セイタカアワダチソウが咲き出しました。一般的にこれをブタクサと称し花粉症の元凶であるとして、風景に黄色を見た途端にクシュンクシュンと症状が出る方も多いと聞きますけど、それは気のせいです。ブタクサとセイタカは見た目は似ていても全く違う植物で、ブタクサが花粉を飛ばす風媒花であるのに対し、セイタカは虫媒花(昆虫によって受粉する)ですから花粉は飛ばさない。そもそもブタクサは里山近くの荒地など、限られた場所で細々と生息している草ですから、住宅地で普通に暮らしていたら目にすることも稀です。ああそれなのにそれなのに、あちこちで盛大に咲くセイタカに言われなき汚名を着せてしまったことで、「あ、ブタクサだ!」ってんで、逆プラセボ効果で秋の花粉症が広がっている、という気がして仕方ないのですが。
逆プラセボ、思い込みで病に入ってしまうケースは確かに多い。コロナコロナで騒いでいたら感染者数が増え続け、一方でこれまで毎年コロナと同じほどの死者数を出していたインフルエンザがほぼゼロだったという事実。花粉症に関しても一切騒ぎにはならなかった。専門家は皆さんがマスクをしていたからだって言うんですけど、そんなはずないと思うんですけどねえ。仮に、マスクをするだけでインフルがゼロになるなら、今後「風邪の季節は国民全員がマスク着用で」とおふれを出せばたくさんの命が救えるわけで、ぜひそうして欲しいものです。
しかし花粉症は感染症ではないし、自分がマスクをしていればいいわけで、でもマスクの中で鼻水が止まらず、くしゃみをしたり目の周りを真っ赤にしていたのですから、「マスク着用の効用である説」は破綻。コロナ以前は花粉症薬のコマーシャルが始まった途端にグシュグシュが始まっていた女房にもこの2年は症状なしで、あの高価な空気清浄機やら薬やら、マスクも毎年大量に買っていたのは無駄遣いだったのではないか。それどころか花粉症の原因が私であるかの如くに不機嫌顔で文句を言われまくった日々はなんだったのかと、やはり気のせいが大きかったのではという疑惑が確信に傾きました。しかしこのことを言うと猛反撃に合うので言いませんけど、絶対に。気のせいや思い込みによって、心配したことが現実になりやすい、という現象があるということも、散々危機を煽ってきた先生方に語っていただきたいなあと思うんですけどねえ。
プラセボ効果とは、プラシーボ・エフェクト、偽薬効果。コロナ接種薬の治験でも偽薬を使って検証することが繰り返されたといいます。プラセボがあれば逆プラセボも当然起こるわけです。
思い込んだら試練の道を、行くが男のど根性。この歌詞が前々から気になっていました。試練と思い込むから試練の道になるわけで、大谷をご覧なさいな、愉快な日々をイメージすればそうなるし、自分は成功すると信じ切っている者だけが成功者となる。逆プラはその逆で、もうダメだ、無理だよ、俺にはできない、と口に出した者は次元下降で失敗が続く。おいおいいったいどこまでダメになれば気が済むんだい、と言いたくなるところまで落ちてゆく。だからですね、良くない未来のイメージを持ってはいけないのです。この頃減ってきましたが、日に何度もがん保険のコマーシャルを流すことでがん患者が増えているのではないか、などと思っていたものですけど、どう思います?でしょ。情報は的確なものを少しで十分。
アルベルト・アイ〜〜〜ンシュタイン
庭に関しても「芝生は手入れが大変で」とか「木を植えたら大きくなって困るわよ」とか「薔薇って難しいわよねえ」など、昭和のご婦人方が井戸端で繰り広げた何気ない愚痴が広まり、結果、そのご子息世代が庭アレルギーや庭コンプレックスに陥ってしまったような。この頃ではそのまたご子息世代が、検索から知識を得て人工木と人工芝を選択する始末。やれやれ、それって全部気のせいと勘違いなんですけどねえ。
人はイメージした方向にベクトルが向き、物事は見つめた方向に進む。有り余る情報を的確に取捨選択して、希望に満ちた明日を思い描きましょう。あ、何か大きなことが起こった時には、テレビは消してラジオにしといた方がいいかも。コロナ騒動で得たひとつの結論、テレビはマイナス世界へ煽動する。何が違うのか、ラジオには美しい発言があるしイカした音楽が流れてくる。そう、音楽ですよ音楽。
おっといけねえ、庭ですよ庭。ブタクサの話でした。ブタクサは風媒花、セイタカアワダチソウは虫媒花。
逆プラセボ、思い込みで病に入ってしまうケースは確かに多い。コロナコロナで騒いでいたら感染者数が増え続け、一方でこれまで毎年コロナと同じほどの死者数を出していたインフルエンザがほぼゼロだったという事実。花粉症に関しても一切騒ぎにはならなかった。専門家は皆さんがマスクをしていたからだって言うんですけど、そんなはずないと思うんですけどねえ。仮に、マスクをするだけでインフルがゼロになるなら、今後「風邪の季節は国民全員がマスク着用で」とおふれを出せばたくさんの命が救えるわけで、ぜひそうして欲しいものです。
しかし花粉症は感染症ではないし、自分がマスクをしていればいいわけで、でもマスクの中で鼻水が止まらず、くしゃみをしたり目の周りを真っ赤にしていたのですから、「マスク着用の効用である説」は破綻。コロナ以前は花粉症薬のコマーシャルが始まった途端にグシュグシュが始まっていた女房にもこの2年は症状なしで、あの高価な空気清浄機やら薬やら、マスクも毎年大量に買っていたのは無駄遣いだったのではないか。それどころか花粉症の原因が私であるかの如くに不機嫌顔で文句を言われまくった日々はなんだったのかと、やはり気のせいが大きかったのではという疑惑が確信に傾きました。しかしこのことを言うと猛反撃に合うので言いませんけど、絶対に。気のせいや思い込みによって、心配したことが現実になりやすい、という現象があるということも、散々危機を煽ってきた先生方に語っていただきたいなあと思うんですけどねえ。
プラセボ効果とは、プラシーボ・エフェクト、偽薬効果。コロナ接種薬の治験でも偽薬を使って検証することが繰り返されたといいます。プラセボがあれば逆プラセボも当然起こるわけです。
思い込んだら試練の道を、行くが男のど根性。この歌詞が前々から気になっていました。試練と思い込むから試練の道になるわけで、大谷をご覧なさいな、愉快な日々をイメージすればそうなるし、自分は成功すると信じ切っている者だけが成功者となる。逆プラはその逆で、もうダメだ、無理だよ、俺にはできない、と口に出した者は次元下降で失敗が続く。おいおいいったいどこまでダメになれば気が済むんだい、と言いたくなるところまで落ちてゆく。だからですね、良くない未来のイメージを持ってはいけないのです。この頃減ってきましたが、日に何度もがん保険のコマーシャルを流すことでがん患者が増えているのではないか、などと思っていたものですけど、どう思います?でしょ。情報は的確なものを少しで十分。
知識よりも大切なものはイメージだ。
知識には限界があるが、イマジネーションは世界を覆う。
知識には限界があるが、イマジネーションは世界を覆う。
アルベルト・アイ〜〜〜ンシュタイン
庭に関しても「芝生は手入れが大変で」とか「木を植えたら大きくなって困るわよ」とか「薔薇って難しいわよねえ」など、昭和のご婦人方が井戸端で繰り広げた何気ない愚痴が広まり、結果、そのご子息世代が庭アレルギーや庭コンプレックスに陥ってしまったような。この頃ではそのまたご子息世代が、検索から知識を得て人工木と人工芝を選択する始末。やれやれ、それって全部気のせいと勘違いなんですけどねえ。
人はイメージした方向にベクトルが向き、物事は見つめた方向に進む。有り余る情報を的確に取捨選択して、希望に満ちた明日を思い描きましょう。あ、何か大きなことが起こった時には、テレビは消してラジオにしといた方がいいかも。コロナ騒動で得たひとつの結論、テレビはマイナス世界へ煽動する。何が違うのか、ラジオには美しい発言があるしイカした音楽が流れてくる。そう、音楽ですよ音楽。
おっといけねえ、庭ですよ庭。ブタクサの話でした。ブタクサは風媒花、セイタカアワダチソウは虫媒花。
さてと、今日もまだ見ぬ未来を多い描きながら、
設計設計また設計。
出囃子は、セイタカの開花を祝してこの曲で。
懐かしきかなファーストアルバム『思い出は美しすぎて』から。
聞こえてきますねえ、あのサンタナ調のイントロ。
ニッポン放送、大石吾朗のコッキーポップ、よく聴いていました。
八神純子、世良公則&ツイスト、谷山浩子、小坂明子、因幡晃、高木麻早、N.S.P・・・
設計設計また設計。
出囃子は、セイタカの開花を祝してこの曲で。
懐かしきかなファーストアルバム『思い出は美しすぎて』から。
聞こえてきますねえ、あのサンタナ調のイントロ。
ニッポン放送、大石吾朗のコッキーポップ、よく聴いていました。
八神純子、世良公則&ツイスト、谷山浩子、小坂明子、因幡晃、高木麻早、N.S.P・・・












































































































































































































