土日を2回の計4日間、いろんな庭のことを考え、お客様と一緒にその方にとっての理想の庭をイメージしました。
最高に楽しい時間であり、充実した気分で相談会を終了することができました。
自分が楽しみながらそれをたくさんの人がよろこんでくださる、それも半端なく「ワクワクしてきました」、さらには「人生が変わりました」とまで言っていただけるって、ねえ、いやほんとに、最高に幸せなことです。
ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。
ぼくと一緒に膨らませたイマジネーションをしぼめることなく、ぜひ素晴らしい庭のある暮らしを実現させてくださいね。
あなたとのお話しの中で、ぼくが何度も繰り返した言葉、
イメージできたらできたも同然。
これを忘れないで、思う存分あなたの夢や理想をイメージしてください。
ぼくはあなたを応援しています。だから何なりと、いつでも気軽に声をかけてください。
今日は(今が旬のアジサイをご覧いただきながら)相談会からの帰り道に考えたことを書き留めておこうと思います。
庭を語りまくった充実感に浸りつつふと浮かんだこととは、「例えば・・・」。
運転しながらたまたま思い浮かんだその「例えば」から、脳内に妄想世界が広がっていきました。
例えば・・・ドリームジャンボが当たったとします。
・・・あるいは莫大な額の相続があったとか、いやいやそんなことじゃなくて、コツコツと仕事を頑張って得た資金で広大な庭のある大豪邸を手に入れたとします(妄想)。
だけどそれは、使い切れないほどのお金があるなら人を雇ってやってもらえば済むことかもしれません。
では、わが家が家庭不和だったらどうなるでしょうか。
その大豪邸での暮らしは地獄のような日々になります。
あるいはこんなことも考えられます。あまりの大金がストレスになってぼくが心を病んでしまったり、そのお金が元でトラブルに巻き込まれてしまったら・・・。
大金をつぎ込んだ豪邸は、ぼくにとって価値ゼロ、どころかマイナスにすらなりますよね。「狭いアパートで、家族で身を寄せ合いながら夢を語っていた頃の方がどれほど幸せだったことか」という気持ちになると思います。
自分の心の状態や暮らし方や周囲との関係性で、幸せの象徴だったはずの家が幸せに寄与するものにならなくなる可能性があるわけです。
これって珍しいことではありません。世の中を見渡すととても多い、四六時中起こっていることです。
そんな豪邸じゃなくても、家を持つことは、多くの人にとって人生上にある大きな夢のひとつ。
その価値は単にその家にかけた金額ではありません。その家によってどれだけ人生が豊かに幸福になったかが価値です。
つまりこういうこと、
幸せはお金では買えない。
庭の仕事をしていると、この使い古された言葉の意味を実感する場面に繰り返し遭遇します。
多くの人にとって幸せの象徴とも言える家を、現実的に幸せをもたらす場所にするためには、「金額と幸福量は必ずしも比例しない」ということを忘れてはいけません。
マイホームが幸せを約束してくれるわけではなく、幸せになれる人の家が幸せなマイホームになるのです。
幸せの実現というのはかなり高度なことです。ただぼーっとしているばかりでは、間違っても幸せな人生など得られません。
学校の成績が良くても、やりたかった仕事に就いても、理想のタイプに人と結婚しても、家を建てても、長年追いつづけた夢を実現したとしても、それで盤石な幸せを掴んだことにはなりません。
ではいったい、どうしたら幸せな人生が約束されると思いますか?
・・・そんなことがわかったら、ノーベル賞を100回受賞できますよね(笑)。それこそが古今東西の人類が答えを探し求めている課題なわけですから。
でもぼくはその問いに対する答を持っています。その答は、ノーベル賞は無理でも「横浜文化賞」には匹敵する(???)ものだと思っています。
「いったいどうすれば幸せな人生が約束されるのか」という問いへのぼくの答えは、
いい庭があれば大丈夫!
です。
ではその、幸せを約束してくれる「いい庭」とは・・・
「マイホームが幸せを約束してくれるのではなく、幸せになれる人の家が幸せなマイホームになるのです」になぞらえると・・・
庭が幸せを約束してくれるのではなく、幸せになれる人の庭が幸せな庭になるのです。
となります。ということは、庭が幸せを約束してくれるのではなくて「幸せになれる人が幸せになる」となりますから・・・いかん!「いい庭があれば大丈夫」という論は破綻してしまいました(横浜文化賞は落選)。
いい庭があれば大丈夫!と胸を張ってはいるものの、ちょっと突き詰めるとそれが幸せを保証するものじゃないことは明らか。
結局のところ、約束された幸せなどは地球上に存在しないということです。
それでもぼくは思います、いい庭があればたぶん大丈夫(笑)
幸せは家や庭で保証されるものじゃなくて、毎日コツコツと紡ぎ出してゆくもの。
いい家、いい庭はその作業場ってことですね。
いい庭があれば大丈夫!思う存分紡ぎの作業に没頭できます。
っと、ここで家に到着。
「レノンの庭」からの帰り道でふと浮かんだ「例えば・・・」から始まった妄想運転は終了です。
運転中の妄想行為は危険なので、良い子は真似しないように。
最高に楽しい時間であり、充実した気分で相談会を終了することができました。
自分が楽しみながらそれをたくさんの人がよろこんでくださる、それも半端なく「ワクワクしてきました」、さらには「人生が変わりました」とまで言っていただけるって、ねえ、いやほんとに、最高に幸せなことです。
ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。
ぼくと一緒に膨らませたイマジネーションをしぼめることなく、ぜひ素晴らしい庭のある暮らしを実現させてくださいね。
あなたとのお話しの中で、ぼくが何度も繰り返した言葉、
イメージできたらできたも同然。
これを忘れないで、思う存分あなたの夢や理想をイメージしてください。
ぼくはあなたを応援しています。だから何なりと、いつでも気軽に声をかけてください。
今日は(今が旬のアジサイをご覧いただきながら)相談会からの帰り道に考えたことを書き留めておこうと思います。
庭を語りまくった充実感に浸りつつふと浮かんだこととは、「例えば・・・」。
運転しながらたまたま思い浮かんだその「例えば」から、脳内に妄想世界が広がっていきました。
・・・あるいは莫大な額の相続があったとか、いやいやそんなことじゃなくて、コツコツと仕事を頑張って得た資金で広大な庭のある大豪邸を手に入れたとします(妄想)。
でもぼくと女房が片付けられない人だったら・・・その大豪邸は大ゴミ屋敷になります。
その大豪邸での暮らしは地獄のような日々になります。
あるいはこんなことも考えられます。あまりの大金がストレスになってぼくが心を病んでしまったり、そのお金が元でトラブルに巻き込まれてしまったら・・・。
自分の心の状態や暮らし方や周囲との関係性で、幸せの象徴だったはずの家が幸せに寄与するものにならなくなる可能性があるわけです。
これって珍しいことではありません。世の中を見渡すととても多い、四六時中起こっていることです。
その価値は単にその家にかけた金額ではありません。その家によってどれだけ人生が豊かに幸福になったかが価値です。
つまりこういうこと、
幸せはお金では買えない。
庭の仕事をしていると、この使い古された言葉の意味を実感する場面に繰り返し遭遇します。
マイホームが幸せを約束してくれるわけではなく、幸せになれる人の家が幸せなマイホームになるのです。
学校の成績が良くても、やりたかった仕事に就いても、理想のタイプに人と結婚しても、家を建てても、長年追いつづけた夢を実現したとしても、それで盤石な幸せを掴んだことにはなりません。
・・・そんなことがわかったら、ノーベル賞を100回受賞できますよね(笑)。それこそが古今東西の人類が答えを探し求めている課題なわけですから。
「いったいどうすれば幸せな人生が約束されるのか」という問いへのぼくの答えは、
いい庭があれば大丈夫!
です。
「マイホームが幸せを約束してくれるのではなく、幸せになれる人の家が幸せなマイホームになるのです」になぞらえると・・・
庭が幸せを約束してくれるのではなく、幸せになれる人の庭が幸せな庭になるのです。
となります。ということは、庭が幸せを約束してくれるのではなくて「幸せになれる人が幸せになる」となりますから・・・いかん!「いい庭があれば大丈夫」という論は破綻してしまいました(横浜文化賞は落選)。
結局のところ、約束された幸せなどは地球上に存在しないということです。
幸せは家や庭で保証されるものじゃなくて、毎日コツコツと紡ぎ出してゆくもの。
いい家、いい庭はその作業場ってことですね。
いい庭があれば大丈夫!思う存分紡ぎの作業に没頭できます。
「レノンの庭」からの帰り道でふと浮かんだ「例えば・・・」から始まった妄想運転は終了です。
運転中の妄想行為は危険なので、良い子は真似しないように。