雨の日の超集中で抜け殻みたいになったのが、一夜が空け、またフレッシュな意欲が満ちています。
なんですかねえ、寝ている間にちゃんと何万個かの細胞が入れ替わっている感じ。こういうのを絶好調って言うんでしょうね。いいぞいいぞって感じです。

一昨日、妻の故郷姫路の先の、室津漁港から送られてきた瀬戸内海の牡蠣を食べた効果かもしれません。
旨いもの食べると、身体の芯から活性化するのを感じます。
家にいながら、地方地方の新鮮な食材が食べられる宅急便に感謝しました。贈ってくれた妻の友人にももちろん大感謝です。

その方には、もう少しして新潟の雪が融けたら、お返しに、春の息吹を凝縮したような新鮮な山菜を贈ろうと思います。



木の芽(アケビの新芽)
山菜1

コゴミとウド
山菜2



春近し。でも今年は豪雪だったので、山菜穫りは時期が遅れそうです。
いつも足が痛いと言っては年寄りくさい歩き方をしている父は、山菜穫りだけは痛みがなくなるようで、時期になると、毎日朝から晩まで山に入って食べきれないほどの量を穫ってきてくれます。
春、大きな段ボールで届く山菜、気持ちがパーッと晴れやかになる瞬間です。楽しみ楽しみ。

海の滋味がタップリと詰まった牡蠣、山の春の息吹をそのままいただく山菜、身体が目覚めるます。

海の恵み、山の恵みで得られる活力って、サプリメントとは別物の威力がありますよね。

田舎があるって有り難い! 旬を届けてくれる人に感謝!

おかげさまで元気いっぱいです。ほんと、おかげさまで。

さっ、今日も張り切って、頑張りましょ!







海の幸、山の幸って言います。自然の恵みに幸せを感じる、自然を味わうと幸せになるって、人は昔からそう感じていたはずなのに、・・・放射能。
海の幸、山の幸を忘れていたのかもしれません。ただタービンを回すことのために原子力使うなんてね、まるで、漫画の世界です。科学の進歩、・・・賢いのか愚かなのかわけのわからない行為でした。

いくら除染しても、結局はすべて土にしみ込み海へと流れてゆくことになるわけです。そして、半減期が数万年って、ね、いけませんよね。
これからは、学者、役人、政治家は、資格制度にしたらいい。牡蠣と山菜に幸せを感じるかどうか、それと、海の幸、山の幸を届けてくれる親戚や友人がいるかどうかを判定する。あと、俳句の季語とか動植物に関する知識もテストする。合格者だけにその道で頑張ってもらう。どうですかね、そういうの。

自然の恵みに幸を感じない人が生み出す科学技術や政策では、まったく役に立たない、そんな時代に入った気がします。

もっと大事なのは、学者でも、役人でも、政治家でもないぼくらが、地に足付けて、自然の恵みに幸を感じながら暮らすことです。ぼくらの暮らしが社会を方向付けるわけですから。
パンピーのぼくらは、海の幸、山の幸を味わい、そしてキッチリと、悔い改めましょ。

ここで、エコやロハスからさらに進化して、自然を味わい、自然に幸を見出す自然愛好家、「ナチュラリストの時代」に入りましょう。



自然が人間を許してくれることを、願うばかりです。