庭全体の約半分がデッキで、残りの半分は芝生と草花のガーデニングエリアです。実はこの部分は奥様が自力で施工されました。スゴ!その庭への情熱と馬力に驚嘆いたしました。玄人はだしとはこのことで、想像力と創造力のレベルが高すぎて、並の造園業者のそれを超えた仕上がりになっています。
 人はどのような場面でこれほどのパワーを発揮するのでしょう。そんな問いも含めてご覧いただきましょう。



原田邸芝生の庭1



 一応の設計はぼくがしたものの、それを参考にしながら奥様なりの感覚で、ぼくの設計よりもナチュラルでスッキリとした気持ちの良い場所が出来上がって、うれしいやらありがたいやら。これが理想的な庭づくりだなあと、あ、つまり、設計者と住人とのコラボレーションで出来上がった庭は、必ず設計を上回る、ということです。



原田邸芝生の庭2



 このように、職人さんじゃなきゃ作れない構造物以外は自力でやってみたい、というご要望はよくあることで、「大変ならお手伝いしますから頑張ってください」と話し、完成を待ちます。ほぼ例外なく素晴らしい庭になります。しかもその後一年二年と、季節が巡るほどにその庭は花が増え、美しさと楽しださが増してパワーアップしてゆくのです。



原田邸芝生の庭3



 なぜそうなるのかと言えば、子育てと同じですよね。自分が出産し、自力で育てるから当然愛情は膨らみ続けます。男には到底実感できない女性の特権です。奥様の中で「庭は自分で産みたい」というような感情が芽生え、出産するが如くに膨大で美しいエネルギーを発揮した結果がこうなった、ということだと考えています。つまり、愛情の賜物であると。対して男は、とかくお金で庭を手に入れようとしてしまう。それではなかなか満足度の高い庭にたどり着けないのです。約束の地へ向かうチケットは買えても、そのことで終着駅まで行けるというのが確約されたわけではないのです。銀河鉄道の乗客が、さまざまな理由で途中下車してしまうことに似て。



原田邸芝生の庭4



 お客様と打ち合わせをしながらよく「お金を理由に理想の庭をあきらめてはいけません。逆に、お金を払えば理想の庭が手に入る、ということもありません」と話します。これは本当のことでして、庭づくりの際にコストを前提に据えてしまったら、失敗する可能性が高まるだけなのです。悲しく感じるのは、ジョバンニが行きたかった「本当の幸せ」に辿り着かないままで消えざるを得なかったカムパネルラの心情。当人もご両親も、何と切なかったことであろうか。カムパネルラの死を冷静に、理性的に受け入れたお父さんのその後の人生を思うことがあります。ぼくのイメージでは、静かに深い悲しみに耐えて、頑張って、頑張り続けて、精一杯の愛情を家族に向け、本当の幸せな庭(家庭)を築き上げたことでしょう。



原田邸芝生の庭5



 この仕事をしていてしばしば出会う賢者たちに、ぼくは庭でエールを送ります。大袈裟ではなく、本当の庭は、それほど大きく重大な意義と意味を持つものなのです。





作詞・作曲 小椋佳
どれほどの経験を経て、これほどの曲が書けるのか。
歳を重ねてその凄みを感じています。
長生きはしてみるものですね。

そうそう、コロナの頃に小椋佳は、
力尽きたかのように引退宣言めいたことを言っていました。
でも現在はコンサート活動で全国を飛び回っているようで、うれしい限りです。
本当に力尽きるまで仕事に生き切る姿は尊く美しい。
自分もそうありたいものです。


 次回は奥様にお招きいただいたティータイムと草花の様子をご覧いただきながら、改めて、庭って何?ということを。