なんとなんと、5年ぶりに「新築住宅の庭」を綴ります。故あってちょっとだけ休んでみようかなあ、などと思っていたら五年以上が経過していました。光陰矢の如し。このあっという間の時間の中にはコロナがあったし、さまざまな事件や災害や紛争で、世の中のお作法は様変わりしました。できるだけそれに則りながら、世間様とのズレが生じないよう心がけつつ、しかし庭への思いは昔のままに、熱く語ってゆきたいと思っています。
5年・・・1825日・・・ぼく自身は孫ができ(現在3.5人)、犬が増え(現在4匹)、娘夫婦が新築を果たし、ナイキのスニーカーが10足になり、各種メガネが6個になり、「変化させ続ける」ということを庭と人生における理念のひとつに掲げている身としては、大いなる変化を遂げることができたという感があります。その変化が成功か失敗か、良かったのかそうではないのか、という検証はしません。なぜならその都度の不満や不出来な自分を改善するために「とにかく変えてみる」ということで変化する(生物の進化の早回し)わけでして、振り返ることにはあまり意味がない。反省なんか始めようものなら性質上どこまでも落ち込んでゆくだけですから。そうではなくて、さらに変化することで、今現在の不満と自分の不出来を改善していく方が楽しいですから。あ、つまり、羊男のアドバイスになぞらえるなら「踊り続ける」ってことなのですが。
「踊るんだよ」
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」
「でも踊るしかないんだよ」
「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」
オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。 『ダンス・ダンス・ダンス/村上春樹著』より
たまたま20年ぶりに再読したらハマった「風の歌を聴け」→「1973年のピンボール」→「羊をめぐる冒険」→「ダンス・ダンス・ダンス」の4部作。その連作の核心にあるのがこの言葉です。
ちょうどそんな時期に設計し施工したのが原田さんち。その時に読んでいる本から仕事が影響を受けることはままあります。っていうか、それが楽しくてAmazon探検がやめられずに、「読んどく→積んどく」が十数冊あり、無駄使いにも程がある、不適切にも程がある、ふてほど〜!と反省しつつ、では、春樹ワールドが反映された庭をお楽しみください。
新築です。庭は更地で、外構は住宅メーカーからピンと来る提案が出なかったため、ぼくが設計をしてメーカーさんが施工する、ということになりました。
5年・・・1825日・・・ぼく自身は孫ができ(現在3.5人)、犬が増え(現在4匹)、娘夫婦が新築を果たし、ナイキのスニーカーが10足になり、各種メガネが6個になり、「変化させ続ける」ということを庭と人生における理念のひとつに掲げている身としては、大いなる変化を遂げることができたという感があります。その変化が成功か失敗か、良かったのかそうではないのか、という検証はしません。なぜならその都度の不満や不出来な自分を改善するために「とにかく変えてみる」ということで変化する(生物の進化の早回し)わけでして、振り返ることにはあまり意味がない。反省なんか始めようものなら性質上どこまでも落ち込んでゆくだけですから。そうではなくて、さらに変化することで、今現在の不満と自分の不出来を改善していく方が楽しいですから。あ、つまり、羊男のアドバイスになぞらえるなら「踊り続ける」ってことなのですが。
「踊るんだよ」
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」
「でも踊るしかないんだよ」
「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」
オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。 『ダンス・ダンス・ダンス/村上春樹著』より
たまたま20年ぶりに再読したらハマった「風の歌を聴け」→「1973年のピンボール」→「羊をめぐる冒険」→「ダンス・ダンス・ダンス」の4部作。その連作の核心にあるのがこの言葉です。
ちょうどそんな時期に設計し施工したのが原田さんち。その時に読んでいる本から仕事が影響を受けることはままあります。っていうか、それが楽しくてAmazon探検がやめられずに、「読んどく→積んどく」が十数冊あり、無駄使いにも程がある、不適切にも程がある、ふてほど〜!と反省しつつ、では、春樹ワールドが反映された庭をお楽しみください。
新築です。庭は更地で、外構は住宅メーカーからピンと来る提案が出なかったため、ぼくが設計をしてメーカーさんが施工する、ということになりました。
玄関アプローチ Plan A

玄関アプローチ Plan B

続いて庭の提案です。外構提案の時点で当然庭のこともイメージしますので、スラスラと2プランが出来上がりました。

玄関アプローチ Plan B

続いて庭の提案です。外構提案の時点で当然庭のこともイメージしますので、スラスラと2プランが出来上がりました。
Plan A
平面

リビング側からの立面

庭から隣地方向の立面

Plan B
平面

リビング側からの立面

庭から隣地方向の立面

平面

リビング側からの立面

庭から隣地方向の立面

Plan B
平面

リビング側からの立面

庭から隣地方向の立面

両方とも考え方は同じで、ポイントはカーテンを開けて暮らせるようにすること。それに加えて庭に出て過ごし、ガーデニングも楽しみながら生活する、そんなコンセプトです。
Plan A はウッドデッキ+タイルテラス+植栽エリアで、Plan B はウッドデッキ+ウッドデッキ+植栽エリア。双方共に庭の外周に目隠しを施して、視線を気にせず庭を楽しむ、つまりは庭を生活空間として成立させることを強く意識しました。
あの手この手で目隠し効果は妥協せずに施すこと。このことの重要性に気づくかどうかで、概ね庭の出来・不出来が決まります。カーテンを開けることなく暮らすことに疑問を持ってみると、そこから庭がある暮らしが展開してゆくのです。
つづく
Plan A はウッドデッキ+タイルテラス+植栽エリアで、Plan B はウッドデッキ+ウッドデッキ+植栽エリア。双方共に庭の外周に目隠しを施して、視線を気にせず庭を楽しむ、つまりは庭を生活空間として成立させることを強く意識しました。
あの手この手で目隠し効果は妥協せずに施すこと。このことの重要性に気づくかどうかで、概ね庭の出来・不出来が決まります。カーテンを開けることなく暮らすことに疑問を持ってみると、そこから庭がある暮らしが展開してゆくのです。
つづく