いやあよくしゃべったなあ。いつものことながら、庭のことは話し始めると止まらなくなります。
たくさんの方がよろこんでくださったようで、やってよかったーと思うのと、みなさんの旺盛な庭への意欲が押し寄せてくる感じで、良質なエナジーチャージができました。これでまた夢中で設計できます。
ほんと、庭を何とかしたいと考える人たち、そういう種族「庭族」って、庭以外というか庭も含めた生活全般に意欲的で創造的なんだなあと、あらためて感じました。要するに、庭は暮らしの活性度合いが現れる場所なんだなあということです。
暮らしがくすんでいるのに、庭だけがイキイキとしているという人に会ったことがありません。
いい感じで暮らしを組み立てているのに、庭がくすんでいる人は大勢います。そういう人が庭族予備軍。
遅かれ早かれ、庭族予備軍の庭はいい感じの暮らしに同調して行って、素敵な庭になります。
問題は、暮らしがくすんでいて、そのことにも気づいていない人たち。
庭をきっかけに、庭じゃなくて暮らしが変わるんだけどなあ・・・。
ちょっと、おせっかいなことを書きます。これをお読みの方には関係のない話かもしれませんので、サラッと読み過ごしてください。
「うちはもう子どもたちが大きくなったから、庭には出ない」というあなた。ほんとにいいんですかそれで。
「雑草取りしなくていいように、庭中をコンクリートにしたいんだけど」というあなた。ほんとにいいんですかそれで。
「暗くなったらカーテン閉めるから、庭にライトなんていらないわ」というあなた。ほんとにいいんですかそれで。
「雑草取りや芝刈りはしたくないので、人工芝を敷き詰めたいんだけど」というあなた。ほんとにいいんですかそれで。
「木を植えると大きくなって大変だから、1本も植えたくないんです」というあなた。ほんとにいいんですかそれで。
「虫が苦手だからガーデニングはしません」というあなた。ほんとにいいんですかそれで。
「今さら女房と庭で食事してもねえ・・・」というあなた。ほんとにいいんですかそれで。
「上を見たら切りがないよ。人生なんてそこそこでいい、まあこなもんだよ」というあなた。ほんとにいいんですかそれで。
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を呑ませることはできない。
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を呑ませることはできない。
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を呑ませることはできない。
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を呑ませることはできない。
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を呑ませることはできない。
ぼくが水辺までご案内します。その清流を喉を鳴らして味わうかどうかはあなたが決めることです。
なんちゃってね。
でもこれ、ほんとにそう思うんですね。庭を楽しむことを頑に拒否し続ける人にぼくができることは、水辺までの道案内だけ。
でも、何でなんですかねえ。何でそんなに庭が嫌いなのでしょう。目の前に幸せがあるのに、何でそんなにその幸せから距離を取ろうとするのか。そっちに手を伸ばすだけで届く距離なのになあ。
住宅地を歩くと、頑固に幸せを拒絶したような庭が延々と並んでいます。
まあいっか。幸せな人をもっと幸せにするのが庭なんですからね。
ぼくは徹底的に、バッカみたいに、ひたすらに、さらなる幸せのカタチを生み出し続けます。
庭族予備軍の方々の意識をちょっと庭方向へ向けるだけで、イキイキと庭族まっしぐらな思考になってくださることのうれしさ。
お隣さんが花いっぱいの庭だから、自然とこちらも花数が増えてゆくとか、庭で朝ご飯を食べている様子がうらやましくて、とりあえず庭にイスとテーブルを置いたとか、漠然と「うちの庭も何とかしなければ」という思いが募って相談会に来てくださった方とか。そういう連鎖が広がって行ったらいいなあ。どこまでもどこまでも広がって行って、日本中の家族が「庭のある暮らし」を楽しむようになったら、日本のGNHはブータンを越えると思うんだけどなあ・・・、と、妄想はどこまでも広がります。
来月は四季の森の「レノンの庭」で相談会を予定しています。