きのうの続きです。
なぜぼくが夜の庭に出続けているのか、そしてそうすることを、繰り返したくさんの人に勧めているのか。
それは、そのことにとてつもなく大きな価値を感じているからです。
世の中にこれだけたくさんの庭があって、でも夜に庭で過ごすことが習慣化している人はごくわずか。パーセンテージで言ったら0.01か、いやいやもっと低いかもしれません。
それが残念で残念で。
そもそも多くの家では、夜になるとカーテンを閉めて、雨戸も閉めて、庭は暮らしから除外されますよね。・・・もったいない。
夜の庭は、昼間の庭とは全く違う世界です。
静かで、辺りが暗くて、自分が居る庭だけが特別な世界として、まるで宙に浮いているような感覚になります。
夜の庭は、ひとり乗りの宇宙船です。
夜空を漂いながら照明の光に浮かび上がる木の葉や花は、明らかに人格を持って話しかけてきます。
夜の庭で孤独を感じたことは一度もありません。
ひとりでいてもまったく寂しさを感じない、不思議な感覚になります。
詩人の坂村真民は、晩年、夜中にひとりで森を散策したそうです。
わかるんだなあその気持ち。
夜の植物は雄弁で、その言葉は深く、心地よく、いつまでもその声を聞いていたいような気持ちになります。この上なく安らげるのです。
人と話すときにはそうはいきません。相手にうまく伝わらなかったり、時には論争になったりします。
まったく言葉とはそういうもので、本来は相手との良好な意思疎通のために生まれたはずのものが、まったく逆に、刃物のようになることがあります。
ぼくはこれまで「感情が波立っている時には、言葉は発しない方がいい」と、何度もそう思いました。
でも夜の植物との会話には、まったくそういう展開がありません。
その言葉は静かで、穏やかで、温かく、常にこちらを全肯定してくれます。
もちろん昼間も植物はそういう接し方をしてくれますが、でも夜の方がはるかに親密です。耳のすぐ近くで話しかけてきます。
夜の庭で聞こえてくる声は、無二の親友の声であり、敬愛する師の声であり、懐かしい母親の声であり、もう逝ってしまった人たちの冥土からの声です。
その声は、今日いち日の意味を考えさせてくれます。
楽しいこと、感動的な出来事、思うようにならなかったこと・・・善かれ悪しかれ、今日という日を味わい深く振り返らせてくれます。
流されるままに漫然と過ごせば、一日も一年も同じようなもの。
夜の庭で今日を振り返り、今日にピリオドを打つ習慣で、一日の意味が大きくなる。
もうひとつ、夜の庭がくれるありがたい事柄は「チューニング」です。
夜風と星空が、ギターの弦をチューニングするように、日中に乱れてしまった和音を整えてくれます。
夜の庭にいると、自分の乱れに気付きます。
しばらくすると、整った自分を確認できます。
この感じ、すべての人に必要だと思うんだなあ。
軌道修正と言ってもいい。
軌道って大事で、それは法律や慣習やお作法というような、人が整備してきた決まり事とは全く違う次元での「正しいルート」のことです。
地球上の生物として、地球人としてたどるべき道が軌道です。
軌道から外れていると、どんなに理屈を組み立てても、力んでも、何をやってもうまくいきません。
逆に、軌道から外れることなく暮らしている人は、何をやってもうまくいきます。
もがいてももがいても物事がうまく進まない時、あなたは軌道を修正する必要があります。
軌道は人知を越えた宇宙のルールです。生命をイキイキと循環させるために用意されたルートです。
あなたの軌道修正に、夜の庭は最適。
そこはそこが、あなたと宇宙との接点に位置する場所だからです。
この話、怪しくないんですよ(笑)。大事な大事なことなので、しっかりと読み取ってくださいね。
軌道がズレたままでもがき苦しんでいる人・・・たくさんいますから。
今日の話で、もしあなたが「夜の庭」に興味を持ったら、さっそく今晩からやってみてください。
必要なものは照明器具とイスとテーブルです。とても簡単なことです。
縁側でも、ベランダでもいい。そこが星空の下で、夜風を感じられる場所であればそれでいいのです。
ぼくみたいにパソコンを持ち出してもいいし、本を読んでもいいし、ただただボーッとするのでもいいし。とにかくこればっかりは、体感しないことには得られない。
もったいない、もったいない。
夜の庭を体感することなく、その恩恵を受けることなく過ごすのはあまりにもったいないのです。
もしも庭をお持ちじゃなければ、イスとテーブルを出せるベランダもないとしたら、この際引っ越しを考えてください。
夜の庭のために引っ越す。それだけの価値は十分にあります。
夜になったらカーテンを閉めて、雨戸も閉めてしまう生活を考え直してみてください。
夜庭に出て過ごす習慣によって、人生のクオリティーは格段に上がります。
ぼくは確信を持ってあなたにお勧めします。
毎晩宇宙船に乗っている人がつまらない人生を送るなんて、ちょっと考えられませんからね。
では、さあ、今晩からさっそく。
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない・・・あ、いや、ひとり言です。
なぜぼくが夜の庭に出続けているのか、そしてそうすることを、繰り返したくさんの人に勧めているのか。
それは、そのことにとてつもなく大きな価値を感じているからです。
それが残念で残念で。
そもそも多くの家では、夜になるとカーテンを閉めて、雨戸も閉めて、庭は暮らしから除外されますよね。・・・もったいない。
静かで、辺りが暗くて、自分が居る庭だけが特別な世界として、まるで宙に浮いているような感覚になります。
夜の庭は、ひとり乗りの宇宙船です。
夜の庭で孤独を感じたことは一度もありません。
ひとりでいてもまったく寂しさを感じない、不思議な感覚になります。
わかるんだなあその気持ち。
夜の植物は雄弁で、その言葉は深く、心地よく、いつまでもその声を聞いていたいような気持ちになります。この上なく安らげるのです。
まったく言葉とはそういうもので、本来は相手との良好な意思疎通のために生まれたはずのものが、まったく逆に、刃物のようになることがあります。
ぼくはこれまで「感情が波立っている時には、言葉は発しない方がいい」と、何度もそう思いました。
でも夜の植物との会話には、まったくそういう展開がありません。
その言葉は静かで、穏やかで、温かく、常にこちらを全肯定してくれます。
もちろん昼間も植物はそういう接し方をしてくれますが、でも夜の方がはるかに親密です。耳のすぐ近くで話しかけてきます。
楽しいこと、感動的な出来事、思うようにならなかったこと・・・善かれ悪しかれ、今日という日を味わい深く振り返らせてくれます。
流されるままに漫然と過ごせば、一日も一年も同じようなもの。
夜の庭で今日を振り返り、今日にピリオドを打つ習慣で、一日の意味が大きくなる。
夜風と星空が、ギターの弦をチューニングするように、日中に乱れてしまった和音を整えてくれます。
夜の庭にいると、自分の乱れに気付きます。
しばらくすると、整った自分を確認できます。
この感じ、すべての人に必要だと思うんだなあ。
軌道って大事で、それは法律や慣習やお作法というような、人が整備してきた決まり事とは全く違う次元での「正しいルート」のことです。
地球上の生物として、地球人としてたどるべき道が軌道です。
軌道から外れていると、どんなに理屈を組み立てても、力んでも、何をやってもうまくいきません。
逆に、軌道から外れることなく暮らしている人は、何をやってもうまくいきます。
もがいてももがいても物事がうまく進まない時、あなたは軌道を修正する必要があります。
軌道は人知を越えた宇宙のルールです。生命をイキイキと循環させるために用意されたルートです。
あなたの軌道修正に、夜の庭は最適。
そこはそこが、あなたと宇宙との接点に位置する場所だからです。
この話、怪しくないんですよ(笑)。大事な大事なことなので、しっかりと読み取ってくださいね。
軌道がズレたままでもがき苦しんでいる人・・・たくさんいますから。
必要なものは照明器具とイスとテーブルです。とても簡単なことです。
縁側でも、ベランダでもいい。そこが星空の下で、夜風を感じられる場所であればそれでいいのです。
ぼくみたいにパソコンを持ち出してもいいし、本を読んでもいいし、ただただボーッとするのでもいいし。とにかくこればっかりは、体感しないことには得られない。
夜の庭を体感することなく、その恩恵を受けることなく過ごすのはあまりにもったいないのです。
もしも庭をお持ちじゃなければ、イスとテーブルを出せるベランダもないとしたら、この際引っ越しを考えてください。
夜の庭のために引っ越す。それだけの価値は十分にあります。
夜庭に出て過ごす習慣によって、人生のクオリティーは格段に上がります。
ぼくは確信を持ってあなたにお勧めします。
毎晩宇宙船に乗っている人がつまらない人生を送るなんて、ちょっと考えられませんからね。
では、さあ、今晩からさっそく。
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない・・・あ、いや、ひとり言です。