ある子供じみた思考が、かれこれ50年も頭から消えずにいます。「庭って何だろう」ということです。前頭葉の書庫にある同じ棚には「アートって何だろう」や「一緒に暮らしているこの女性は天使になったり悪魔になったりで、一体全体何なのだろう」とか。つまりは、これが人生上の命題ということなのでしょう。
 幸か不幸か、はたまた不幸効果か、その思考の棚のおかげで明らかに人生の旅が濃密に彩られてきたのですから、庭に、アートに、あの女性に、深遠なる謎の数々に感謝せねばなるまいと、年寄りじみた結論でカンマを打って、さてと、今日も草鞋の紐をしっかり結んで歩き出すことと致しましょう。



柿が熟してきました。

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 幸か不幸か、不幸効果か・・・不幸効果とは、何らかの苦難を乗り越えた先に奇跡のように出現する幸福な世界へと至る過程のことを言います。人生楽ありゃ苦もあるさ。雨が降らなきゃ虹は出ない。闇があるから光がある。止まない雨はない。開けない夜はない。トンネルを進むと必ず出口に至る。
 子供の頃に読みまくった偉人の伝記、キュリー夫人とか、エジソンとか、野口秀雄など。図書館に並ぶ全集の半分ほどを読んだあたりで、あれれ、これはほぼ同じことが書いている、とイワフチ少年は思い至ったのでありました。つまり、苦労をしなければ偉人にはなれないのだと。そこで少年は「俺には無理だ。健康や家庭や、あらゆることが恵まれすぎていて、とても偉人などにはなる資格がない」と、小学生なのに、早々に未来の自分に対する上昇志向を投げ出しました。そもそも争いごとが嫌で嫌で、競争も根性物語的なこと苦手で、部活の上下関係とかもムリ。基本的に一人で静かにボケーっとしている子供でしたから。


人生の秋を迎えた皆様、
実り多き日々をお過ごしください。

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 ところが年齢を重ねるうちに予期せぬことが起こります。自分は偉人たちが経験した苦労とは無縁なのだと思っていたらさにあらず。いやはや苦労に次ぐ苦労の季節が巡ってこようとは。いいぞいいぞ、これでもしかしたらぼくも偉人の仲間入りができるかもしれない、などとほくそ笑んでいたのです。
 しか〜し苦労とはまさしく苦労なわけで、その果てしない苦労の労苦に耐えられなくて、弱音を吐き、ついには道に倒れて誰かの名を呼び続けることも。そういうものですよね。耐えられる範囲の苦労は苦労ではない。「神さまは、決して乗り越えられない試練は与えない」などと言いますけど、あれは嘘ですね。一度ならず乗り越えることができずに力尽き、体育座りでシクシク泣くしかないような目に遭う。右に倒れても、左に倒れても、奈落が待っているのにそれでも立っていられない、というのが苦労の重さであり、痛みであり、残酷さなのです。
 思いもよらなかったそんなあれこれを経験すると、世の中の賢者、庭を楽しんで暮らしている人たちが輝いて見えてきます。何と素晴らしい「幸福に生きる能力」の持ち主であろうかと。その輝きの光源を見つけたくて設計をしていた時期もありました。はたまた、逆に「こんな庭があれば揺るぎない幸福な暮らしが実現できるのだ」というような、庭屋からのメタな提案も数限りなく描いてきました。
 齢六十五にして、その考え、『庭と幸福の関係性』というテーマにおいて次のページが開いたのです。



これまで愛情に育まれ、
存分に蓄えてきた養分を全て使って
見事に完熟させましょう。


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人の輝きが庭の輝き。

 庭の形態、使い方、手入れの仕方とは違う次元に輝く庭の光源が存在しているのだなあと、今更ですけどそう思った次第です。かつてぼくが賢人と呼んでいた「庭を楽しむ人たち」は、一朝一夕にそこへ至ったのではない。皆さんそれぞれに偉人伝レベルの苦労を経験し、四苦八苦の末にそれを乗り越えた人たちなのであると、いやお恥ずかしい、そんな当たり前のことに気づいた老境ガーデンデザイナーなのでありましたとさ。めでたしめでたし。

 不幸効果。苦難は乗り越えるためにやってくる、幸福へと至る水先案内のボートなのです。
 庭ですよ庭。

 今大変な状況にあるあなた。ナウ・ゲッタ・チャンス!必ずや眩しく輝く庭を実させてください。



愛する人たちに、
その色艶と味わいを鮮烈に記憶させるために。

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 心の中に混沌を抱えていなければ、踊る星を生み出しことはできないのだよ。フリードリヒ・ニーチェ