今回の設計のポイントは目隠しと立体構成にあります。目隠しは「カーテンを開けて暮らせるようにする」、と「庭で室内と同等にくつろげる安心感を確保する」の2点を実現させるためのものであり、立体構成はそれに加えて「居心地を増すために仕切りや屋根を設けること」です。ここでアンソニ・ガウディーの言葉を。
人は物事を平面的に思考し、天使は立体的に思考する。
別に天使じゃなくても、庭を考える時には立体的に考えない限り成立しないよ、と思いつつ幾星霜。世の中の庭に天使が舞い降りることも、人の感性が天使の領域にまで昇華されることもないままに、住宅地にはアイデンティティを授けられなかった庭的な場所が、行けども行けども続いているわけで、これが数十年変わることのない現実なのです。その頑強とも言えるほどの変わらなさに、何度も「オレが変なのか?もしかして」と思ったりして。ンワケナイヤロ!と即座にノリツッコミして「庭が庭として有意義に存在することに世の中が無関心だからと言って、自分が思う『庭の意義』を流布し具現化することを諦めるわけにはいかない。そんなことをしたらぼくは職を放棄することになるのだ。例えば祖父の代から続く豆腐屋がこだわり(基本)を捨てて、大豆の香りがしない安価な量産品の豆腐的なものの生産にシフトすることと同じではないか」。とても個人的にしてわがままな方向に偏った仕事観ではありますが、ぼくはそういうの、楽しく思えないんですよ。ワクワクもドキドキも、クラクラするほどの達成感もない毎日など、ぼくには耐えられそうもないのです。
さらに、この自分のこだわりを肯定し擁護する意味で、日本と他の国との庭の定義がどれほど違うかを並べてみます。海外の多くの国では庭は庭として機能し、美しく幸福な庭世界がいくらでも、普通に存在しています。
アフリカでは心地良い風が吹く場所に家を建て、庭と室内の区分がない間取りでその風を享受しながら暮らしています。オーストラリアでは友人をリビングではなく庭に招くそうですし、アメリカ人は広い芝生とハンモックとバーベキューを楽しめることが庭であると主張し、横須賀に移り住んでもその考えがブレることはない。スペインでは庭とは主にシエスタを楽しむ中庭のことであり、建物以外の場所はコモンガーデン(公共の庭)と捉えて花を飾り、主婦たちは日常的に井戸端会議で笑顔の花を咲かせている。そしてどの国でも、庭は眺めるよりも過ごす場所であり、食事や読書や、パーティーも庭で楽しんでいる。ガーデニングのメッカ、園芸が盛んなイギリスですら夏は連日バーベキューをし、花が少ない長い季節は庭で本を読み、日に何度もテラスでティータイムを楽しみ、花の季節までの長い時間を庭と対峙し語り合うようにして過ごしている。
彼ら彼女らにとって、そういう庭のあり方は自然なことなので、庭を美しく維持管理するのにかかるコストは食費と同等であり、余計な出費や苦労とは思っていない。アメリカではハウスキーパーが掃除洗濯の流れで芝刈りをするし、イギリスやイタリアでは街場にバラやトピアリーを得意とする誇り高きガーデナーが大勢存在しているのです。
時々話題に上る「幸福度指数」の尺度に、その国の庭のあり方が入っているかどうかは定かでないながら、ぼくら日本人の庭との付き合い方、庭の捉え方が指数を押し上げるとは思えませんよね。とかく日本人は、貧しさや不幸や苦難に対して、防衛本能として無自覚になる傾向が強いそうです。「みんなそうなんだから、これって普通でしょ」と。いやはや・・・
人は物事を平面的に思考する。コピー用紙の上で、どうしたら女房殿の機嫌が良くなるだろうかをチャート化し、ストレスを数値化し、言語化し、深刻な時間を費やし巧妙な作戦を練る。天使は立体的に思考する。庭を整え、家族で陽を浴びながら笑顔の時を過ごす。すると難敵だった鬼女房殿は、かつて出会った頃のように魅惑的な天使の顔になっている。
では、この庭の立体構成、天使の所業をご覧ください。











人は物事を平面的に思考し、天使は立体的に思考する。
別に天使じゃなくても、庭を考える時には立体的に考えない限り成立しないよ、と思いつつ幾星霜。世の中の庭に天使が舞い降りることも、人の感性が天使の領域にまで昇華されることもないままに、住宅地にはアイデンティティを授けられなかった庭的な場所が、行けども行けども続いているわけで、これが数十年変わることのない現実なのです。その頑強とも言えるほどの変わらなさに、何度も「オレが変なのか?もしかして」と思ったりして。ンワケナイヤロ!と即座にノリツッコミして「庭が庭として有意義に存在することに世の中が無関心だからと言って、自分が思う『庭の意義』を流布し具現化することを諦めるわけにはいかない。そんなことをしたらぼくは職を放棄することになるのだ。例えば祖父の代から続く豆腐屋がこだわり(基本)を捨てて、大豆の香りがしない安価な量産品の豆腐的なものの生産にシフトすることと同じではないか」。とても個人的にしてわがままな方向に偏った仕事観ではありますが、ぼくはそういうの、楽しく思えないんですよ。ワクワクもドキドキも、クラクラするほどの達成感もない毎日など、ぼくには耐えられそうもないのです。
さらに、この自分のこだわりを肯定し擁護する意味で、日本と他の国との庭の定義がどれほど違うかを並べてみます。海外の多くの国では庭は庭として機能し、美しく幸福な庭世界がいくらでも、普通に存在しています。
アフリカでは心地良い風が吹く場所に家を建て、庭と室内の区分がない間取りでその風を享受しながら暮らしています。オーストラリアでは友人をリビングではなく庭に招くそうですし、アメリカ人は広い芝生とハンモックとバーベキューを楽しめることが庭であると主張し、横須賀に移り住んでもその考えがブレることはない。スペインでは庭とは主にシエスタを楽しむ中庭のことであり、建物以外の場所はコモンガーデン(公共の庭)と捉えて花を飾り、主婦たちは日常的に井戸端会議で笑顔の花を咲かせている。そしてどの国でも、庭は眺めるよりも過ごす場所であり、食事や読書や、パーティーも庭で楽しんでいる。ガーデニングのメッカ、園芸が盛んなイギリスですら夏は連日バーベキューをし、花が少ない長い季節は庭で本を読み、日に何度もテラスでティータイムを楽しみ、花の季節までの長い時間を庭と対峙し語り合うようにして過ごしている。
彼ら彼女らにとって、そういう庭のあり方は自然なことなので、庭を美しく維持管理するのにかかるコストは食費と同等であり、余計な出費や苦労とは思っていない。アメリカではハウスキーパーが掃除洗濯の流れで芝刈りをするし、イギリスやイタリアでは街場にバラやトピアリーを得意とする誇り高きガーデナーが大勢存在しているのです。
時々話題に上る「幸福度指数」の尺度に、その国の庭のあり方が入っているかどうかは定かでないながら、ぼくら日本人の庭との付き合い方、庭の捉え方が指数を押し上げるとは思えませんよね。とかく日本人は、貧しさや不幸や苦難に対して、防衛本能として無自覚になる傾向が強いそうです。「みんなそうなんだから、これって普通でしょ」と。いやはや・・・
人は物事を平面的に思考する。コピー用紙の上で、どうしたら女房殿の機嫌が良くなるだろうかをチャート化し、ストレスを数値化し、言語化し、深刻な時間を費やし巧妙な作戦を練る。天使は立体的に思考する。庭を整え、家族で陽を浴びながら笑顔の時を過ごす。すると難敵だった鬼女房殿は、かつて出会った頃のように魅惑的な天使の顔になっている。
では、この庭の立体構成、天使の所業をご覧ください。











かつてカラーセラピーを得意とする霊能者から「あなたは幸運にも大天使ミカエルに護られています。信じる道を思う存分突き進み、素晴らしき人生をお送りください」と言われたことがあります。ちなみに実家は曹洞宗で、ぼくは弘法大師空海のファンだし、女房は浄土真宗で娘の嫁ぎ先は時宗という、どこもかしこも仏教徒なんですけど、何だか勇気が湧くご指摘だったので、せっかくですから大天使ミカエルの存在はいつも意識しています。ミカエルはユダヤ教・イスラム教・キリスト教に登場する天使長で、悪魔に打ち勝った実績を持ち、「正義・浄化・使命・勇気・力」などに関して強力なパワーでサポートしてくださるそうな。ありがたやありがたや。
次回はデッキ以外の場所、ガーデニングエリアのことを。