人は何歳くらいまで夢を語るものなのでしょう。

小2の孫に「ジイジくんは大きくなったら彫刻家になりたいんだよ」と言ったら、ポッカーンとしたあとに「何言ってんの、もう大きくならないでしょ」と笑われました。


ぼくとしては叶えたい夢(他愛もないことばかり)を10個くらい頭に置いておくと仕事の調子が上がるので、昔から、年齢に関係なく夢っぽいことがすらすら出てきます。

行きたい場所、会いたい人、食べたいもの、家族と一緒にやりたいこと。

そもそも庭を思い描くとは夢をカタチにすることですから、思考の癖になっているのでしょう。



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庭は人を饒舌にする場所です。

友人と集えば日付が変わるまで話がはずむし、すっかり無口になった夫婦であっても、庭でワインを開ければ出会った頃のように会話が止まりません。

一瞬、古女房のしぐさにドキッとしたり、そんな奇跡も起こります。


なぜだと思います?それはですね、庭にるときは不思議と否定的な言葉が出てこないからです。



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つまり、これだと思うんですよ、庭の威力。



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なぜ否定言葉にならないのか。

たぶん、周囲にある自然環境と非定型がそぐわないからでしょう。

心地よい風と光の中で、室内にいる時みたいに否定を続けられるわけがない。

庭の住人である植物も昆虫も鳥たちも(道教的な解釈をすれば)概念として否定を持ち合わせていませんから。

そんな環境で、自分だけが「でもね」「そうは言っても」「やめときなよ夢を追うなんて。儚いという字は人の夢って書くでしょ」という口癖的な否定は、なんと申しますか、庭に嫌われてしまいます。



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庭は自然な場所。

タオの世界。

さて、人は?・・・すぐに不自然に陥ってしまうんですよね。

種族としての病ですかね。


いつでもどこでも、スラスラと夢を語れる自分をキープしたいものです。

それが人間本来の自然体ですから。

これは想像ですけど、縄文時代、人は焚き火に集ってバーベキューをしながら大いに夢を語ってたんじゃないかなあ。

あの時代で、あの環境で、不自然になることは命取りですから。


では今の時代、この環境ではどうでしょう。