現在夜明けまで3時間ほど待たなければならない真っ暗な庭で、テーブルに設置してあるアームスタンドを灯して書いています。誰だったか昭和初期の詩人が、このような時間に目覚めては懐中電灯で森を歩いて言葉を探していたというのを思い出します。ぼくの場合は夜警任務を終えて退屈したミーが起しにきたので、たまには付き合ってあげようかとこうして庭へ出た次第。時々やるんですけど、静寂、湿気が沈殿した濃いめの空気、遠くの江ノ島灯台の点滅、森を行く詩人を気取ってYouTubeで選択したジョン・デンバー、なかなかいい感じです。
いい感じなんだけど、う〜〜〜さむ。昨日から急激に冷え込んできましたね。うっかり八兵衛は半袖で出勤し、たまらずホームセンターでウィンドブレーカーを購入しました。感覚的にはついこないだまで夏だったのに、そうか、もう10月の後半なんだから寒くて当たり前かなどと、ついつい季節に置いていかれる癖を反省し、今日は心してほっかほかで過ごすことにします。
秋が深まり冬の入口を思わせるこの寒さも、毎度のことながらひと月ほどで体が慣れて何ともなくなる。そうなってしまえば、かじかむ手でカメラを握っての撮影散歩が楽しい季節。公園のモミジが鮮やかになる頃には寒さは爽快さに転じ、逆に陽だまりの暖かさをうれしく思うようになります。
そんなイメージで、今日は厚着で設計設計また設計。帰ったらしっかり長湯をして血行を促進し、庭に出る時は冬の装いで。飲み物はホットワインで。音楽はもちろんレッド・ガーランドで、などと夜明け前から夜の庭時間が楽しみなんだから、つくづくこの庭の定位置がありがたい。
さてと、日が昇るまでしばし徒然なるままに。
そろそろ始まる晩秋のお楽しみはバードウォッチング。枯葉に赤い実が目立つようになると、食料が不足する冬に備えて野鳥が活発になるのです。そして葉っぱが少なくなるのでリスの姿も見つけやすくなる。運が良ければタヌキにも遭遇するし、公園や里山をひたすら歩きながら、ふと、宮沢賢治らしき人の後ろ姿を見つけて、失礼のない程度に距離を取りつつ後を追ってみたりして。ファンタジーもまた深まる秋の娯楽なり。
さらに季節が進めば霜柱を踏む音や枝を鳴らす木枯らしの音を楽しめる。草むらには待望のホトケノザが咲き出して、「早いなあもう師走か」という感慨が。されどもはや、そういうのも繰り返しすぎて少々薄くなりましたけどね。それよりも今をしっかり楽しもうと思う62歳。あれ、まだ61だっけ?まあいっか、年齢などどうでもいいような気になるのは老化によるボケなのか、あるいは老人力なのか。おいおい俺はすでに老人か? 老人・・・それまたどうでもいいような気がしてくるのです。今日ですよ、今日を楽しむことが何より大事な気がする62歳。あれ、61だっけ?う〜〜〜ん、やっぱ加齢によるボケが始まったかな。
そう言えば、かけている眼鏡の在処を探すという例の症状も、繰り返すうちに普通のこととなり気にならない。これは確実にボケですな。まあ、どうでもいいか。設計だけは冴え渡ってボケ症状は出そうもないので、つまりはとにかく仕事をしなさいという、アマテラスのありがたき思し召しかもしれません。老人、老人、何歳から老人?磯野波平さんより10歳ほど上だから、逃れようもなく老人と分類されるんだろうけど。
まあいっか、とにかく設計だ。感動の庭をひとつでも多く生み出すこと、そんな気持ちでいることが楽しいのだから。だから太陽を背に受けて、歩く、歩く、歩く。歩くと足が疲れます。でも心が疲れるよりはいい。
う〜〜〜さむ。いったんキッチンへ戻ってホットワインを。あ、朝だった。熱々のカフェオレにしておきましょう。そしてまた庭へ出て日の出を待つ。お爺さんはちょっと早起きしすぎました、の巻。
北を目指して進むぼくの肩に、陽射しは励ますように幸せなぬくもりをくれる。振り向くと光が強すぎて泣けてくるから、前だけを見つめて。水面はキラキラと手招きをしている。ぼくはいつもいつも、こうして太陽に従って歩いている。
この感じをきみに贈れたらいいのになあ。こんなふうに、お日様みたいな庭のプラン図が仕上がったら届けるよ。
北へ向かって進むぼくの肩に、陽射しは励ますように幸せなぬくもりをくれる。振り向くと眩しすぎて泣けてくるから、前だけを見つめて。水面はキラキラと手招きをしている。ぼくはいつもいつも、太陽に押されて歩いている。
きみに話せる庭物語が出来上がったら届けるよ。この同じ太陽の光が、きみにも降り注いでいることを願う。
肩に感じる陽射しはぼくを幸せな気持ちにしてくれる。でも振り向かない、泣けるから。水面に映る光に導かれて進む。太陽を背に受けて、とてもいい気分で。
いい感じなんだけど、う〜〜〜さむ。昨日から急激に冷え込んできましたね。うっかり八兵衛は半袖で出勤し、たまらずホームセンターでウィンドブレーカーを購入しました。感覚的にはついこないだまで夏だったのに、そうか、もう10月の後半なんだから寒くて当たり前かなどと、ついつい季節に置いていかれる癖を反省し、今日は心してほっかほかで過ごすことにします。
秋が深まり冬の入口を思わせるこの寒さも、毎度のことながらひと月ほどで体が慣れて何ともなくなる。そうなってしまえば、かじかむ手でカメラを握っての撮影散歩が楽しい季節。公園のモミジが鮮やかになる頃には寒さは爽快さに転じ、逆に陽だまりの暖かさをうれしく思うようになります。
そんなイメージで、今日は厚着で設計設計また設計。帰ったらしっかり長湯をして血行を促進し、庭に出る時は冬の装いで。飲み物はホットワインで。音楽はもちろんレッド・ガーランドで、などと夜明け前から夜の庭時間が楽しみなんだから、つくづくこの庭の定位置がありがたい。
さてと、日が昇るまでしばし徒然なるままに。
そろそろ始まる晩秋のお楽しみはバードウォッチング。枯葉に赤い実が目立つようになると、食料が不足する冬に備えて野鳥が活発になるのです。そして葉っぱが少なくなるのでリスの姿も見つけやすくなる。運が良ければタヌキにも遭遇するし、公園や里山をひたすら歩きながら、ふと、宮沢賢治らしき人の後ろ姿を見つけて、失礼のない程度に距離を取りつつ後を追ってみたりして。ファンタジーもまた深まる秋の娯楽なり。
さらに季節が進めば霜柱を踏む音や枝を鳴らす木枯らしの音を楽しめる。草むらには待望のホトケノザが咲き出して、「早いなあもう師走か」という感慨が。されどもはや、そういうのも繰り返しすぎて少々薄くなりましたけどね。それよりも今をしっかり楽しもうと思う62歳。あれ、まだ61だっけ?まあいっか、年齢などどうでもいいような気になるのは老化によるボケなのか、あるいは老人力なのか。おいおい俺はすでに老人か? 老人・・・それまたどうでもいいような気がしてくるのです。今日ですよ、今日を楽しむことが何より大事な気がする62歳。あれ、61だっけ?う〜〜〜ん、やっぱ加齢によるボケが始まったかな。
そう言えば、かけている眼鏡の在処を探すという例の症状も、繰り返すうちに普通のこととなり気にならない。これは確実にボケですな。まあ、どうでもいいか。設計だけは冴え渡ってボケ症状は出そうもないので、つまりはとにかく仕事をしなさいという、アマテラスのありがたき思し召しかもしれません。老人、老人、何歳から老人?磯野波平さんより10歳ほど上だから、逃れようもなく老人と分類されるんだろうけど。
まあいっか、とにかく設計だ。感動の庭をひとつでも多く生み出すこと、そんな気持ちでいることが楽しいのだから。だから太陽を背に受けて、歩く、歩く、歩く。歩くと足が疲れます。でも心が疲れるよりはいい。
う〜〜〜さむ。いったんキッチンへ戻ってホットワインを。あ、朝だった。熱々のカフェオレにしておきましょう。そしてまた庭へ出て日の出を待つ。お爺さんはちょっと早起きしすぎました、の巻。
太陽を背に受けて
北を目指して進むぼくの肩に、陽射しは励ますように幸せなぬくもりをくれる。振り向くと光が強すぎて泣けてくるから、前だけを見つめて。水面はキラキラと手招きをしている。ぼくはいつもいつも、こうして太陽に従って歩いている。
この感じをきみに贈れたらいいのになあ。こんなふうに、お日様みたいな庭のプラン図が仕上がったら届けるよ。
北へ向かって進むぼくの肩に、陽射しは励ますように幸せなぬくもりをくれる。振り向くと眩しすぎて泣けてくるから、前だけを見つめて。水面はキラキラと手招きをしている。ぼくはいつもいつも、太陽に押されて歩いている。
きみに話せる庭物語が出来上がったら届けるよ。この同じ太陽の光が、きみにも降り注いでいることを願う。
肩に感じる陽射しはぼくを幸せな気持ちにしてくれる。でも振り向かない、泣けるから。水面に映る光に導かれて進む。太陽を背に受けて、とてもいい気分で。












































































































































































































