やや落ち込みつつも、これもまたいつものことであるというような心持ちの時期がある。大げさに言うなら人生とはまあこんなものであると、達観のような、諦めのような。しかしそれはまるっきりの諦めとは違っていて、彼がその時期にその位置にいることは、彼なりにしてみれば一応は前向きなことなのである。ただそのスタンのままだとどうにも世の中との整合が得られないために、常態的にやや落ち込んで過ごしているといった次第だ。
その晩のこと、熟する前のトマトを持って三毛猫がやってきた。一悶着あって、猫は這々の体で逃げ帰った。
次の晩、灰色のカッコウがやってきて、またもや悶着して去っていった。
次の晩は子狸が、その次の晩は病んだ幼子を連れた野鼠が。
人間は一生のうち、逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅過ぎない時に。明治生まれの哲学者、森信三の言葉である。
まだうだつが上がらない彼にもそれは起こったのだ。ただ、やってきたのが人ではなく獣たちだったのは、彼が生来備えていた深い情と裏腹の、どこか人嫌いな、臆病なタチだったからかもしれない。彼はいつもリスやイタチや夜鷹を友として、イーハトーブに暮らしているのだ。
三毛猫は彼に「甘ちゃん、ひたすらに修練を積むんだよ」と告げにきた。灰色のカッコウは「シンプルに、清廉に、鳥たちのように喉から血が出るまで反復しなさい」と諭し、狸の子は「恐れずに励めば自ずと問題点が浮き上がってくるでしょう」と予言し、子連れの野鼠は「懸命に生きる者は、その懸命さによってすでに世の役に立っているのです」と、フランクル理論にも通ずる真理を彼に知らしめた。
ある日突然思いもよらぬ出来事として、随分と長く才能を封じていた重い蓋が、あっけなくぱかっと開く瞬間がある。
彼は四種の小動物の来訪者によってその時を得てからというもの、感動を与えることの感動を知ったに違いなかろう。
小学生の時分にこの物語を読んだ記憶はある。ただ、その粗筋すら忘れていて、さだまさしの曲と区別がつかなくなっていたほどだから、まだほとんどぼーっとすることで日がなを送っていた少年には意味を持たないことだったのだろう。それが今読み返すと、脳内に、全くもって新たな世界として展開されたのだ。
ただ、前述の解釈がいかにも表面的なものであることは、読んでいる最中からそう思っていた。一行ごとにそんな香りが詰まっている。だから習い性に従って三度読んでみたが、今のところはここ止まりだ。
噛めば噛むほどのスルメのように、読めば読むほどの聖書や、読んだことはないがイスラムのクルアーンや、日本に伝わるアマテラスの物語のように、一年後に、五年後に、余命の幸運に恵まれたとすれば十年後に、二十年後にも読み返したいのだ。この隠喩に満ちた物語を書いた、内気にして不器用で、静かに頑固な銀河の彼方からの神の遣いが、果たして何を思いながらカサカサとペンを走らせていたのかを、その夜の彼の心情の間近にまでにじり寄って、手土産の酒を、セロにお似合いのオンザロックで舐めながら言葉を交わしてみたいのだ。言葉少なに一言二言であることは想像できるが、それでもその一言二言が、もしかしたら、星降る草むらから乗車した車両の別珍のベンチシートで、少年ジョバンニが、隣に行儀よく腰掛けているカンパネルラと天空に交わした「約束の地」を指し示すのではないかと。
賢治さん、賢治さん、ゴーシュもまたきっとあなたですよね。あの時の、アンコールに突き出されてインドの虎狩りを弾いた時の感情が、こんちくしょうだったのか、あるいは静かな炎を上げる薪のようなものだったのかと。生意気な三毛猫がからかい気味に所望したロマチック・シューマン(ロマン派のシューマン)のトロメライ(トロイメライ)を、あなたのセロが奏でる日は訪れたのでしょうか、と、一言二言を。