先日の「十年に一度の大型台風」は横浜にはさしたる被害もなく、わが家の庭は植木鉢がひっくり返った程度でした。
ところが、伊豆大島の地滑り。
何で自然ってのはこうも残酷なことをするんでしょう。
テレビでは避難勧告を出さなかったことを非難する報道が続いていましたが・・・被災された住民の方が「まさかこんなことになるなんて、まったく考えたことがなかった」と話している通り、予見することは難しかっただろうなあと思います。
誰かのせいにしたい気持はわかります。でないと、悲しさを通り越した怒りのような感情の持って行き場所がないですからね。
でももしもあの自然災害を責任追及するとしたら、糾弾されるべきは人類です。地球人全員が招いた災害なのです。
以前「地球カレンダー」という本を紹介しました。
地球の誕生からの歴史を一年間のカレンダーに置き換えてみると、人類が登場するのは12月31日大晦日の夜、紅白歌合戦の頃です。地球上のすべての生物の中で最も遅く現れたホモサピエンスはその発達した脳を武器にして驚異的に繁栄しました。そして除夜の鐘が鳴り出す寸前に(禁断の)化石燃料に着火して二酸化炭素を爆破させました。
それは産業革命から今日までの200年間の出来事で、地球カレンダーではほんの1、2秒の出来事です。
だからまさに爆発で、その火の粉を鎮火させようとする地球の防衛策が異常気象なのです。
つまり異常なのは気候ではなくて人間のしでかしたことであると、ぼくにはそう思えます。
二酸化炭素爆弾を爆発させてしまったぼくら人間は、どうしたらいいと思いますか。
化石燃料を使わないために原子力?いやいやそれは論外。石油を燃やすこと以上のキツいしっぺ返しがあることは明らかです。
やっぱり、風力、水力、地熱、太陽光などのナチュラルエナジーを使った暮らしに切り替えるべきですよね。
多くの人はそれでは発電量が足らないと言います。自然エネルギーでは今の社会システムや暮らしを維持できないと言います。
足らなくたっていいじゃないですか、そうしなきゃならないんだから。
ぼくらは今、二者択一を迫られています。
拡大か、循環か。
どっちを選べばいいかなんて、小学生でもわかることですよね。
より早く、より大きく、より便利に、より快適に、「より」が拡大を招くキーワード。
人類はなぜ地球を痛めつけてまで「より」で進んできたのか。・・・ただひたすらに、一生懸命に、幸せを追求してきたんですよね。
でももうそれは止めにしなければなりません。
唯一これからも「より」をつけていいのは「幸せ」だけです。「より幸せに」だけは持ち続けていい。というか、これまで以上に真剣に、これまで以上に必死になって「より幸せに」を追求しなくてはなりません。
どう考えても、自然からのしっぺ返しはまだほんの序の口なんですから。
このことを口にする人はまだ少ないんですけど(いろいろと差し障りがありますから)、「もはや手遅れである」と考える専門家がたくさんいます。あと100年は大丈夫かもしれないけど、300年後に人類が存続できているという予測が立て辛い状況にあるそうです。
「じゃあどうするんだ。あんたは今日からどうやって暮らすんだ」と言われると、・・・きっと、それに答えられる人はいません。それと、たったひとりが何かをやってどうにかなることではないですからね。
でも、それでも、ぼくらはきっぱりと「循環」を選ばなければなりません。
「もっと幸せに」の「幸せ」を、これまでの「拡大」ではなく「循環」の中に見出さなければなりません。
拡大か循環かという問いに、全会一致で循環を選んだ上で、どうやったらもっと幸せになれるのかを、必死になって考え追求していかない限り、ホモサピエンスは地球から排除されます。
それにしても、伊豆大島のことは切ないですね。
あんなに自然豊かな場所で、三原山のこともあって他の地域よりも自然を敬い、自然に歩調を合わせて、純朴な笑顔で生きてきた人たちなのに、その命を奪うとは・・・。
しかもまた次の台風が勢力を増しながら近づきつつあります。
自然って・・・。
島民たちは、それでも自然を恨むことなく、自然に仕返しをすることもなく、また一生懸命に自然と共生しようとするでしょう。
人間って・・・。
これから世界中で起こるであろう予測不可能な悲劇を、人類は耐え続けなければなりません。
苦難に耐えるために何が必要か。・・・愛情です。
家族はもちろん、家族以外の人への愛情、友人への、故郷への、地球への愛情が、苦難に耐える力と知恵を与えてくれるはずです。
過去や現状を悔やんだり悲観的になったりすることに、あまり意味はありません。そんな暇があったら、せっせと愛情を膨らませましょうね。
ホモサピエンスが愛情の生き物になったとき、きっと運命を好転させる出来事がやってきます。今はそう信じて進むしかない。
とにかく、もう大きさや早さや便利さを賞賛することは止めにしませんか。理不尽に、自然に奪われてしまったたくさんの命に報いるためにも。
ところが、伊豆大島の地滑り。
テレビでは避難勧告を出さなかったことを非難する報道が続いていましたが・・・被災された住民の方が「まさかこんなことになるなんて、まったく考えたことがなかった」と話している通り、予見することは難しかっただろうなあと思います。
誰かのせいにしたい気持はわかります。でないと、悲しさを通り越した怒りのような感情の持って行き場所がないですからね。
でももしもあの自然災害を責任追及するとしたら、糾弾されるべきは人類です。地球人全員が招いた災害なのです。
地球の誕生からの歴史を一年間のカレンダーに置き換えてみると、人類が登場するのは12月31日大晦日の夜、紅白歌合戦の頃です。地球上のすべての生物の中で最も遅く現れたホモサピエンスはその発達した脳を武器にして驚異的に繁栄しました。そして除夜の鐘が鳴り出す寸前に(禁断の)化石燃料に着火して二酸化炭素を爆破させました。
それは産業革命から今日までの200年間の出来事で、地球カレンダーではほんの1、2秒の出来事です。
だからまさに爆発で、その火の粉を鎮火させようとする地球の防衛策が異常気象なのです。
つまり異常なのは気候ではなくて人間のしでかしたことであると、ぼくにはそう思えます。
化石燃料を使わないために原子力?いやいやそれは論外。石油を燃やすこと以上のキツいしっぺ返しがあることは明らかです。
やっぱり、風力、水力、地熱、太陽光などのナチュラルエナジーを使った暮らしに切り替えるべきですよね。
多くの人はそれでは発電量が足らないと言います。自然エネルギーでは今の社会システムや暮らしを維持できないと言います。
足らなくたっていいじゃないですか、そうしなきゃならないんだから。
拡大か、循環か。
どっちを選べばいいかなんて、小学生でもわかることですよね。
人類はなぜ地球を痛めつけてまで「より」で進んできたのか。・・・ただひたすらに、一生懸命に、幸せを追求してきたんですよね。
でももうそれは止めにしなければなりません。
唯一これからも「より」をつけていいのは「幸せ」だけです。「より幸せに」だけは持ち続けていい。というか、これまで以上に真剣に、これまで以上に必死になって「より幸せに」を追求しなくてはなりません。
どう考えても、自然からのしっぺ返しはまだほんの序の口なんですから。
「じゃあどうするんだ。あんたは今日からどうやって暮らすんだ」と言われると、・・・きっと、それに答えられる人はいません。それと、たったひとりが何かをやってどうにかなることではないですからね。
でも、それでも、ぼくらはきっぱりと「循環」を選ばなければなりません。
「もっと幸せに」の「幸せ」を、これまでの「拡大」ではなく「循環」の中に見出さなければなりません。
拡大か循環かという問いに、全会一致で循環を選んだ上で、どうやったらもっと幸せになれるのかを、必死になって考え追求していかない限り、ホモサピエンスは地球から排除されます。
あんなに自然豊かな場所で、三原山のこともあって他の地域よりも自然を敬い、自然に歩調を合わせて、純朴な笑顔で生きてきた人たちなのに、その命を奪うとは・・・。
しかもまた次の台風が勢力を増しながら近づきつつあります。
自然って・・・。
島民たちは、それでも自然を恨むことなく、自然に仕返しをすることもなく、また一生懸命に自然と共生しようとするでしょう。
人間って・・・。
苦難に耐えるために何が必要か。・・・愛情です。
家族はもちろん、家族以外の人への愛情、友人への、故郷への、地球への愛情が、苦難に耐える力と知恵を与えてくれるはずです。
過去や現状を悔やんだり悲観的になったりすることに、あまり意味はありません。そんな暇があったら、せっせと愛情を膨らませましょうね。
ホモサピエンスが愛情の生き物になったとき、きっと運命を好転させる出来事がやってきます。今はそう信じて進むしかない。