風の歌を聴け

風の歌を聴け 長い introduction

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
 僕が大学生のころ偶然に知り合ったある作家は僕に向かってそう言った。僕がその本当の意味を理解できたのはずっと後のことだったが、少なくともそれをある種の慰めとしてとることも可能であった。完璧な文章など存在しない、と。

 しかし、それでもやはり何かを書くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。僕に書くことのできる領域はあまりにも限られたものだったからだ。例えば象について何かが書けたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない。そういうことだ。
 8年間、僕はそうしたジレンマを抱き続けた。ーーー8年間。長い歳月だ。
 もちろん、あらゆるものから何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ける限り、年老いることはそれほどの苦痛ではない。これは一般論だ。
 20歳を少し過ぎたばかりの頃からずっと、僕はそういった生き方を取ろうと努めてきた。おかげで他人から何度となく手痛い打撃を受け、欺かれ、誤解され、また同時に多くの不思議な体験もした。様々な人間がやってきて僕に語りかけ、まるで橋をわたるように音を立てて僕の上を通り過ぎ、そして二度と戻ってこなかった。僕はその間じっと口を閉し、何も語らなかった。そんな風にして僕は20代最後の年を迎えた。




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 ファンにはお馴染みのこの文章から始まる物語を書いた小説家に、気がつけばかれこれ40年も付き合わされているのです。付き合わされている、というのは、ぼくは世に言うところのハルキストではないし、デビューからの四部作と短編集には熱く夢中になったものの、彼がヨーロッパへ移住した1986年に熱病は治まり、その後の読書は古典ハードボイルドへと移行していきました。それでも当代きっての人気作家と手を切ったわけではなく、片岡義男から射してくる明るく軽やかなリゾート感と、チャンドラーの渇いたシニカルをミックスしたような不思議な文体に引き寄せられて、出版されれば読み、読まなくてもついつい買ってしまう繰り返し。「付き合わされている」という言いまわしは、実のところこの小説家お得意の言い回しであって、それは嫌なことではなく、ビートルズがそうだったように、自分の半生とも言えるほどの長い時間の心地よい BGM だった感じがする、という意味です。つまり多感であった頃に流れていたヒット曲が、長生きをしているうちに、いつの間にか教科書に載るほどのスタンダードとなっていた、村上春樹という作家はそういう存在でした。しばしば思考回路のネジをスムースに動かす潤滑油であり、体の疲れと気分の澱みが吹き飛ぶビタイン剤であり、時には進行方向を教えてくれる方位磁石の針だったものですから、現世での数十年間、ジョギング好きな彼と並走できた幸運を、神様に感謝せねばと思っています。



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 先日女房がこんなことを言いました。「あなた、大変大変!産業革命の頃から続いてきた『土の時代』が終わって『風の時代』に入ったらしいわよ」と。やれやれ、彼女はBという特異な血液型のせいか、時々クラクラするほど意味不明なことに興奮しては報告してきます。どうやら自称ヒーラーお得意の占星術から得た知識らしい。興奮状態にある女房に冷や水をかけるような愚行は避けた方が良いという文殊の知恵に従い、ぼくはしばし、とても興味深そうな顔をして高説を拝聴。しかしながら、やはり、修行を極めた文殊菩薩ほどの徳に達していないため、機嫌よく頷く動作に限界を感じ、途中で仕事を理由にして逃げ出してしまいました。こういう場合の彼女の結論は常に同じで「だからあなたはダメなのよ」に移行することを知っていたし、逃げ出す直前にやはりその手の文言を突きつけられたもので、いたたまれなくなりまして、三十六計逃げるに如かず。
 そうやってステップバックで遠ざかったものの、キーワードである『風の時代』がどうも気になる。浴びせられた不愉快な言葉の中に不可解をひとつ置いていくあたりが、ぼくが何よりも苦手とする彼女からのバッシングが、単に嫌がらせとか、ストレス解消ではなく、何かしらをぼくに伝えようという意図があってのことなんだなあと、いつもそれはわかっているのです。
 我が女房殿に限らず、血液型にも関係なく、女性というものは年季が行くほど連れ合いに対して上から目線で、とても否定的な物言いになってくる。針小棒大にクドクドと、何度も何度も。かれこれ4年にも渡って続く(ーーー4年間。長い歳月だ)そういう扱いに抵抗し、ぼくの精神は相当に疲弊しました。ある時意を決し「ぼくはあなたの敵ではなく最大の味方なんだから、そんなにいちいちダメ出ししないでよ。そういう言い方は自分が損をするだけだよ」などと抗ったことがありました。結果は即時反撃の猛攻にあえなく撃沈。もう精神的にフラフラで、我が身のその哀れをついつい愚痴めいて、年長のお客さま(全共闘世代の、闘志ではなくヒッピーだったと、ライカ片手に世界を放浪したと語るジェントルマン)に吐露したところ、おおこれぞまさしく文殊の知恵、実に見事な回答が返ってきたのです。

 ははは、それはね、ファンタジーだと解釈したら全て解決。女性は年を取ると退行する。男は少年ぽくなるでしょ、それと同じ。あなたを母親的に子供扱いすることによって自分のレゾンレートルを確認するんですよ。だからあなたは少年に戻って頷けばいい。お母さんの口うるささは間違いなく、子育てをする女性が持っている本能的な愛情に基づくものなのだから、少年のあなたは手を繋いでいる母を見上げて頷く、それでいいんです。絵本を読み聞かせたり、昔話をしてくれたり、突然びっくりするようなおやつをくれたり、そういう、母が授けてくれるファンタジーの延長が奥様の小言なんですから。ぼくもそうだが、孫がいる年齢になり、夫婦が子供とお母さんに戻る、という設定であると解釈することもまたファンタジーですよ。いいのいいの、それが退行進化。何を言われても気にしない気にしない。せっかくお互い残り時間を考える歳まで連れ添ったんだから、あとは機嫌良く、仲良く、ヘラヘラと半分ボケたようになって暮らすのが正解なんじゃないかなあ。

 父がよく言っていたこと、「お前は不思議だ。それだけ好き勝手やってるのに、行き詰まるといつも他所様に助けられるなあ」。またもやでした。もうねえ、一瞬にして目から鱗がハラハラと落ちまして、確かにそうだなあって思いました。退行進化、ファンタジー、夢幻の如き愛ある世界。折りしも幼児が犠牲になる事件事故、戦争、悲しい出来事が立て続いて、哀れで、悲しくて、何度泣いたでしょう。その中で小さな救いだったのは、亡くなられたお嬢ちゃんのお母さんが、捜索に当たってくれた人たちへの丁寧な感謝をコメントしたこと。そして「これからは静か見守ってください」と。ああいかん、また泣ける。どれだけの精神力でしょうか。そして静かに見守ってください、という言葉の中に、あのお母様は娘の死を、今後に待ち受けている長い長い時間を使い、ファンタジーに変換しようと決心されたのだと、そう感じました。どう考えたって、そこしか出口はないのですから。



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 ファンタジー、例えば河童です。悔やんでも、たとえ犯人を探し出して仇をうっても消えない悲しみ、気が狂うほどの辛さを癒して、心に決着をつける。古来より、そのために妖怪変化の類は生み出されてきました。神隠し、天狗、龍、座敷童子、遡ればスサノオが討った八岐大蛇伝説。遠野物語や宮沢賢治の世界は、か弱き人間が苦難を乗り越えるに必要とした癒しや神がかりを、パチパチと火が熾きる囲炉裏端で、お爺さんお婆さんがトントン昔として孫に語り継いできた物語。辛いけど、それでも生きなきゃならんのだ、という決心に基づいた智慧の結晶が、尻子玉を抜くと言われる恐ろしい、しかし必ずユーモラスな妖怪、河童なのであります。



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 女房は子育ての母へと返り、自分は少年となり、そこにはファンタジックなる世界が広がっているのであると理解すれば、小言にいちいちイラつくこともなく、「うん、わかったよ、お母さん」と、瞳をキラキラさせて頷ける自分。「しょうがないわねえ、この子は」と、厳しくも慈愛に溢れた母の顔の女房。きっとこういうのが人生の楽園、二人の桃源郷なのでしょう。歳はとってみるもんですなあ。



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 まあそれはいいとして、母(女房)曰くの『風の時代』ということが引っ掛かったままになっていたので、庭の書斎で数晩を費やし調べました。Revolution is Evolution 、もしかするとこれがささやかなるマイ・レボリューションのきっかけになるかもしれない、そんな予感がしたものですから。さよなら sweet pain 頬づえついていた夜は昨日で終わるよ。確かめたい、君に逢えた意味を、暗闇の中目を開いて(My
Revolution)。
 するとこれが面白い面白い。どうやら巷ではそこそこの話題になっていることらしく関連本が何冊か出ています。検索したら記事の数も果てしなし。彼女から浴びせられた「あなたの思考は古いのよ。いつまで10年前の話を繰り返しているの?だからあなたはダメなのよ」という弾丸は、今回は見事に的を射ているなあと思った次第。風の時代・・・かあ、ちょいと本気で勉強してみるかな、となりました。そうと決まれば真面目なA型は即行動開始。このことに関して、怪しげなネット記事ではなくちゃんとした本の活字を読まねばなるまい、と思い駅ビルの書店へ向かいました。数冊をぺラペラして選んだのがこれです。



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 吟味したつもりが、これもネット記事同様スピリチュアル漂う占星術本でした。とはいうものの骨子は女房が興奮気味に話していた通り、とても刺激的で興味深い。アロマセラピーであれ、オーラの泉であれ、宗教めいたことであれ、それらは河童と同じく人類にとって必要なことなのですから。ただし、霊性の湖は美しく光を反射する水面と裏腹に、湖底には泥が溜まっています。下手に入り込んだら足が抜けなくなり、か弱い者や苦境に喘いでいる者なら足を取られて、ついにはナルシスのように水中深くまで沈んでいってしまう。故に賢き世の多数派は一般論と前置きをして、霊感商法、カルト、洗脳、などの文言でその危険性に警鐘を鳴らし続けているわけです。
 村上春樹、『羊をめぐる冒険』の下巻にこんなセリフがあります。「一般論をいくら並べても人はどこにも行けない。俺は今とても個人的な話をしているんだ」。そう、全くもってその通り。あらゆる悩みも苦しみも、犬も食わない個人的な出来事。痛みも悔やみも個人の範疇からはみ出ることはない。だから個人が個人の思考で個人的な正解を導き出さなければならない。個人的課題に一般論など役に立たないのだ。ハードボイルドエッグな思考です。春樹氏はチャンドラーを何冊も訳しているし、最も好きなハードボイルド作家はロバート・B・パーカーであると言っているし、彼の思索の庭に、マーロウや、スペンサーや、ぼくがこないだ読んで好きになった、ダ・ヴィンチ・コードに登場する大学教授ラングドン、そんな仲間が集っているのでしょう。
 彼らは占いを信じるタイプではありません。唯一信じているのは神でも悪魔でも、聖書でも法律書でもなく、自分自身だから。レベルは違えど大筋ではぼくもそうなので、一般的な躊躇を蹴飛ばし霊性の湖に入ってゆくことにしました。ただし命綱として、本の半分を占める占星術の箇所はすっ飛ばし、興味に即したエッセンスだけを抽出するという手法で。
  小説と違い、雑誌や専門書の類いは流し読みしながら必要としているポイントだけにマーカーを引き、付箋を立てる、そんな消費の仕方が許されます。所要時間2時間ほど。そして翌日、夕飯を済ませ庭の書斎に出て、YouTubeでジャズナンバーを選択し、宿題に取り掛かる気分で付箋のページを開いてじっくりと読む。 



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 霊性の湖水から抽出した主な内容は以下の通りでした。

 占星術上のタイムラインには火・土・風・水という4つの主軸があり、それぞれが200年〜240年の長さで繰り返し入れ替わってゆく。産業革命に端を発した土の時代が2020年に終わり、次は風の時代がやってくる。それは折りしもか、奇しくもか、Beforeコロナ→ Afterコロナと合致する。コロナ以前が土の時代で、これから来るコロナ以降の世界は風の時代となる。

 土の時代が物質重視、効率優先、立身出世、権威主義、つまり「高邁なる夢を語り、大志を抱いて頂上を目指せ」ということが時代的価値であったことに対して、次なる風の時代は、まず最初に突風が吹き荒れて、それら土の時代の価値観が無惨に消し飛ばされ荒野となる。そして人々は物欲や出世の呪縛から解放され、空気感や精神を重視し始める。

 サン=テグジュペリが言うように、心や、愛情や、目に見えない事柄に価値を見出すようになる。敷かれたレールに乗るのではなく、いくら稼ぐかではなく、無から何かを生み出す確固たる自己のスタイル、独自の価値観を確立した者が幸運なる生存者となる。
労働を苦役から生き甲斐に変化させ、利益のためではなく、楽しさのために働く。

 宗教、団体、会社、SNS、やたらに群れたがることから離脱し、情報を少なく、これまでの『形・お金・ポジション』に引き寄せられることから、『バイブス・波長・波動』に同調しながら相手の『知性の質』に同期してゆくコミュニケーション、小規模な内輪での家族的コミューン形成が望ましい。

 土に時代に英雄視された企業戦士など、過剰に働く者は滅んでゆく。風を読み、上昇気流に翼を広げ、悠々と行く者が天高き世界の幸福を手に入れる。それは同時に、混沌とした地上で自らの権利を主張することから、天空からの視点で、私ではなく私たち(家族)の平安を維持するために生活することが重要になる。

 土の時代では、人格に多少の
歪みがあっても数字で成果を上げれば成功者となった。風の時代ではそうはいかない。健康な精神で風向きを察知しながら暮らす者、心身のバランスが自然と合致する者ほど楽々と幸福に至ることができる。

 マスコミ報道や風潮と無縁に、自らの五感を通して得た理論に従う行動で蓄積した経験則によって、アストロジカルな(宇宙・自然とシンクロする)生き方を目指す。不自然な考え方や言動は弊害を生んでしまい、利己的で、家庭や社会で笑顔なき暮らしを続ける者は淘汰される。

 蓄積(蓄財)の時代は終わった。今後は軽やかに稼ぎ軽やかに使うこと。富を増やして残すよりも、いかにして循環させるかが重要となる。単なる消費ではなく、お金と共に知恵を使い、周囲の人と喜びをシェアするというタイプの人にのみお金が巡ってくる。あまり欲しがらない人にちょうど良く、それが良好な循環。ケチケチし、ガツガツすると貧しくなる。

 恋愛や夫婦関係においては、これまでは派手でパワフルで、社会的な能力値が高い相手を理想としたが、これからはそういった対外的スキルではなく、無人島でも一緒にやっていけそうな人、常にこちらの表情筋を緩ませてくれる、副交感神経をオンにしてくれる癒し系がパートナーの理想像となる。

 ざっとこんなところです。この本を読みながら、繰り返し大谷翔平の姿が浮かびました。彼の神がかり的にして、あくまでも、いたって普通の好青年ぶりはまさしく風の時代の申し子ではないかと。それと大人気番組になっている『ポツンと一軒家』。人里離れて暮らす人の精神と笑顔の、何と健全に輝いていることか。いち早く風をキャッチした者たちの日常は、何と溌剌と楽しげであることか。
 読み進め付箋部分を反芻するうち、疑問というか疑惑も浮かびました。予言的な部分が当たりすぎている。これってもしかしたら後出しジャンケンかも、と思い調べたところさにあらず、出版は2020年11月となっています。2020年、ロシア議会で改憲が成立しプーチン大統領の永続的地位が確定、東京五輪延期、バイデン氏が米大統領に就任、新型肺炎発生のクルーズ船が横浜港に停泊し、日本でコロナ騒動が始まったのはこの年の2月。そう思うと、その後に国内外で起こったドタバタ、悲喜劇のあれやこれやを見事に言い当てているわけで、う〜ん、占星術とかスピリチュアルな世界は、なかなかあなどれないものです。



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  で、何故冒頭が村上春樹だったのかというと、女房が突然発した「大変大変、風の時代が来たらしい」から得たインスピレーションで、『風の歌を聴け』という新カテゴリを設けてみようかなと思い立ったからでした。そこには「あなたの文章はダラダラとくどくて入ってこない。まあ私はつまらないから読んでいないけどさ」という耳タコの批判に対して、無邪気に、素直に呼応し、ダラダラせず、一瞬通り過ぎる風の歌を聴くような言葉を記していけたらいいなあと。その風を感じた誰かが、庭を楽しむ暮らしに開眼してくれたらいいなあという思いで。自分に、はたしてそんなことができるのか、カテゴリ自体が成立するのかなど先行きが見えぬままに、とりあえず女房殿との久々の共鳴を記念して、という意味も込みで、風の向くままにスタートを切ってみます。
 と言いつつ、今日のところはもうしばらくダラダラとさせてください。風が心地よい今宵の庭のイマジネーションを、せっかくなので、書き尽くしておきたいので。そうか、このダラダラがぼくの少年性なのかもしれません。一日中、空ゆく雲を見上げて妄想し、飽きることなく蟻と話し続けているような子供でしたから。お母さん、今夜は許してちょんまげ。本編はサラッと吹きますから。 



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 『風の歌を聴け』は、若き日の、飄々としつつも悩み多き青年だった村上春樹くんが、ある日ふと「小説でも書いていみようかな」と思い立って仕上げた最初の作品です。それがいきなり群像新人賞を受賞するという思いもかけない展開となりました。積極的に目指していたわけでもない小説家という生き方へ、それこそ風の歌を聴き、風まかせに歩み始めるきっかけとなった一冊。その本編は書き出しとは趣が違い、主人公の「僕」が友人の「鼠」とビールを飲みながら展開する出来事と脳内の描写が、ワクワクすることも、悲しくなることもないままに続いてゆくもので、魅力はストーリーではなく空気感、そんな作品。つまり読者にはそこに吹いている風を感じさせるだけ。そうか、だからこのタイトルなんだと、今更それに気づきました。やれやれ、かれこれ10回は読んでいるのに。しかしこれは名曲や名作でしばしば起こることで、サラッとした表層の下に、実はいく層にも渡る仕掛けが施されているのです。それとですね、ぼくにはこれを執筆したまだ無名の彼のことが、アメリカへ渡った時の、いきなりの故障や二刀流というスタイルへの賛否など、途方もなく大きなプレッシャーと不安を笑顔で跳ね除け続けた大谷の姿とダブるのですよ。村上春樹、大谷翔平、一足先に風の時代へと駆け出した賢者たち。



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冒頭に引用した『風の歌を聴け』の書き出し、前書きの続きです。

 今、僕は語ろうと思う。
 もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、語り終えた時点でもあるいは事態は全く同じということになるかもしれない。結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。
 しかし、正直に語ることはひどくむずかしい。僕が正直になろうとすればするほど、正確な言葉は闇の奥深くへと沈み込んでゆく。
 弁解するつもりはない。少なくともここに語られていることは現実の僕におけるベストだ。付け加えることは何もない。それでも僕はこんな風にも考えている。

うまく行けばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。そしてそのとき象は平原に還り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう。

 青年の、グッとくる文章。この長いイントロダクションにこそ春樹氏の思いが重く込められていて、軽やかな本編はオマケのような、そんな解釈もできます。やはりそう、大谷同様に、村上春樹は根っから真面目なお方です。そして京都生まれの神戸育ち、両親共に高校の国語教師という境遇から授かったのであろう品の良さがあります。執筆は1978年、世界中の若者が方向を見失って長い混沌の中にあった時期に、とても当時的な、荒野を目指す青年的な、あるいは旅立つ者の決意書のようなスタンスを前置きして、打って変わってやさしく高揚感を醸し出す本編からは、何度読んでも、今でも風が吹いてくる。乾いた風、湿った風、冷たかったり生温かかったり。当時ウィンドサーフィンに夢中だったぼくにはどこを開いてもページから吹いてくるそれがとても心地よく、その度にセイルの端っこからその風を入れて、混沌の波に揉まれての立ち泳ぎから、スッと水上に身を起こしてウォータースタートを切ることができました。



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 しとしと雨の早朝、「ああ、庭で雨音とジャズをマリアージュして、ピーナッツでビールを飲りながらがら村上春樹を読んだら、どんなにかいい気分になるだろうなあ。さてと・・・仕事に行くか、冷蔵庫を開けるか、それが問題だ」という一瞬の迷いがよぎることがしばしばあります。十中八九冷蔵庫の扉は封印し、音楽だけを流してその日の設計に意欲をたぎらせますが。あ、今はマツムシが鳴く月明かりの庭で、春樹氏も大好きであろうスタン・ゲッツによる『中国行きのスロウ・ボート』を流し、パリッと焼いたチョリソーと、荒く削ったパルミジャーノでビールを始めたところ。とてもいい気分。
 この感じ、この感じ。風の時代が到来して、いよいよ庭が重要な場所になってゆきます。今後200年続く風期の戸口で、ぼくはあと何年、あといくつの庭を提供できるだろうか、などと考えると、とにかく仕事に邁進せねばと思う次第。ただし、毎晩庭でゆったりと、こうして風の歌を聴きながら。
 あ、また気がつきました。この小説には左手の指が4本しかない女の子が出てきます。読めばわかりますけど、彼女の登場が、この作品がファンタジーとして書かれていることを示しています。舞台となっているジェイズ・バー、鼠という名の友人、3ページに一度のペースで飲み続けられるビールと、床に溜まってゆくピーナッツの殻、主人公の僕、全てがひと夏のフェンタジー。それと、これに限らず村上作品にはやたらに音楽が流れている。本作ではビーチ・ボーイズ、マイルス・デイビス、ボブ・ディラン、エルヴィス・プレスリー・・・。そうか、この音楽たちが風の歌なのだ。こんな風に、風とは限りないイマジネーションを運んでくれる気象現象であり、自然界のメッセンジャーなんだなあと。
 あなたにも、どうか風の歌が聞こえますように。そんな願いも込みで、明日からまた、設計設計また設計の日々が続きます。
 


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 ではでは、土の時代の優等生である女房から突然吹いてきた、思いもかけないこの涼風に翼を広げて、新たなる庭物語の始まり始まり〜。

 
 






 

風の歌を聴け 月を詠む

 さあ、始めましょう。



イザナキが生んだ多くの神の中でも際立って尊い三柱が、
アマテラス、スサノオ、ツクヨミの三貴紳とされています。
アマテラスは太陽神。
スサノオは海原の神。
ツクヨミは月の神。
古事記・日本書紀、天照大御神と須佐之男尊のお話は有名ながら、
月夜見尊に関するものはほとんど出てきません。
その存在は、アマテラスとスサノオという性格相反する二人の間で、
静かに存在する調整役なのだという解釈があるそうな。
静かなる調整役、なるほどですねえ。
であれば、ツクヨミは庭の神様でもあるのです。
今年は十五夜も、十三夜の月明かりも実に見事でした。
ツクヨミは月詠とも書きます。
月詠の命、ツクヨミノミコト。
秋の夜は、庭に腰掛け月を詠む。

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 そもそも『風の歌』って何だよ、と思われるかもしれません。そりゃあ木枯らしや台風の時はビュービューとうなる音が聞こえるが、普段風の歌どころか風のささやすら聞いたことがないよ、と。ぼくもそうです。では、風は歌わないのか。毎朝毎晩庭で過ごしていればわかること、風は常に歌っています。風に揺れる木の葉の音、風に乗って聞こえてくる遠くの汽笛やお寺の鐘、隣家のお嬢さんが奏でるバイエルとハノン、時には夫婦喧嘩の声、それが風の歌。虫の音、野鳥の囀り、音だけではなく揺らぐ木漏れ日、香るキンモクセイ、毎日東から西へと移動する光の移ろい、色の変化、それらも風が奏でる歌声なのです。風は確かに、いつも歌っています。



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 暑かった日に、寒かった日に、楽しかった日に、キツかった日の夜に庭へ出て空を見る。星、月、流れる雲。その向こうには宇宙空間が広がっているのだと、リアルにそう感じる時がある。夏の夜に吹き込んでくる風は、ああ、今オレが全身で受け止めているのは、地球の隅々までもを何周も渡ってきた空気なんだなあと、思いを馳せて雄大な気分になる。この風楽団による交響曲こそが、庭で過ごすことの最大の魅力だと思っています。



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 風の歌を聴け。命令形で失礼します。でもね、聴け、聴いてくれ、と叫びたいほど、その歌は人を自然体へと、つまりはバランの取れた幸福へと誘ってくれる。歌声に唱和している時にしか感じられない大切なこと、同時に風の歌が聞こえなくなっていた時間にしでかした、いくつもの愚かに気づかせてくれる。だから命令口調を使ってでも伝えたい、それが風の歌を聴け、なのです。



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 太古の昔、庭は人々が神と交信する神聖なる場所でした。前方後円墳の前方は屋代で、後円部分は祭事を行う裏庭を意味しているのである、という説があります。アマテラスが拗ねて引きこもった岩戸の前庭で、アメノウズメが半裸のダンスを踊り、暗闇の世に太陽神を呼び戻した庭伝説。さらに遡れば、イザナキとイザナミは庭木をぐるっと回ってから交わりを行いました。西洋ではアダムとイヴが禁断を破ったエデンの園も、園ですから、そこは果樹園を含む広大な庭でした。



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 いつから庭は神聖視されなくなったのでしょう。そういえば、縁側からのお月見も、御伽噺の中にだけ残っている行事となりました。大丈夫なんでしょうか、子や孫たちは。ぼくらが子どもの頃は、庭が自然と交信する生活空間として活かされていました。庭じゃなくても、月明かりの神々しさ、草の香り、虫の声、縁側での幸福な記憶を持っています。しかし子や孫たちは、ぼくらが庭に背を向けて暮らしているのを見て育ち、庭なんて人工芝か砂利でも敷いて草取りをしなくて済むようにしておけばいいのだ、と理解し、カーテンを閉めっぱなで暮らすのを普通のこととして育つわけです。七草粥、菖蒲湯、七夕、盆踊り、十五夜、十三夜、冬至の南瓜、どれもこれも高機密・高断熱で空調が効いた家から出ない者には馴染まない風習。四季があり、自然豊かな神話の国で行われてきた慣わしが、ぼくらの世代で途切れませんように。お爺さん、お婆さん、残り時間に継承の役目を、きっちり果たしてから去りましょうね。





月詠の命よ
ある夏の夜 あなたは突然あらわれた
そして聖なる月光で ぼくに夢を授けてくれたんだ
遠く離れた彼女を届けてくれた
天空から 僕らに愛を送ってくれた
そして今 彼女はぼくの大切な人
素敵だね
僕らはあなたを信じているよ 月詠の命よ

月詠の命よ もう一度あらわれておくれ
ひざまずいて
願っている
あなたのいない夜には
毎晩祈り続けている
僕らはあなたを信じているから 月詠の命よ

あなたのいない夜には
毎晩祈り続けている
僕らはあなたを信じているから 月詠の命よ
月詠の命よ

月詠の命よ もう一度あらわれておくれ
ひざまずいて
願っている
あなたのいない夜には
毎晩だって祈り続けている

らはあなたを信じているから 月詠の命よ
月詠の命よ
月詠の命よ
月詠の命よ

 

風の歌を聴け 啓示

 植物の成長を眺めていると、閃いたり、気付いたり、さまざまな啓示を受け取るものです。



嬉々として夏の灼熱を遊んでいるうちに、気づけばひんやり秋風が。
何としたことか、既にマンジュシャゲもキンモクセイも終わっているではないか。
疲れを知らない子どものように、時が自分を追い越して行ったのでありました。
それだけ楽しかったわけだけど、なんか、ほろ苦いんだなあ。
咲いてるのは視界に入って知っていたのに、意識がそこへ行かないままに秋の空。
通り過ぎずに、しゃがんで見つめてピントを合わせないと気づいたとは言えない。
はしゃいで駆け回ってばかりだと、気づきはやってこないのだ。


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 今から27億年前、地球上(海中)に出現した生物シアノバクテリア(アオミドロのようなもの)は、光合成という奇跡の能力を有し、それが爆発的な大繁殖をして、水中と大気圏に膨大な酸素をもたらしました。その酸素が、地球に多種多様な生物を生み出す土台となったのです。もしも光合成を行う生物、植物がいなくなったら全ての生物は死滅してしまいます。つまり森林、雑草・草花、苔、海藻こそが、神様が最も愛する生き物で、他は、まあ適当に淘汰を繰り返していればそれで良し、というのが本音というか、生態系の本質なのでしょう。



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 地球は植物の星である。故に彼らの生き方には、地球で繁栄を続けるための知恵、手法、礼儀作法が満ちています。



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 例えば、野の花であれ、森の木々であれ、畑の野菜であれ、ストレスが成長を促します。喉をカラカラにした草花は水分を得るために根を伸ばし、樹木は灼熱の季節に葉を茂らせ影を作って幹と根を守り、枝葉は光を求めて競い合うように上へ伸びます。草は受粉のために花を咲かせ、香り、果樹類は種を遠くへ運んでもらうために実をつけます。そしてあらゆる植物には必ず敵が現れます。最初は争い滅ぶ者もありますが、やがて折り合いをつけて共生をし始めます。天候の変化や外敵の襲来など、生息地に安住できなくなればニッチを探して移動を始めます。



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 人生楽ありゃ苦もあるさ。植物に倣うなら、苦のない人生は滅びの道。問題は苦労に負けない根性と知恵を身につけること。世に溢れる啓発本や名言格言の類いは、庭で植物に導かれた賢者たちが導き出した、根性と知恵の結実なのだ。格言好きな母の影響か、ぼくもその神秘的とも思えるパワーを秘めた言の葉を、コツコツとコレクションしています。



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 ではここで、名言中の名言をひとつ。

明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学べ。
マハトラ・ガンジー

 もう一丁。

「あなたのような強い人が、どうしてそんなに優しくなれるの?」
そう女は問いかけます。
男は答えます。
“ If I wasn't hard, I woulden't be alive.
If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive. ”
「タフでなければ生きてゆけない。優しくなければ生きている資格がない」 
 フィリップ・マーロウ

「タフでなければ・・・」は『プレイバック』に出てくる台詞。
作品的にはこれ、『ロング・グッドバイ』がチャンドラーの最高峰と言われています。



この小説を、夜の庭で何度か読みました。
ついでに設計のBGMとしてダウンロードしたオーディオブックを繰り返し、繰り返し。
その度にほろ苦く、男たるものかくあるべしと思う作品です。
ほろ苦さ、ハードボイルドの味わいはそういうもの。
きっと女性にはわからないだろうなあ、この感じ。
え、わかる?
そんなのオモチャのピストル持って探偵ごっこをしているガキンチョのお話でしょ。
なあるほど・・・女房よ、その見解で良しとしておこう。
“ If I wasn't hard, I woulden't be alive. 
If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive. ”



風の歌を聴け 成長の跡

 庭の打ち合わせで訪問したお宅の玄関先に、鉢植えのサボテンがありました。小さな鉢とは不釣り合いに、大きく育っているサボテンはいかにも根が詰まって苦しそう。奥様によれば、買った時は親指ほどだったのが、10年でこんなに育ったとのこと。その間植え替えはしていないそうで、もしよかったら、とお節介。植え替えついでに、ペイントをした鉢を使い多肉を添えるアレンジをさせてもらいました。



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 まず根本を掘ってみたら案の定、根っこがぎっしりでほんの小さな余地もない状態。不思議だったのは土がない。全部根っこ。根は土を、鉢底の穴から追い出しながらスペースを確保して増えるようです。アンタよく生きていたねえって、サボくんに声をかけて作業を開始。
 そのご家庭は小学生になったお兄ちゃんと、まだ入学前の弟君がいて、二人ともお茶目で元気いっぱい、いい具合に育っています。考えたら奥様は独身時代に購入した小さなサボテンを、結婚と、2度の出産と、何度かの引っ越しを経た今日まで枯らすことなく、手放さずに暮らしてきたわけです。間違っても傷めてはならん、棘の一本も折ってはならんと、作業は爆発物処理班の如く慎重に。



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 太く育った幹には年輪のように成長の跡が見えます。スッゲー!積み重なってきた時間を早回しで見るようで感動的でした。
 多肉の類いは案外気難しくて、「サボテンすら枯らしてしまう」というガーデニングの苦手さをアピールする言い方は違っており、実際にはサボテンを枯らさない人が上級者なのです。コツとしては、こちらのご夫婦が見事に成功させている子育てと同じで、目をかけつつ、手をかけすぎないこと。一見放ったらかし、しかし毎日気にかけて、日当たりや風通しなどの環境は整えておく。



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 新築のひとつ屋根の下で、年若いご夫婦は穏やかに、にこやかに、真面目に、幸福の追求に意欲的な暮らしを送っています。全くもって尊敬に値します。昭和時代には見かけなかった、どこか植物的な夫婦像で、理想の人生に向かう姿勢は自然体、決して力んだりガツガツすることがない。これが今風なんでしょうねえ。おふたり揃って庭へのイマジネーションもしっかりしていて、コンセプトは家族で過ごす外の部屋。横浜にまたひとつ、笑顔が溢れる庭が誕生します。
 何度かの変更設計を経てプランが完成し、現在せっせと施行中。月末頃に行う仕上げの植栽では、時間が経つほどに充実の人生が刻まれてゆく、そんなイメージで植物を配します。



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 賢く暮らすこと、賢い夫婦でいること、賢く人生を築いてゆく方法を、学校では教えてくれない。親から学ぶ事柄です。ぼくらのように賢くない夫婦であっても、子供はそれを反面教師として育ってくれるありがたさよ。反面教師ですから教師を名乗れる立場ではないながら、気がつけば見事な家庭を築いてくれた娘と息子への感謝と共に、その幸運なる展開のコツはと問われれば、やはりそう、目をかけつつ手をかけないこと。一見放ったらかし、しかし毎日気にかけて、日当たりや風通しなどの環境は整えておくこと。



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 1997年(平成9年)のテレビドラマ『ひとつ屋根の下』の主題歌は別れと悔やみの歌でした。枯らさなければその花の大切さに気づかない、失わなければ穏やかな日々の大切さに気づかない、泣き暮らさなければ笑顔の大切さに気づかない、それは昭和から平成時代にあった悪しき慣わし。今時は違います。人生咲いた者勝ちなんだから、毎日を仲良く、楽しく、ひたすらに咲きましょうぜ愛する相棒よ、というのが理想の夫婦なり。いやはやまったく歳をとるほどに、絶え間なく降り注ぐ雪のように、若いお客様から学ぶことが多いなあ。
 肉食獣から草食系、さらには植物的な幸福感へと移行する、それが風の時代の家庭像。 




 
 この人気ドラマを振り返ると、悩んだり揉めたりしなければ幸せは掴めない、
みたいな、時代的な呪いに支配されてうるような気がします。
豪華若手俳優たちのその後に待っていた明暗、悲喜交々を思う時、
人は上昇気流に乗った場面でこそ、
時代の潮流と無関係に、自分と家族の、
幸福の核心を見失ってはいけないんだよなあと思いました。
時代的な呪い、ぼくもそうでした。
何事にも角張って、ガツンガツンとぶつかり合って、
やがて角が取れた美しい丸い石になれるのである。
信念として、そう思っていましたから。
今時は違う。最初から丸く転がれば遠くまで行けるのだ。
ガンダーラ、ガンダーラ、西へ向かうぞ、ニンニキニキニキニン。
それでいいのいだバカボンボン。
 

 

風の歌を聴け 名残り

 10月も終わろうとしているのに、頭はまだ8月を名残っているのです。少年時代のように大汗かいて、スイカを食べて、麦茶をがぶ飲みして、夢中で遊ぶように仕事をし、実に夏らしい夏を過ごしました。



この夏、覚醒したように成長を遂げたドラセナの葉っぱ。

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 季節と並走し未来を見つめよ、そう自分に言い続けて幾星霜。これは仕事柄、依頼を受けた場所に庭が出現する数ヶ月先へとイマジネーションの幅を広げて、その真っ新なカンヴァスに理想の庭を思い描くことを繰り返す人生なものですから、日常的にほとんど振り返るということがありません。だから基本姿勢はやや前のめりで、視線は次の季節に向いている。たまに振り返ってみても、そこにはしばしば悔やみや恥ずかしさや、あまりいいことが見えてこないし、それよりも手帳に溜まってゆく予定がプレッシャーとなって、慢性的に未来方向に付きものの不安を抱えている状態というのが現実。だから自分に、呪文のように言い続けてきた「季節と並走し未来を見つめよ」は、決して、いわゆるポジティブなことではないことを自覚しています。一種の職業病と言えるでしょう。



初夏に根切りと植え替えをし、丁寧に水やりを繰り返しました。
するとご覧の通り。
途中から葉の長さが倍ほどになっています。


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 ただし、ぼく以外の方にはとても大事な考え方なので、試しにこの呪文を唱えてみてください。季節と並走し未来を見つめよ。夏には夏を、秋には秋を存分に味わうことができたら、人は欲張りですから次の季節も素晴らしい日々になるように願います。すると自然に花咲く庭と幸福な近未来をイメージするようになるのです。イメージできたらできたも同然、これも我が呪文。何事においても想像力が先行し創造が起こる。



空振りだった台風の日、無風のしとしと雨の午後に
雨宿りをしているカマキリを発見。


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 誰だって幸せな人生を送りたいと思っているのに、側から見ると真逆な言動ばかりを繰り返している人の何と多いことか。ダメダメ、そういう人はわざわざ悲惨な未来ばかりを思い描いているわけで、暮らしのベクトルは当然悲惨に向かってしまいます。だらか絶対に幸せにはならない。一生懸命に不幸を成就する努力を続けているわけですから。



こいつがほとんど動かずに、翌日も、その翌日も居座っている。
交尾を済ませて、メスに食われないよう逃げてきたのかもしれない。
寿命を悟って静かな最後を送ろうとしているのかも、
などと哀れを含んだ心配をし見守ること5日間。
空は秋晴れ。
さすがに森へでも離してやろうかと手を伸ばしました。
するとあに図らんや、とてつもないパワーで飛び立ち、
何十メートルも先まで、一瞬で。

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 これは他人事じゃなく、田舎の母親もある時期、介護疲れだったのか愚痴しか言わないことがあり、電話のたびに、内心「こりゃまずいよなあ」と思いつつ、会話としては「そうだね、そうだよね」を繰り返すしかなし。女房もそうです。発する言葉の全てが愚痴と弱音で、ぼくの顔を見るなりあらゆることのダメ出しを繰り返す。幸いにしてふたりとも、そのダメダメ状態から自力で脱出してくれて、今は逆に脳天気になり、日々を楽しみで埋め尽くすように過ごしています。だから思うんですね、あれは女性特有の不安神経症のようなものなのかもしれないなあと。そしてある時、トンネルから抜けたようにポジポジに変身する。こちとらたまったもんじゃないわけですが、一時的な症状だと思えば我慢もできます。我慢、我慢。穏やかに、じっと我慢してくださいね、男たちよ。



あれこれと心配していた自分がおかしくて、
晴れ晴れと見上げる秋の空。

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 今を味わうこと。今日いち日をワクワクとウキウキで埋め尽くすこと。例えそうならなかった日でも、只今現在の味わい、リアルな感覚が全て。苦かろうと辛かろうと、暑かろうと寒かろうと、生きていればこその出来事なり。「今日も頑張った、よくやったよオレ」と、これも我が呪文なり。京都大徳寺大仙院の住職が言っていました「昨日もなければ明日もない。あるのは今の自分だけ」。尾関宗園、中坊の頃に夢中になった、大好きなお坊さんです。


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 10月も終わろうとしているのに、頭はまだ8月を名残っている。少年時代のように大汗かいて、スイカを食べて、麦茶をがぶ飲みして、夢中で遊ぶように仕事をし、実に夏らしい夏でした。この素敵な名残りがあるから、秋もそうありたいと、今日を味わい尽くしたいと思うことができるのだ、という結論で。ああ、いい夏だったな〜。ああ、今日もよく頑張ったなあ〜オレ。


庭で聞く音楽も、秋には秋のお楽しみ。
Autumn Leaves はこれが絶品ですなあ。



ウッキウキで、枯れ葉を鳴らして歩くイメージ。



 
  

風の歌を聴け 水やり

 ガーデニングに勤しむ人の日課は水やりです。芝生、花壇、鉢植えに、夏は毎日、他の季節は植物の様子を見ながら行います。



金沢区にあるお気に入りの場所、
小川が流れる遊歩道をひと巡り。
水と空気と土と太陽光&虫たち。
撮影散歩、小春の道は花だらけ。


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 水やりのタイミングは土の表面がカラカラに乾いてから。あげる時は地中深くまで行き渡るように、鉢の場合は底から流れ出るまでたっぷりと。



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 植物は地下と地上が連動している生物です。根の成長が幹を伸ばし葉を茂らせ、その葉っぱが行う光合成で得た有機成分が地下へと運ばれて根を太らせます。



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  注意すべきは草花を可愛がるあまり、毎日せっせと水を与えてはいけないということ。いつも手が届くところに欲しいだけの水分がある状態では、根は成長しないのです。さらに過度な湿潤は、根腐れの原因になりますから要注意。植え付け直後にそうなることが多いので、植え替えの時は一度たっぷりと注水をして、あとは乾くまで待つのが無難です。



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 「毎日お水をあげたのに枯れちゃった」という嘆きは、実は可愛がり方の勘違い。甘やかすだけでは根性がつかず、ついには性根が腐ってしまう。このように植物の成長を通して会得する『育て方のコツ』によって、ガーデニング好きな女性は子育ても、夫育ても上手なのであります。これホント。


仕事に突っ走りすぎて全身がカサカサに乾いた日の夜に、庭でこれを流すと潤うのです。



歌声?歌詞?いやいや、自分の根っこが水を求めてぐんぐん伸びていた頃の曲だから。
4畳半の自室を暗室にして、深夜から夜明けまで現像と焼き付けに熱中していた日々、
この曲が入っているLP『ミス・アメリカ』 を聴き続けていました。
繰り返し、繰り返し、針を落として。
どうしたことか、今はそういう
レコードがすり減るまでというような聴き方を誰もしなくなったわけで、
ピーター・バラカン氏が嘆く通り、レコード盤からCDへ、そして配信となって、
音楽の重量は軽くなる一方。
孫世代には、記憶の後ろで流れ続ける一生物の音楽は存在するのだろうか、
などと老婆心ながら案じてしまいます。
逆に言えば、なんであんなに夢中だったのか不思議ではありますが。
時代ですかね。
小さいスピーカーから流れてくるノイズ混じりの音でさえ、
ダイアモンドのように輝いて聞こえたあの頃が、
ジジイになっても宝物。
リンダ・ロンシュタット、ジェイムステーラー、ジョン・デビット・サウザー、
ジャクソン・ブラウン、イーグルス・・・
ノンポリ反戦派の若者たちがヒッピームーブメントの潮流に乗り、
流れ流れて行き着いた先は西海岸。
70年代終盤に、遥かハワイを越えて太平洋を渡り、
さらに関越トンネルで三国峠を突っ切って、魚沼地方まで吹き込んだ風の音。

 
 

風の歌を聴け エンガチョ

 北風小僧の寒太郎、今年も街までやってきた。いやあ、ひっさしぶりの雨で、北風がヒューン、ヒューン、ヒュルルーンルンルンルン冬でござんすヒュルルルルルルン。朝からしっかり降っていると、今日の行動に迷いがなくなります。現場がストップするのでやることはただひとつ、設計に没頭するのみ。



晩秋→→→初冬
デッキの植物活気付く。

 
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 店に到着したら、デッキの植物たちが歓声をあげていました。そろそろ空気が乾燥するため毎日水やりをしていたものの、やはり雨水の方がうれしいらしい。手がかじかむ北風も草花にはいい刺激のようで、置き場のバラやクリスマスローズが活性化してきました。多肉たちも夏の休眠期には見られなかった成長を遂げています。



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 いいぞいいぞ、晩秋から初冬へ移行するこの季節に元気づく植物に歩調が合って、今日も創造意欲が満ちている。っさ、やってもやっても追いつかない仕事量なれど、雨に乗じて全集中。お待たせしている方々は、幸いにして気長に付き合ってくれていますので、それに甘えてコツコツと、ひとつひとつを丁寧に仕上げることと致しましょう。



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 焦るな焦るな。季節と同調できているならこれ以上のコンディションはない。あとひと月半、と思うと駆け出しそうになるから、今日のことだけ考えて、設計設計また設計。いい庭はいい人生の舞台なり。幸せ家族の、泣けるほどの幸福感を演出し支える庭を描きたいなどと、本気で思っているのは稀有なことのようなので、ならば気合を入れて、思いを込めて。


本気 坂村真民

本気になると
世界が変わってくる
自分が変わってくる

変わってこなかったら
まだ本気になっていない証拠だ

本気な恋
本気な仕事

ああ
人間一度
こいつを
つかまんことには


 ただし、本気を発揮するには、油断なく季節と同期していなければならないのである。力むと転けますからね。プーチンも本気、トランプも本気、コビットも本気で、生存を賭けて暴れている。悲しいというか、腹が立ちますよ。でもね、ヤツら必ず転けますよ。だから巻き込まれないようにエンガチョしとくのが得策かと。えーんがちょ!自分の本気を優先させないと、この歳になると、時間がもったいないのです。



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 い〜い雨だなあ。








 

風の歌を聴け 夢の中へ

 店の近くにテニスコート2面ほどの広さの畑があります。時々お爺さんが作業をしていて、その姿に、遠くからしばし見惚れる冬の朝。土と馴染んだ身なりで、草取りでも収穫でも動作に全く力みがない。穏やかに、静かに。その淡々とした営みは、ひとりの世界を存分に楽しんでいるようで、間違いなく、この人は充実の人生を過ごしてきたんだなあと、偉大なことだなあと、深々とした感慨に浸るのです。



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 何が偉大って、そういう農民的な日々の積み重ねが、本人以上に家族を幸福へと導いてきたに違いなく、それこそが最も賢く尊い人生なのであると、年末だからか、あるいは加齢の症状なのか、そんなことを思うと胸が熱くなってくる。幸せとは、家族の幸せを願いながら土を耕すことなのだ。こんなことは若い頃には想像もしなかった思考で、あ、つまりは、妙に涙っぽくなってしまう、やはり老化現象ですな。



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 ただし、こういう老化は嬉しいことです。赤瀬川原平曰くの『老人力』とは、きっとこの領域に至ってようやく発見できる光なのでありましょう。人それぞれの生き方、歳の取り方、辿ったルートは千差万別でありながら、その道が真っ当なものであったと感じられる人を見かけるだけで、偉いよ!素晴らしいです!拍手喝采したくなる。裏を返せば、同じく頑張って生きてきたのに、あまり家族や周囲の人の幸福にリンクすることなく、勤め上げて定年になったら家族からはすでにそっぽを向かれており、安住の地どころか安らげる小部屋も見当たらず、口をへの字にして呆然とする爺さんの、なんと多いことか。



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 とはいえ命はまだまだ続くわけなので、修正は大いに可能なり。ご同輩、まずは鏡を見ることです。そこに萎びた不機嫌顔があったとすれば、口角を上げて、女房子供を笑わせることを仕事だと思って過ごしましょうぞ。あなたの人生が家庭に花を咲かせぬままに終わったとすれば、悔いが残らぬはずはない。だってそのために頑張ってきたんでしょ。ですよね。ただ必死すぎて仕事頭のままで老いてしまっただけのこと。よくあることです。



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 男は終生、少年のままのロマンチストである。爺さんになっても未熟なガキのまま。そして女は文句言いの現実主義者となって、老いてゆく不安を不満に変換しては男をなじることによって、鏡から目を逸らせるようになってゆく。これは古今東西変わらぬ夫婦像なれば、何も悩むことではない。生物学的な、それが老夫婦のスタンダードなのですから、いいのいいの気にせずなじりあっていれば。そんなこんなしているうちに終わりが来て、最後に三途の河原の渡り賃を握らせてもらえたら人生大成功ですよ。



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 数年前に話題になったドキュメンタリー映画、『ふたりの桃源郷』の老夫婦、素晴らしいですなあ。はるか昔の記憶から、祖父と祖母、近所の人たちが日常としていた、畑仕事に精を出す精を出す姿が蘇ってきて、胸が苦しいような、じわっと泣けてくるような。





 いち日いち日が自分と畑との対話で、そのいち日を淡々と積み重ねてゆく。気がつけば老人になっていて、しかし気持ちは一切老いてはおらず青年のまま。そのギャップに自ら戸惑いながらも、とにかく今日は収穫をせねばと動いているうちに、戸惑いなど消えた高僧の如き境地へ至っている。最後の年、お爺さんはお婆さんに決意を伝えます、「なあ、来年は米を作ろう」と。



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 庭で畑仕事をするのは大概男性です。奥様方はそれを眺めながら「あなた、随分と高価な野菜を育てていらしゃるのね。そのブロッコリー、業務スーパーに行けば150円で食べきれないくらい買えますわよ」などと嫌味を言ったりするわけです。でもね、奥様、違うんですよ。損得じゃない。ご主人は無口に野菜を育てながら、果てしなくあなたのことを考えている。愛情ですよ。それを伝える言葉が、どこをどう探しも見つからない。探し物は見つけにくく、カバンの中も机の中も探したけれど見つからないので、やむなく無口になって、夢の中へとワープして、ポツネンとして、自分と対峙しているのです。ジジイの愛情とは、寂しいけど、そういうものなのであります。


真田家の旗印は六文銭。
三途の川の渡し賃。
六文あれば極楽へ行けるんだから、
心置きなく戦えよ、という意味。

思い出します、真田丸。
幸村の父、昌幸(草刈正雄)、かっこよかったなあ。
あの戦い方は『復活の日』の草刈正雄と変わらない、っていうか、
印象がダブって、そのうちオリビア・ハッセーが出てくるのでは、
などとあり得ない妄想をしながら楽しんだものです。
草刈正雄は時空を超えて草刈正雄のまま、年齢不詳のかっこよさ。
あれは痛快な名作でしたねえ。



っと、こちらはフォークの六文銭。
小室等は渡し賃ではなく、
小説『月と6ペンス』の6ペンスを
六文銭と訳したのである、としています。

 月と6ペンスはゴーギャンをモデルにした物語。
確かに、戦国物よりこっちの方がしっくりきますね。
小室等、及川恒平、四角桂子。
西日の四畳半でギターをつまびいていたあの頃にワープする、
郷愁を誘う歌声です。
70年代は猫も杓子も、みんなフォークシンガーでしたなあ。



 

風の歌を聴け 擬人化

 設計打ち合わせの段階で庭木を選ぶ場面があります。当方の提案としては適材適所、その場所にその木を植えることの意味と意義をお伝えしつつ、しかし最終決定はお客様の好みで。「一度植えたら家族みたいに、親密で長い付き合いになりますから、よく考えて選んでくださいね」と話します。ぼくのその言葉が重めに伝わったに人は、検索したり近所の庭を覗き見しながら、樹種による成長の違いや花や果実の特徴などを勉強し、中には迷いに迷った末に、藤沢にある植木の畑(業者向けの販売店)にお連れして現物を見ながらの庭木選び、ということも。しかしまあ多くの場合は、木のことはよくわからないからお薦めを植えてください、となります。



擬人化のすゝめ

対象に自己を投影することは、
幼い時には誰でも持っていた思考回路です。
人を、物を、出来事を丸ごと好きになる感性を無くしたくない。
うまく生きられない人の特徴は、周囲が全て敵であると思っていること。
敵なんてどこにもいなくて、
全員が味方なんですけどねえ。
ぼくは頭が子供のままで止まっているせいか、
会う人会う人が愛おしくい思えて。
孫が遊びに来ると、庭の石ころを拾っては宝物にしています。
あれも擬人化。石とお話をしていますからね。
健やかですなあ〜。

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 実はこのプロセスで大事なのは、どの木を選ぶかではなく、その人が庭木を擬人化する発想を持てるかどうかにありあす。犬好きは犬を単なる犬とは思っておらず、猫好きは猫を、ヘビ好きはヘビを、連れ合い子供と同等の家族と認識して暮らしているわけで、庭において植物がそういう存在になるのだという思考に至ってほしい、という願いからのことなのです。しかし、そんな概念的なことをお話ししても迷惑がられるのがオチなので、「庭木とは長い付き合いになりますから」という言い方で、軽くこちらの世界へ、ウェルカム・トゥー・マイ・ワールドと誘っているのです。



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 この擬人化によって対象の価値が倍増します。それは『物』から『事』への変化です。植物を物だと思っている人は手入れにかかるコストを算出しますが、擬人化ができた人は、家族の成長、あるいはそこに投影した自分の成長が楽しみになりますので、お世話は大きなコストを費やしてでも行いたい日々の楽しみになる。犬と同じです。犬だって、相当コストがかかるもので、ぼくよりも高価な食事をしているし、トイレシートや天然素材のおやつや、散歩にかかる時間をお金に換算したら結構な額になります。こないだなんて戯れに犬用のシャンプーを使ったら、女房から「そんなもったいないことはやめて!」と怒鳴られました。聞けばぼくが使っている人間用シャンプーの10倍の値段とのこと。そりゃあ怒鳴られるわな、と項垂れたのでありました。



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 擬人化とは、愛情を注ぐ対象を得ること。一人暮らしのお婆ちゃんが、庭をイキイキと仕立て、花いっぱいにして暮らしている姿に接する度、賢いなあと、素晴らしい人生を送っているなあと、その方が身に付けた、今日を充実させる知恵に敬服しきり。プレバトの夏井先生はよく「下手な擬人化はしなさんな」と言いますけどね、あれは俳句のテクニック上のお話でありまして、漱石は猫を、寺山修司は競馬馬を、野坂昭如に至ってはこの時期魚沼地方に舞う雪を「掌に受けてやさしき霰かな」と擬人化し、名文・名作を生み出しているではないですか。



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 宮沢賢治もそうで、小鳥や小動物に物語の材を求め続ける擬人化の執筆人生でありました。素敵ですよねえ、賢治さん。仕事に追われて思考がザラザラしてきたと感じたら、彼が遺した童話をYouTubeで流しつつ設計作業をしています。『よだかの星』『なめとこ山の熊』『注文の多い料理店』、還暦過ぎにもなって、これらの童話が心を均してくれる不思議。思えば賢治さんは、子供向けに書いたわけではなく、一生子供のままだった自分との対話を書き連ねていたんでしょうなあ。いやあそれにしても、美しく清々しい描写です。









風の歌を聴け 健やかに美しく




4月 彼女は戻ってくる
雨で小川の勢いが増す頃に

5月 彼女はそばに居てくれる
再び僕の腕で休んでいる

 一応5月でコロナ騒動は終結らしいですね。お祭り騒ぎも提灯行列もないままに、はい、ここまでにしときましょう。そして人々は3年間に起こったあれやこれや、変だったこと、苦しかったこと、悲しかったことを過去の出来事として一掃し、新たな暮らしへと歩み出す。これが今日を生きる人々のたくましさなのでしょう。

6月 彼女の様子が変わる
落ち着きなく歩き回り 夜になると出かけてゆく

7月 彼女は飛び出していく
なんの前触れもなく

 この3年間で、身近で感染した人は3人でした。症状は大したことなく、いわゆる風邪程度。幸いなるかな。知り合いで命を失った者は3人。友人の死は背中に重くのしかかってくるもので、いまだに感情が揺さぶられています。ぼくはつくづく、たくましさに欠けているなあと思う次第。

8月 彼女は遠い世界へ消えた
秋風が冷たく吹きつける

9月 僕は思い出す
かつて新鮮だった愛情もやがて冷めてしまうことを

 さてと、生き残った皆様、とにかく美しく暮らしましょう。残り時間を健やかに過ごしましょう。何より心が健やかでありますように。体が病んでも心が健やかであれば、老いても心が少年少女の頃の希望の光を放っていれば、暮らしは美しく整っているもの。庭が荒れ、部屋が散らかり、身なりに意識が行かなくなることなかれ。
 もしも庭を整えたいならご来店を。適切なるアドバイスをいたしますゆえ。庭が整えば暮らしが整い、心が整い、人生が美しく整ってゆきます。

今回の寒波で、凍みて枯れてしまった植物多数。
少々ショックながら、裏腹に
寒さで元気を増した植物の姿に感動しきり。
春を待つという解釈が一転、
彼らは冬を、我が世の春と
楽しんでいるんだなあ。


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 次に何が起こるのかは想像できませんが、何かが起こってまたもや大騒ぎとなることは想像できます。政治も報道も、そういうシステムになっているのですから。言いたくはないが、ろくでも無いシステムに巻き込まれ、心を病んだり、殺されることのないように。何が起ころうとも家族仲良く、笑顔を絶やさずに、美しく、美しく。美しく暮らすことが真っ当に生きている証しなのです。それは、幸運にも生き残った者が果たすべきことなのです。他に、ぼくらが生き残ったことに、何の意味も意義もないのです。
 庭ですよ、庭。最低限、庭を楽しむ暮らしから離脱することなかれ。次なる暮らしに、グッドラック。





風の歌を聴け ググッと寄る

 ハッと感じたら、グッと寄って、さらにグッと寄って、バシバシ撮りなさい。篠山紀信がミノルタのCMで発した言葉です。昭和時代のブラウン管からほんの一瞬流れたこのメッセージに刺激されて、カメラマンを目指した若者は多かった。ぼくもそのひとりであったような気がします。



絞りを開放にし、被写界深度の限界まで近寄り、
呼吸を整え、静かに指を下ろす。
フィルムカメラの頃からの不思議な癖というか、
36枚に1〜2枚の割合で、ドキドキする瞬間がやってくるのです。

無意識に、フィルム1本(当時400円ほど)を人生と捉えていたのかもしれません。
ドキドキできなかった人生なんてつまらない、と。

現像にもお金がかかるため、1枚もときめかなかったフィルムは
ポケットに入れ、帰りにそのまま捨てていました。
この感覚、フィルム代がかからないデジタルカメラ世代には、
ピンと来ないことかも。

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 「グッと寄って、さらにグッと寄って」が響きました。当時はカメラブームで、ニコンF2フォトミックを持つことがぼくの憧れ。各カメラメーカーは競って露出のオート機能、さらにズームレンズを発売し売りまくる中、ニコンは頑固一徹、マニュアル機の名品ニコンFを基軸に、F2、F2フォトミック、FM、FM2、AM、EM、F3と、威風堂々たる王道を切り拓いて行きます。後年この頑固さが災いしデジタル化に乗り遅れてしまうのですが、それはまた別の話。当時はニコンこそが国産カメラの最高峰であり、マニアたちはそのニコンイズムに倣いズームレンズも毛嫌いして、明るくボケ味のある単焦点レンズで自らが動き回る撮影スタイルを良しとしていたのでした。そんなタイミングで「ハッと感じたら、グッと寄って、さらにグッと寄って」と語る篠山紀信に、これぞプロのお言葉であると感動したわけです。



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 あの頃のカメラマンはタレント的に人気があり、テレビ・雑誌に出まくっていました。立木義浩、浅井慎平、荒木経惟、野村誠一、加納典明・・・そしてメメント・モリの藤原新也。作品と共に、彼らの言葉に手を引かれ、導かれた人は多かったはずです。すっかりデジタル化となった今、カメラマンたちは無口な裏方となってパソコンに向かっている。スマホによって一億総カメラマン化した今こそ、あの時代に炎を上げていたカメラマンたちの熱が、必要だと思んですけどねえ。まあ、スマホカメラマンであっても、「ハッと感じたら、グッと寄って、さらにグッと寄って」、さらにさらにグッと寄って見つめる気迫を持てば、一生の記憶に残る名作が撮れることでしょう。だってですね、iPhone のカメラ機能たるや、どう考えたって昭和の高級一眼レフなど遥かに超える、性能と使いやすさを持っているのですから。



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 感動的な作品が撮れていないとしたら、足らないのはハッと感じる感受性と、ググッと被写体に寄ってゆく気迫。何の世界でも道具は発達の一途で、それに対して人の心は衰退しているのではないかと思うことがしばしば。ことに庭の世界では。恥ずかしながらぼく自身がそうで、燃えるような恋とかね、ええっと、どうすればいいんだっけ、などととまどうペリカン状態です。いけませんなあ、対象が女房であれ、吉岡里帆であれ、設計中の庭であれ、野の花であれ、ボワっと恋心が燃え上がらないようでは幸福な庭など描けないのであ〜る。惚れっぽさが持ち味だったはずなのに、全くもって、誠に遺憾に存じます。明日は晴れそうですから、暗いうちにカメラ担いで里山に行き朝の森をひと巡り。ハッと感じたら、グッと寄って、さらにググッと寄って、バシバシ撮ってこようと思います。


きっとあなたにも、こんな瞬間がありましたよね。
大事なのは今もそうであること。
過去ではなく、現在、今日、恋心的な感覚を有して過ごすこと。
恋心を失った時から、ダイアモンドのようだった彼氏と彼女は、
クソジジイとオニババアにまで値が落ちてしまうのです。
老醜。
政治家、芸能人、それどころじゃなく身の回り、さらに自信を顧みて、
それは人生の敗北のように思えて。
ご同輩、恋ですよ、恋。 





 
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