アフリカの月という曲を御存じでしょうか。古い古いフォークの名曲です。作詞/KURO(西岡恭蔵の奥様)、作曲/西岡恭蔵で、知らなかったのですがお二人とももう他界されているとのこと。特に西岡ファンということではないのですが、年に何度かふいに口ずさんでいる曲です。最近では高田渡のDVD(結果的に追悼アルバムになってしまいました)で俳優の江本あきらが歌っています。なかなかいい感じです、機会があったらぜひお聞き下さい。
アフリカの月
作詞:KURO 作曲:西岡恭蔵
古い港町流れる夕暮れの口笛
海の匂いに恋したあれは遠い日の少年
酒場じゃ海で片足無くした老いぼれ
安酒に酔って唄う遠い想い出
俺が旅した若い頃はよく聞け若いの
酒と女と浪漫を求めて七つの海を旅したものさ
母さんは言うけど
船乗りは宿ぐれ海に抱かれて年取り
あとは寂しく死ぬだけ
僕は夢見る波の彼方の黒い大陸
椰子の葉影におどる星屑
このアフリカの月を口ずさむ時に必ず浮ぶ笑顔があります。それはお客さまの清水孝さんです。
奥様から「実は清水が亡くなりまして」と電話をいただいたときにはもう葬儀もいろんな整理も終わっていて、奥様もいくらか平静を取り戻していらっしゃったのですが、こちらは突然の訃報に電話口で涙が止まりませんでした。
清水さんとの出合いは5年前、うちが横浜に出店したばかりのころで、庭に池をつくりたいというご依頼でした。その後もおつき合いが続いて、ガーデンパーティーにお招きいただいたり、何度か店に立ち寄ってくださったりしました。
ご主人はアフリカに中古車を輸出して販売する会社をやっていて、いつもアフリカの話を興味津々で聞かせてもらい、必ず一度アフリカに遊びに行きますと約束していたのですが・・・。
清水さんのご主人は新潟の長岡出身で奥様は兵庫県の神戸出身です。うちは私が新潟の魚沼市、妻が兵庫の姫路なので組み合わせが同じということもあって、最初から何となく近しい感じでおつきあいさせていただき、親戚みたいな感覚になっていました。またご夫婦の人柄、ご主人の独特の人を引き付ける魅力がそうさせたのかもしれません。ご主人の独特の魅力、その一端を書きます。
清水孝さんは走るのが好きです。最初は50才を過ぎてから医者に「少し歩きなさい」と言われて始めたウォーキング、その距離とスピードが徐々に伸びて、ついに江ノ島まで(横浜市栄区桂台から)ジョギングするようになって、さらに茅ヶ崎方面に距離を延していました。その行程をクルマで走ってみると、とてもじゃないけど走ろうなんて考えられる距離ではないのです。絶対に楽なはずないのにニコニコしながら「たいしかことないよ」と涼しい顏をしています。そして食事はものすごく質素で、肉はほとんど食べないで、毎日必ず豆腐を2丁、少しのお酒、あとは長岡の弟さんが作っている特大のアサツキをボリボリと、そして何にでも世界一辛いと言うとうがらし(タバスコにタカの爪の種と果肉が入っているようなものです)をかけて食べるという食事です。そしていつも豪快に笑っている、そんな人です。私に会うと必ず「あなたは天才だよ、すばらしい才能だ。いつか投資するから大きい会社にしなさい」と持ち上げてくれます。それから、アフリカでのいろんなエピソードは嘘のようなほんとの話の連続で、いつも爆笑と共に聞き入ってしまいます。“ 風の街港南台 ”で紹介した「アフリカではいい風が吹くところを捜して家を建てる」というのも清水さんから聞いたネタです。他に、現地の従業員とのトラブル話やアフリカの裁判で勝つには袖の下が必要とか、キリマンジャロに登った話、アフリカでは400坪のプール付きの家で、お手伝いさんが5人いるとか、現地の子供達に柔道を教えていることなど、ネタの宝庫なのです。
常に限界まで何かに挑戦しながら、でもいつも笑っている。ご自身が光り輝きながら先頭切って走り続ける、そんな清水孝さんです。
今日から数日を使ってこの清水さんを偲び、その生きざまを紹介することにします。しばらく“ 庭 ”はお休みになりますが、これをお読みいただくと、きっとあなたの心にすてきな“ アフリカの月 ”が見えてくると思います。
アフリカの月
作詞:KURO 作曲:西岡恭蔵
古い港町流れる夕暮れの口笛
海の匂いに恋したあれは遠い日の少年
酒場じゃ海で片足無くした老いぼれ
安酒に酔って唄う遠い想い出
俺が旅した若い頃はよく聞け若いの
酒と女と浪漫を求めて七つの海を旅したものさ
母さんは言うけど
船乗りは宿ぐれ海に抱かれて年取り
あとは寂しく死ぬだけ
僕は夢見る波の彼方の黒い大陸
椰子の葉影におどる星屑
このアフリカの月を口ずさむ時に必ず浮ぶ笑顔があります。それはお客さまの清水孝さんです。
奥様から「実は清水が亡くなりまして」と電話をいただいたときにはもう葬儀もいろんな整理も終わっていて、奥様もいくらか平静を取り戻していらっしゃったのですが、こちらは突然の訃報に電話口で涙が止まりませんでした。
清水さんとの出合いは5年前、うちが横浜に出店したばかりのころで、庭に池をつくりたいというご依頼でした。その後もおつき合いが続いて、ガーデンパーティーにお招きいただいたり、何度か店に立ち寄ってくださったりしました。
ご主人はアフリカに中古車を輸出して販売する会社をやっていて、いつもアフリカの話を興味津々で聞かせてもらい、必ず一度アフリカに遊びに行きますと約束していたのですが・・・。
清水さんのご主人は新潟の長岡出身で奥様は兵庫県の神戸出身です。うちは私が新潟の魚沼市、妻が兵庫の姫路なので組み合わせが同じということもあって、最初から何となく近しい感じでおつきあいさせていただき、親戚みたいな感覚になっていました。またご夫婦の人柄、ご主人の独特の人を引き付ける魅力がそうさせたのかもしれません。ご主人の独特の魅力、その一端を書きます。
清水孝さんは走るのが好きです。最初は50才を過ぎてから医者に「少し歩きなさい」と言われて始めたウォーキング、その距離とスピードが徐々に伸びて、ついに江ノ島まで(横浜市栄区桂台から)ジョギングするようになって、さらに茅ヶ崎方面に距離を延していました。その行程をクルマで走ってみると、とてもじゃないけど走ろうなんて考えられる距離ではないのです。絶対に楽なはずないのにニコニコしながら「たいしかことないよ」と涼しい顏をしています。そして食事はものすごく質素で、肉はほとんど食べないで、毎日必ず豆腐を2丁、少しのお酒、あとは長岡の弟さんが作っている特大のアサツキをボリボリと、そして何にでも世界一辛いと言うとうがらし(タバスコにタカの爪の種と果肉が入っているようなものです)をかけて食べるという食事です。そしていつも豪快に笑っている、そんな人です。私に会うと必ず「あなたは天才だよ、すばらしい才能だ。いつか投資するから大きい会社にしなさい」と持ち上げてくれます。それから、アフリカでのいろんなエピソードは嘘のようなほんとの話の連続で、いつも爆笑と共に聞き入ってしまいます。“ 風の街港南台 ”で紹介した「アフリカではいい風が吹くところを捜して家を建てる」というのも清水さんから聞いたネタです。他に、現地の従業員とのトラブル話やアフリカの裁判で勝つには袖の下が必要とか、キリマンジャロに登った話、アフリカでは400坪のプール付きの家で、お手伝いさんが5人いるとか、現地の子供達に柔道を教えていることなど、ネタの宝庫なのです。
常に限界まで何かに挑戦しながら、でもいつも笑っている。ご自身が光り輝きながら先頭切って走り続ける、そんな清水孝さんです。
今日から数日を使ってこの清水さんを偲び、その生きざまを紹介することにします。しばらく“ 庭 ”はお休みになりますが、これをお読みいただくと、きっとあなたの心にすてきな“ アフリカの月 ”が見えてくると思います。
〈 この山は氷ではなくて、塩で白くなっているのだそうです〉