毎晩夜の庭でこのブログの原稿を書き、その後に本を読んでいます。
読書の秋とはよく言ったもので、いやあ楽しい楽しい。朝からすでに夜の読書タイムが待ち遠しいほどです。
で、何を読んでいるのかというと、お医者さんと学者さんの本を数冊ザッピングしています。
今はまっているのが腸の話と脳科学。身体っておもしろすぎです。
何で庭屋が医学なの?と思うかもしれませんけど、身体の仕組みを知ることで物事の捉え方や考え方が整うということがあって、つまりは医学系の本を読むことで、いい感じの暮らしに役立つ庭づくりが実現してゆくというわけです。
ぼくが目指している庭の設計は、その「いい感じの暮らし」を探求をしているようなものですから、身体の探求にも興味が尽きないのだと思います。
秋の陽射しっていいですよね。
光が濃い感じがします。
例えば「ミラーニューロン」。
これはここ最近10年ほどで発見されたというか認識が確立された脳の働きです。
ニューロンとは脳内の神経細胞で、木の根っこみたいな形をしています。ざっくり言うと刺激を受信するアンテナとアンプがセットになったようなものです。
ミラーニューロンは主に視覚から情報によって他者を認識する機能で、これによって人は他の人の感覚や感情を捉えることができ、さらにそれを自分のことのように感じることができる。よろこびを分かち合うとか他人の痛みを知るということは、ミラーニューロンの働きによることなわけです。
他者の内面を感じられず他人の痛みがわからないわけですから、平気で人を嫌な気持にさせる言動に出たり、もっとひどい場合は自分勝手な理屈によって他者に傷を負わせてしまうこともあります。
もう一つ、ミラーニューロンの機能不全で起こることがあります。
自分を肯定できなくなる。
人間はこのミラーニューロンによって他者を感じ取り、そこに自分を投影することで自分を感じるということが発達して「ほぼサル」から「人類」へと進化しました。他の動物にはない濃くて相乗的に幸福感を得られるコミュニケーションを生み出し、社会を発展させてきました。
ところが、それがその脳の機能が発達し過ぎてしまったのか、今では他者を通してしか自分を認識できない動物になってるといいます。
「他者を通してしか自分を認識できない」とは、つまり、幸せな状態の他人の姿を受信して、その幸福感に共感しそれを共有することで自分が幸せな存在であると思える。受信感度が弱まると、幸福感が弱まるとともに自分を認識できなくなってゆくということ。
幸福感を得られずに自分という存在をうまくつかめなくなると・・・徐々にそんな自分のことが嫌いになってゆくわけです。
嫌いな人からは目を背けますよね。それが自分だった場合、自分で自分から目を背けてしまって自分が見えなくなってゆく。「自分探し」って言ってる人の多くはそういう状態にあると思われます。
「自分探し」って、一時やたらに流行りましたけど、どうもぼくは馴染めなくて・・・「じゃあその自分探しをしているあんたは誰?」って訊きたくなっちゃうんですよねえ。
ま、いいです。現実にそういう人も大勢存在しているわけですからね。
自分探しには他者を感じ取ることが必要。
自分は他者の中にある。
すっごくわかり辛いと思いますけど、ミラーニューロンの機能を踏まえると、そういうことになります。
自分を好きになれない人は他の人を好きじゃない状態。
会う人会う人を大好きになれば、自分を大好きになれますよ。
おもしろいでしょ、ミラーニューロン。
ミラーニューロンの機能が低下し始めると、あるとても顕著な症状が出現します。他人を批判するようになるのです。
何でもかんでも批判する人っているでしょ。よ〜く観察すると、そういう人って満たされていない、自分のことが好きじゃない人なんですよね。つまり自己肯定感の欠如です。
政治や社会問題を批判するくらいならまあまあいいとして、もっと進むと自分の身近な人を非難し始めます。子どもや連れ合いや友人のことを悪く言う人っているでしょ。
言葉とは恐ろしいもので、言っているとその言葉に羽交い締めにされるように、本当に言葉通りに近親者を嫌いになっていきます。
親が嫌い、連れ合いを愛せない、もっと悲惨なのは子どもを好きになれない。大丈夫ですか?あなたは他所様の前で、そんなこと、言っていませんよね。
ミラーニューロンという、実際には見ることのできない身体の仕組みのことを知ることによって、ずいぶんと思考が整うでしょ。こりゃあ人前で連れ合いのことを愚痴れないなあって。
ここでひとつ、庭屋としての見解を述べさせていただきます。
物事に批判的になっているとき、庭の花は少なくなる。
ミラーニューロンが活性化していると、きっと人だけではなく庭とも呼応関係が成立するんですよね。だから庭は花だらけになってゆく。逆だと庭は愚痴の対象になって、当然花は少なくなってゆく。
ミラー(鏡)ニューロン、ぼくが前々から繰り返している「庭はあなたを映します」「庭が輝くとあなたが輝きます」ということの脳科学的な裏付けができたようで、軽く興奮しました。
ついついパートナーのことを愚痴ってしまう、社会や他人を批判してしまうのは、ミラーニューロンの機能不全。
もしも自分がそうなりつつあると気づいたら、すぐに軌道修正しましょう。
その方法はとても簡単で、誰にでもすぐにできます。
幸せに暮らしている人と時間を過ごすとミラーニューロンが活性化します。
ようするにこういうこと。
人間は、賢く幸せに暮らしている人に囲まれていると幸せになってゆく。
その逆もあり・・・、注意しましょうね。
あ、それと、庭が荒れたまんまで暮らすことも危険ですよ。
読書の秋とはよく言ったもので、いやあ楽しい楽しい。朝からすでに夜の読書タイムが待ち遠しいほどです。
で、何を読んでいるのかというと、お医者さんと学者さんの本を数冊ザッピングしています。
今はまっているのが腸の話と脳科学。身体っておもしろすぎです。
何で庭屋が医学なの?と思うかもしれませんけど、身体の仕組みを知ることで物事の捉え方や考え方が整うということがあって、つまりは医学系の本を読むことで、いい感じの暮らしに役立つ庭づくりが実現してゆくというわけです。
ぼくが目指している庭の設計は、その「いい感じの暮らし」を探求をしているようなものですから、身体の探求にも興味が尽きないのだと思います。
秋の陽射しっていいですよね。
光が濃い感じがします。
これはここ最近10年ほどで発見されたというか認識が確立された脳の働きです。
ニューロンとは脳内の神経細胞で、木の根っこみたいな形をしています。ざっくり言うと刺激を受信するアンテナとアンプがセットになったようなものです。
ミラーニューロンは主に視覚から情報によって他者を認識する機能で、これによって人は他の人の感覚や感情を捉えることができ、さらにそれを自分のことのように感じることができる。よろこびを分かち合うとか他人の痛みを知るということは、ミラーニューロンの働きによることなわけです。
この機能が低下するとどうなるかというと、・・・これがけっこう深刻な事態を招きます。
自分を肯定できなくなる。
人間はこのミラーニューロンによって他者を感じ取り、そこに自分を投影することで自分を感じるということが発達して「ほぼサル」から「人類」へと進化しました。他の動物にはない濃くて相乗的に幸福感を得られるコミュニケーションを生み出し、社会を発展させてきました。
ところが、それがその脳の機能が発達し過ぎてしまったのか、今では他者を通してしか自分を認識できない動物になってるといいます。
「他者を通してしか自分を認識できない」とは、つまり、幸せな状態の他人の姿を受信して、その幸福感に共感しそれを共有することで自分が幸せな存在であると思える。受信感度が弱まると、幸福感が弱まるとともに自分を認識できなくなってゆくということ。
幸福感を得られずに自分という存在をうまくつかめなくなると・・・徐々にそんな自分のことが嫌いになってゆくわけです。
嫌いな人からは目を背けますよね。それが自分だった場合、自分で自分から目を背けてしまって自分が見えなくなってゆく。「自分探し」って言ってる人の多くはそういう状態にあると思われます。
「自分探し」って、一時やたらに流行りましたけど、どうもぼくは馴染めなくて・・・「じゃあその自分探しをしているあんたは誰?」って訊きたくなっちゃうんですよねえ。
ま、いいです。現実にそういう人も大勢存在しているわけですからね。
自分は他者の中にある。
すっごくわかり辛いと思いますけど、ミラーニューロンの機能を踏まえると、そういうことになります。
自分を好きになれない人は他の人を好きじゃない状態。
会う人会う人を大好きになれば、自分を大好きになれますよ。
おもしろいでしょ、ミラーニューロン。
何でもかんでも批判する人っているでしょ。よ〜く観察すると、そういう人って満たされていない、自分のことが好きじゃない人なんですよね。つまり自己肯定感の欠如です。
政治や社会問題を批判するくらいならまあまあいいとして、もっと進むと自分の身近な人を非難し始めます。子どもや連れ合いや友人のことを悪く言う人っているでしょ。
言葉とは恐ろしいもので、言っているとその言葉に羽交い締めにされるように、本当に言葉通りに近親者を嫌いになっていきます。
親が嫌い、連れ合いを愛せない、もっと悲惨なのは子どもを好きになれない。
その迷路に迷い込んでしまったら、その後の人生は幸せとは逆の悲しい展開しか待っていません。
多少出来が悪い子どもであっても、家庭でグータラな亭主であっても、良妻賢母とはいえない妻であっても、他人様の前でその価値を下げるようなこが口をついてでてしまうってのは・・・脳科学的にはよくある些細な症状ですけど、人生上では、不幸を招いてしまう可能性大の深刻な状態であると思った方がいいんです。
ここでひとつ、庭屋としての見解を述べさせていただきます。
物事に批判的になっているとき、庭の花は少なくなる。
ミラーニューロンが活性化していると、きっと人だけではなく庭とも呼応関係が成立するんですよね。だから庭は花だらけになってゆく。逆だと庭は愚痴の対象になって、当然花は少なくなってゆく。
ミラー(鏡)ニューロン、ぼくが前々から繰り返している「庭はあなたを映します」「庭が輝くとあなたが輝きます」ということの脳科学的な裏付けができたようで、軽く興奮しました。
もしも自分がそうなりつつあると気づいたら、すぐに軌道修正しましょう。
その方法はとても簡単で、誰にでもすぐにできます。
幸せに暮らしている人と時間を過ごすとミラーニューロンが活性化します。
ようするにこういうこと。
人間は、賢く幸せに暮らしている人に囲まれていると幸せになってゆく。
あ、それと、庭が荒れたまんまで暮らすことも危険ですよ。