のことをします。
そういうとき、親にできることは、自分の暮らしを正すことしかないのです。自らの暮らしが生命エネルギーを美しく燃焼させているものなら、その背中を子どもは必ず観ていて、やがて同じように、美しく燃焼する人生を送っていれます。間違いない。

話がそれましたので軌道修正します。
考えるよりも先に身体を動かすクセが身についている人は、軽やかに動き、思考も軽やかで、幸せを引き寄せる人生を送る。これはつまり、生きるということは身体を動かすことが基本で、思考はそのついでにあったほうがいいということです。思考が先行すると、どんなに深く考えたことであってもあまり幸せ方向へと向かうものにはならない。どうです、そういい切ってしまうとスッキリしませんか。「なあんだ、考えるよりも動いている方が幸せになるんだ」と。

いつも軽やかに動き回る奥様のココロは、その身体の動きと同様にいつも軽やかにコロコロと転がっているように感じます。ココロコロコロ、いいですよねこれ。ココロコロコロ、呪文にしようかな。
ココロコロコロ、いいなあ。本のタイトルにしてもいいですね、ココロコロコロ。

軽やかに身体を動かして、ココロをコロコロと転がして暮らす。
奥様から学んだことでした。

ココロコロコロがツボにはまってしまって、もう少しうがってみたくなりましたので、明日も続けます。